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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
天皇制問題(6)

天皇報道と記者たち(1)

  前々回の「岡留安則さんを悼む 」で取り上げられていた右翼テロ事件を改めて列挙すると次のようでした
1960年 浅沼稲次郎暗殺事件
1961年 嶋中事件
1987年~1990年 赤報隊事件
1990年 長崎市長銃撃事件
2006年 加藤紘一宅放火事件

  この後は右翼による大きなテロ事件はなかったようです。
  岡留さんが皇太子徳仁の妃雅子に敬語を使わなかったことで右翼団体から威嚇的な抗議行動を受けたのは2000年のことでした。

  現在では敬語問題でジャーナリストが右翼から威嚇されるようなことはなくなったようです。
  しかし、私は皇室関係の記事を読んでいて敬語だらけの文章に出会って辟易とすることが結構度々あります。
  実際にこの問題はどうなっているのでしょうか。
  この問題に対しては『週刊金曜日』の特集「天皇制」では山口正紀(新聞記者)さんと宮下正昭(鹿児島大学法文学部准教授)さんの論考が掲載されていましす。
  少し長いのですが山口さんの論考を使わせてもらいます。
  論考の標題は
   【天皇報道と記者たち「メディアの自殺状況」から抜け出すために】です。

      まず『30年前の代替わりを振り返る』という表題で前書きが置かれていますが、その趣旨と方法を次の様に述べています

   30年前、裕仁天皇の死去により日本国憲法下で最初の代替わりがあった。
     当時の雑誌記事(「法学セミナー」増刊)を再掲。今回の譲位報道記事に必要な視点を探る。


     それでは本文を読んでいくことにします。


30年前の代替わりを振り返る

  1998年9月19日の重体第一報に始まり、翌年1月7日の死去でピークを迎えた天皇Xデー報道、量的な過剰性、質的な無批判性、翼賛性によって市民から大きな批判を浴びた。一連の報道の結果、明らかになったことの一つは、現在のマスメディアが、どれほど市民感から乖離し、支配権力の広報に成り下がっているか、であり、庶民の目からはほとんど「こんなものいらない」の対象になったようにに思われる。

  とりわけ、ごく少数の地方紙を除くマスメディアが、天皇の死を「崩御」という反憲法的絶対敬語で表現し、読者に強要したことは、時計の針を一気に40数年前に巻き戻し、天皇を現人神(あらひとがみ)として復活させたもので、ジャーナリズムとしてメディアも、天皇とともに死んだ、といわれてもしかたのない行為だった。法的にも倫理的にも、アジア侵略戦争の最大の戦犯であり、名実ともに軍国日本の象徴であった天皇を「聖断神話」などの歴史の偽造によって「慈悲深い平和主義者」に仕立て上げた一月七日の新聞、テレビ。この報道を見れば、日本のマスメディアは、ことごとく天皇主義右翼に占拠されたかのようであった。

  それでは、メディアの記者たちは、すべて天皇主義者だったのか。答えは、明らかに否である。むしろ逆に、大半の記者たちは、天皇に対して尊敬の念を抱く どころか、“迷惑な存在”と受けとめていたように思われる。  「メディアの自殺」ともいえる一連の天皇報道の中で、記者たちは何を考え、どのように行動したのか。

(次回の続きます。)

今日の話題3

米国の属国・日本(19)

 東京新聞に「辺野古・高江リポート」の続編が掲載されました。 アベコベ軽薄姑息うそつきカルト政権の暴虐無人な属国政策がますますひどくなっています。その記事を転載します。


誰のための国家なのか」

 【1月28日】
  沖縄防衛局が、新基地建設で新たな護岸「N4護岸」の造成に着手したことについて、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議する市民から怒りの声が上がった。 この日、市民約九十人は新基地建設反対を訴え、ゲート前に座り込んだが、機動隊に排除され、工事車両が資材を次々と搬入した。那覇市から座り込みに参加した大城博子さん(六七)はN4護岸着工に
 「国は県民投票を前に工事が進んだことを強調し、県民に新基地建設反対を諦めさせるつもりだ。しかし、政府が工事を進めるほど県民の怒りを買うだけだ」
と強調した。
 「政府のやり方は本当にひどい」と憤るのは沖本富貴子さん(六八)=八重瀬町。
 「憲法学者が政府の新基地建設を自治侵害と指摘し、大浦湾に軟弱地盤があることが分かっても、国は工事を止めない。全然県民に寄り添っていない。誰のための国家なのか分からない」
と政府を批判。
 福島咬裕(こうゆう)さん(六八)=大宜味村=は
 「県民が本気になって怒らないと政府は工事を止めない。県民投票で民意を示すべきだ。私たちの命を育む海を壊し、戦争につながる基地を造っていいのか」
と訴えた。

 【1月29日】
   沖縄防衛局は、埋め立て区域への土砂投入作業や、大浦湾側の護岸「N4」の造成を続けた。午後は抗議船一隻、カヌー六艇が海上に繰り出して抗議した。

 【1月31日】
   沖縄防衛局は、埋め立て区域への土砂投入を続けた。海上には抗議船一隻とカヌー六艇が繰り出して抗議。米軍キヤンプ・シュワブゲート前では座り込みが続けられた。

 【2月1日】
   沖縄防衛局は、「埋め立て区域2-1」への土砂投入を続けた。大浦湾側の護岸「N4」のの造成作業も確認された。
   大学の講義の一環で辺野古を訪れた早稲田大二年の姫野聖来(せいら)さん(二〇)は、初めて見る新基地の建設現場に
  「土砂投人の現場を見て、沖縄の抱える問題が複雑なんだと強く実感している」
   と話した。

                  (琉球新報の記事を転載しています)

天皇制問題(5)

岡留安則さんを悼む
   本日(2月3日)の東京新聞に岡留安則さんの訃報記事が掲載されていました。

「噂の真相」元編集長

   岡留安則さん(おかどめ・やすのり=雑誌「噂の真相」元編集長)1月31日、肺がんのため死去、71歳。
  鹿児島県曽於市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。
  79年に反権力、反権威を掲げた雑誌「噂の真相」を創刊。虚偽の記事で推理作家和久峻三さんらの名誉を傷つけたとして、名誉毀損(きそん)の罪で95年に在宅起訴され、後に有罪が確定した。
  99年には当時の東京高検検事長の女性スキャンダルをスクープし、辞任のきっかけをつくった。
  04年3月に「噂の真相」を休刊し、那覇市に移住していた。


  岡留さんを稀にみる真のジャーリストとして尊敬している私にとって、何とも薄っぺらな情けない訃報記事です。
  2006年に「今日の話題」の一つとして岡留さんの紹介記事を書いていたことを思い出しました。それを再掲載します。
  念のため書き添えますが、そこでの政治・社会状況は13年前のものですす。


 右翼によるテロでは「浅沼稲次郎刺殺事件」「『風流夢譚』事件」「本島長崎市長銃撃事件」「朝日新聞阪神支局記者殺傷事件」最近では「加藤紘一議員宅放火事件」をすぐ思い出す。国家権力は右翼の暴力を本気になって取り締まろうとしない。まるで天皇制護持のためにそれを利用しているようだ。警察は外国からのテロ対策よりまず自国内のテロ対策をしっかりとせい! これでは日本は見せかけだけの法治国家じゃないか。北朝鮮をわらう資格はない。

 岡留さんは権力や権威のタブーに挑むジャーナリストという道を選んだとき、結婚して家族を持つことを断念している。(以下、引用文は『噂の討論外伝』より。)



マスゴミの中にて光る真のマスコミ(1)

 天皇制のタブーに触れるのであれば、そうしたテロの可能性がある‥ことを想定しなければならない。そのため、筆者自身も雑誌の編集長としての責任を全うするために、配偶者を持つという選択肢は最初から捨てる覚悟をした。家族を危険な目に遭わせてはいけないとの思いは、誰しも同じだ。筆者とて人の子、その危険性を察知すれば、 天皇制のタブーに触れること自体をやめようという日和見主義になりかねないからだ。ならば、その危険性をあらかじめ排除しておくほうが、これから言論戦を願うという自分の決意が揺らがなくていいだろうとの判断である。

 「噂の真相」でも、筆者が危惧した通り、創刊2年目(80年)には防共挺身隊を筆頭にした在京右翼の大手7団体から総攻撃を受け、印刷会社、広告主ともに取引全面中止の事態に追い込まれた。

 前述した「風流夢譚』事件の余波で、天皇制に対する批判的言説やパロディ表現がメディアから消えて、70年代に入って代わりに登場したのが奥月宴に代表されるアングラ出版による皇室風刺小説だった。そうしたアングラ出版のひとつだった小冊子の内容を紹介する形で、その小説に挿入されていた皇室ポルノ写真をカットとして「噂の真相」誌上に転載したことが右翼団体の逆鱗に触れたのである。「噂の真相」が書店で広く一般に売られている雑誌であることを思えば、当然、右翼団体の目にもとまるだろうし、実際に抗議を受けたことで、カットを掲載した筆者の最終判断に配慮不足があったことを認めざるを得なかった。結局、完全屈服とも傑作パロディとも言われた謝罪文を、天皇家と日本国民に宛てる形で「噂の真相」に載せることで和解した。

 その謝罪により、右翼団体による抗議行動はヤマ場を越えて、筆者の命まで狙われるような深刻な事態は収まったが、関係者に多大な迷惑をかけただけではなく、雑誌自体も潰れる寸前にまで追い込まれた。

 この事件により、筆者自身も天皇制タブーに触れることの重みをハッキリと実感さ せられることになった。戦後の民主主義下といえども、右翼の暴力に対しては、言論機関も警察権カもなす術がなかったのである。筆者が32歳の時だった。

 「結婚はすべきでない」という思いは、この事件により、覚悟するというレベルから一段と強い確信に変わった。

 『噂の真相』への右翼テロはさらに続きます。


マスゴミの中にて光る真のマスコミ(2)

 事件から再起した後も、雑誌的には皇室ものを扱わざるを得ない編集方針だったため、右翼団体による抗議は断続的に続いた。しかし、それらの抗議に関しては、事件の教訓とこちらの学習能力により、大事に至らずに話し合いでなんとか事を収めてきた。

 ところがこの事件から20年後の00年6月、「雅子妃を呼び捨てにした」という理由で広域暴力団住吉会系の右翼団体で全国一の組織力を誇る日本青年社の右翼構成員2人が編集室に乗り込み、突然大暴れするという事件に遭遇した。全治40日の大怪我を負った筆者の血で編集室は血だらけになり、止めに入った男性スタッフ4人も負傷した。構成員2人は現行犯逮捕され、共に懲役1年4ヵ月の実刑判決を受けた。

 この事件には、裁判の過程でも解明されなかった不透明部分もあったが、「雅子妃」とすべきところを「雅子」と記述したというこちらのミスが、右翼2人に大暴れする理由を与えてしまったということだけは認めざるを得なかった。普通ならば、謝罪することで笑って許されるというレベルのケアレスミスだが、それにすらイチャモンをつけて「休刊しろ!」と迫ってくるのだから、いくら出自が任侠系の右翼団体とはいえ、何事も話し合いをすれば打開の糸口が見つかるという筆者の信念が吹っ飛ぶ、あまりにも理不尽すぎる抗議だった。

 こうした右翼団体による威嚇的な抗議行動は、筆者のような一匹狼タイプであっても、スタッフ4人に被害が及ぶような事態になれば、動揺せざるを得ない。最初から筆者ひとりに危害が及ぶ分にはやむを得ないという覚悟はあったが、スタッフにまで危害が及ぶのは本意ではなかったし、予想外の出来事だったからだ。これが、大手メディアの場合には、より組織的な対応が迫られるために、事前に自主規制してしまうことが圧倒的に多くなる。『風流夢譚」事件以降、右翼団体のターゲットにされたのが、大手メディアではない、少部数のマイナー系雑誌ばかりだったということが、そのことを雄弁に物語っているのではないか。

 大手メディアの場合には、右翼だけでなく、宮内庁への〝配慮″もある。たとえば、かつて大手の女性週刊誌が、皇族の女性を表紙に起用した際、写真が裏焼き(左右反転の状態)になっていたことで、自主的に全部数を刷り直したことがあった。一般読者は気がつかないはずの裏焼きぐらいで、全面刷り直しというのは大げさだが、そもそも写真自体がお貸し下げ写真(宮内庁から借り受けた写真)という事情もあって、皇室や右翼団体に対する神経の使いようは尋常ではないのだ。これじゃ、メジャー誌においては宮内庁や右翼に配慮し て、皇室がタブーになるのは必然だろう。

 このような理不尽が大手を振ってまかり通る国家なのだ、日本は。天皇家がさかんに平和で慈しみにあふれた家族を装っていても、この理不尽が「天皇制」の正体だ。<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>という<アジア的>構図。

 このような理不尽な暴行者に対する刑が懲役1年4ヵ月とは甘い。出てくればハクがついたとさらに顔を醜悪にしてのさばることは目に見えている。言論封じを目的とした暴力に対してはもっと厳しく対処すべきだ。

 岡留さんは「任侠系」と言っているが、住吉会は「任侠」とは全く無縁だろう。国家権力に寄生して暴力を飯のタネにしている単なる暴力団だ。暴力団が右翼を偽装するのは、その集団がやはり<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>とから成り立っているからだ。もちろん、住吉会は狆ゾウにも寄生している。いや、持ちつ持たれつなのだろう。インターネットで検索すると「安倍晋三―工藤会―住吉会―救う会―統一協会―創価学会……」という金魚のウンコ的連鎖がわんさか出でくる。


今日の話題3

米国の属国・日本(18)

現在、主従国共に似た者同士が権力を握っている

  1月30日の記事「米国の属国・日本(17)」で、是非多くの人に知ってほしいと思って日刊ゲンダイDIGITAL版で出会った論説を二つ紹介しましたが、そのうちの一つ『トランプに驚くほど似ている 安倍首相の危ない精神構造』
は登録会員にしか閲覧できないものでした。そのことを付記するのを忘れていました。まだ登録会員ではない方、ごめんなさい。
 遅ればせながら、今回はその論説(ちょっと長いです)を全文転載させて頂くことにしました。


トランプに驚くほど似ている 安倍首相の危ない精神構造

   やっぱり、病的な人格異常者なのか――。
   アメリカ、カナダ、ドイツなどの著名な精神医学の専門家70人超が、トランプ大統領(71)の担当医に対して、精神面の検査を要請する書簡を送っていたことが分かり、アメリカ国内で話題となっている。

   CNNによると、書簡は1月11日に送付されたという。70人を超える専門家は、トランプの言動について、
    発言にまとまりがない、
    衝動を抑制する能力が疑わしい、
    同じ内容の発言をくり返す、
    読んだり聞いたり理解したりするのが困難
   ――といった所見を挙げているそうだ。

   たしかに、素人から見てもトランプの言動は常軌を逸している。マトモじゃない。
   動かぬ証拠があっても平然と嘘をつき通し、批判されると逆ギレ、ツイッターで個人を執拗に攻撃するという異常ぶりである。
   発言も一貫性がない。金正恩を「ロケットマン」とバカにしたかと思ったら、「仲良くやれる」と、言うことをコロコロ変えている。
   とうとう最近は、自分のことを「極めて情緒が安定した天才だ」と称賛しはじめる始末だ。
   これでは世界各国の専門家が危惧し、精神面の検査を要請するのも当然というものだ。

   精神科医の和田秀樹氏は、日刊ゲンダイの取材に対して
   「専門家が初期の認知症を疑わざるを得なくなったと考えます。検査を求めたのは当然の行為です」
    とコメントしている。

 ■専門家27人による驚きの精神分析

     精神医学の専門家が、トランプの精神構造に警告を発したのは、実は、今回が初めてではない。
     2017年10月、アメリカの専門家27人が、「ドナルド・トランプの危険な症例」という共著を出版し、トランプの精神構造について詳細に分析している。
   本を紹介した「ニューズウィーク」によると、自己愛が専門のハーバード大教授のクレイグ・マルキンは、トランプの行動パターンについて<自己愛性パーソナリティー障害とサイコパシーが混ざりあった時の「悪性の自己愛」>だとしている。
   さらに、ハーバード大のランス・ドーデス元准教授は、トランプのことを、他人への共感が欠けている「ソシオパス(社会病質者)」と断じている。

   やはり、トランプは人格障害なのか。明大講師の関修氏(心理学)はこう言う。
    「トランプ大統領は自己愛性パーソナリティー障害だと思います。自分のことを選ばれた特別な人間だと妄想してしまう。メディアをフェイクニュースと攻撃するなど、自分を否定する相手を激しく攻撃するのは典型的な症状です。事実かどうかは関係なく、自分が正しいと思ったことが正しい。本人は、発言に一貫性があるかどうかなど、気にもしていないでしょう。金正恩を“ロケットマン”とバカにしたのも、“仲良くやれる”と発言したのも、本人は正しいと思っているはずです」

   トランプは、「使わない核兵器を持っていることにどんな意味があるのか」などと信じがたい発言をくり返している。こんな危ない男が核のボタンを握っているのだ。専門家が警告する通り、一刻も早く精神鑑定を行うべきだ。

■トランプも安倍首相も疑惑まみれ

   しかし、トランプに精神鑑定が求められるなら、安倍首相にも精神科医の診断が必要なのではないか。
 安倍とトランプは、精神構造が驚くほど似ているからだ。
   場当たり、逆ギレ、反知性主義。さらに、オレ様は正しいという独善と幼児性……。
   国民を敵と味方に分断させる政治手法や、多様性の否定、自分を批判するメディアを敵視する姿勢もまったく同じだ。
   ついでに、2人とも疑惑まみれである。

「安倍首相はトランプ大統領とよく似ています。一番の共通点は、自分を否定する者に対して権力者とは思えないほど、怒り狂うことです。抑制が利かないのでしょう。
 都議選の時、市民がヤジを飛ばしただけで、頭から湯気を立てて『こんな人たちに負けるわけにはいかない!』とブチ切れている。
 トランプ大統領も、演説会場でヤジを飛ばした聴衆に『あいつをつまみ出せ!』と激怒しています。
 最高権力者なのに、SNSを使って個人攻撃をするところも同じです。外務省OBの田中均氏に外交を批判されたら、逆ギレして『彼に外交を語る資格はありません』とフェイスブックに書き込んでいる。

 <事実>に関心がないところも一緒。事実よりも、自分に都合のよい情報を信じ込む。安倍首相は、ネトウヨが書き込んだフェイクニュースをもとに国会でヤジを飛ばして大問題になったこともあります」(政治評論家・本澤二郎氏)

■自己愛性パーソナリティー

   もし、トランプが「自己愛性パーソナリティー障害」だとしたら、安倍も同じなのではないか。
   「自己愛性パーソナリティー障害」は、<自分は特別な存在>で<自分を称賛してくれる取り巻きを求め><自分のやり方に注文をつけられると相手かまわず激しく反撃に出る>といった特徴があるそうだ。
   安倍そのものだ。「自己愛性パーソナリティー障害」だと考えれば、安倍の行動はすべて納得がいく。

   「さすがに『自己愛性パーソナリティー障害』だとは思えませんが、安倍首相が『自己愛性パーソナリティー』なのは間違いないでしょう。
   安倍首相とトランプ大統領は同じ気質です。ただ、トランプ大統領と違うのは、安倍首相には強いコンプレックスがあることです。父も祖父も優秀で東大卒なのに、自分は勉強がまったくできなかった。
   <自分は特別な家柄に生まれた選ばれた特別な人間だ>という気持ちと、<本当は能力が低い>という気持ちが同居しているのだと思います。
   だから、弱いところを突かれると、パニックになり、ヒステリーを起こし、早口で相手を攻撃してしまうのでしょう」(関修氏=前出)

   アベノミクスを進める安倍は、二言目には「この道しかない」と国民に訴えている。
   「この道しかない」と口にする人は、モノ事を多面的に考えることが苦手で、鬱になりやすいそうだ。

ファイティングポーズを取らない日本のマスコミ

        それにしたって、日、米のトップ2人が<事実>に関心がなく、すぐにブチ切れるのだから恐ろしい話だ。本当に戦争が起きかねない。
   しかも、2人とも、どうせ全肯定か全否定されるのだから、支持してくれる味方のためだけに政治をすればいいと決め込んでいるから最悪である。
   社会から多様性がなくなり、国民はどんどん分断されてしまう。

   アメリカと比べて情けないのが、日本の大マスコミだ。アメリカのメディアは、トランプから「フェイクニュース」と攻撃されても、「OK、かかってこい」とファイティングポーズを取り、記者を増員してトランプ発言の“ファクトチェック”を続けている。

   なのに、日本の大マスコミは、安倍と酒を酌みかわしただけでうれしそうにしているのだから、どうしようもない。

  「アメリカのジャーナリストで大統領と夜な夜な杯を重ねるなんて聞いたことがない。権力に気に入られるのではなく、権力を監視するのがジャーナリズムの役割だと分かっているからです。
  ところが、牙を抜かれた日本の大マスコミの記者は、厳しい質問さえしない。安倍首相は平然と嘘をつき続けているのに追及もしない。
  もし、日本の大マスコミが“ファクトチェック”を含めて、安倍首相の実態を正確に伝えていれば、トランプ大統領と同じように、とっくに歴代最低の支持率をつけているはずです」(本澤二郎氏=前出)

  このまま、イカれた2人を放置していたら、いずれ取り返しのつかないことになる。

天皇制問題(4)

  前回に続けて、宇都宮さんの論説の次の項「戦後の天皇制」を読みます。

  敗戦国日本は主権を失い 「連合国軍総司令部」(GHQ:実質的にはアメリカ軍)の占領下におかれますが、連合国軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国など)の間では、天皇の戦争責任か取りざたされ、天皇制廃止の声もあがっていたということです。しかしGHQは、軍部の反乱を抑えて、日本の統治をうまくやるためには天皇制を残して利用した方が良いと考えました。 この方針は天皇制をなんとか残したいという日本の支配層の思惑と一致し、天皇制は残ることになりましたが、ご存知のように新しい憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、天皇は絶対的権力者から「象徴」に変わったのでした。
  そして、天皇が絶対的権力者から「象徴」に変わったことにあわせて、皇室典範の改正がGHQのもとで行なわれました。

   皇室典範どのように改正されたのでしょうか。
   それまでは皇室典範は明治憲法と並ぶ最高法規と位置づけられていましたが、新憲法のもとでは他の法律と同じ位置づけとされました。
   明治の皇室典範では、元号は天皇一代に一つの元号と定めていましたが、天皇の権威と深く結びついたものだったので元号制度はGHQの指示により規定が削除されました。    しかしその後、戦前の天皇制と深く結びついた制度が復活してきました。
   1966年 紀元節(神武天皇の即位日とされた日)の復活
        「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改悪で2月11日が「建国記念日」とされた。
   1979年 「元号法」制定
   1999年 「国旗国歌法」(「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法律)制定。

   なぜこのような反動的な動きが可能になってしまったのか。それは根本的には「天皇の戦争責任」を曖昧にしてしまった点に求められます。
   ここからは宇都宮さんの論説を直接転載することにします。


天皇の戦争責任

  戦前における日本の値民地支配や侵略戦争の責任を追及していくと、軍の統帥権を持ち、統治権を総攬し、立法・行政・司法三権の主権者である天皇の責任に行き着かざるをえない。
 しかしなから、アメリカは戦後の日本の統治をうまくやるために天皇制を残したほうがよいと判断し、天皇の貢任を追及しなかった。
  最高責任者の追及があいまいになり、結局「東京裁判」で戦犯として裁かれた人たちだけの責任になってしまった。
  戦後、国民か象徴天皇制を受け入れたことは、天皇の責任をあいまいにすることにつながり、結局は軍部や政府関係者など責任追及をあいまいにしてLまった面がある。

  この点、徹底して過去に向きあい、現在もナチスの戦犯の責任を追及し続けているドイツと大きな差が出てきている。
  岸信介は戦争中、東条内閣の閣僚の一人で、当初は戦犯として追及されたが、その後復活して内閣総理大臣になっている。
  ドイツでは、ナチスの閣僚だった人間が戦後首相や大統領になることは考えられないことである。


民主主義から考える

  日本国憲法は「基本的人権の享有」(第11条)「法の下の平等」(第14条1項)を保障している。
  しかしながら、天皇を含む皇室と、それ以外の国民とを区別する制度であり、悪法で定めた法の下の平等と矛盾する「差別」という問題を含んでいる。
  また一方で、天皇や皇族の基本的人権が保障されていないという問題もある。現状では天皇や皇族には参政権はないし、集会・結社・表現の自由、居住・移転・職業選択の自由など人権も侵害されている。
  国民主権の民主主義国家においては、憲法第1章には国民主権について規定するの当然のことと考えられる。ところが、日本は国民主権の民主主義国家であるにもかかわらず、現憲法では「天皇」が第1章となっている。
先般、秋篠宮が宮中祭祀の大嘗祭については、国費で賄うことに疑問を呈し、皇室の私的費用である内廷費で対応すべきではないかと発言し、話題を呼んだが、このような問題提起は国会や国民のほうから先に提起をして全国民的議論が行われるべきなのである。

  私は、今年5月韓国の光州・ソウルを、また6月にはスウェーデンを視察に行ってきた。
  韓国とスウェーデンに共通していたのは、市民・国民の側の強烈な主権者意識、主人公意識であった。両国では民主主義とは単なる多数決の制度ではなく「民」すなわち市民・国民が主人公になることだと、とらえられている。
  わか国の市民・国民の中で主権者意識、主人公意識が希薄であるのは、明治時代につくられた天皇制イデオロギーを戦後も十分に克服できていないことと関係があると思われる。