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歴史隠蔽偽造主義者たち(10)

「慰安婦強制連行」捏造論(3)

 前2回の今田さんの論考によれば「慰安婦強制連行」捏造論など全く無知にして無恥な者たちにしか為し得ない妄言であることは明白だ。だが哀しいかな、そうした無知にして無恥な連中が政界にはびこっている。『週間金曜日1014号』(2014年10月31日刊)が「歴史修正主義 日本の政治家に蔓延する病」という特集を組んでいる。その特集の巻頭論考を書かれているのは、このブログに何度も登場して戴いている能川元一さんである。その論考を取り上げよう。その論考の表題と枕の文は次の通りである。
なぜかくも愚かで低次元な議論がまかり通るのか
国会内外の妄言に見る「自民党・右派の醜態」

自民党や右派は、『朝日』バッシングによって自分たちの「慰安婦」をめぐる主張が正当化されたとでも思っているのか。その言動を検証すると、あまりに見当外れの暴論ばかりだ。こうした結果、世界での日本の評価を決定的に貶めている現実を彼らは理解できないのか。

 では本文を読んでいこう。無知にして無恥な政治家が続々登場する。

 安倍内閣は、『朝日新聞』が8月5日付朝刊で故吉田清治氏の「証言」を取り上げた過去の記事を撤回したのを最大限利用し、「慰安婦」問題を歪曲する試みを今日も続けている。

 自民党の石破茂幹事長(当時)は早くも8月5日当日、「検証を議会の場で行うことが必要かもしれない」と発言、『朝日』関係者を国会招致する可能性を示唆した。その後10月に、『産経新聞』の前ソウル支局長が朴槿恵(ぱくうね)大統領への名誉毀損容疑で起訴されるとメディアに強権的に介入しようとする韓国政府への批判が強まったが、自民党前幹事長がメディア関係者への恫喝ともとれる発言をしていたことも記憶されるべきだろう。

 またこの日の石破発言についてもう一つ指摘しておきたいのは、「国民の苦しみや悲しみをどう解消するか」などという転倒した課題を設定してみせている点である。これは、安倍晋三首相のお気に入りのフレーズともなった。『夕刊フジ』9月5日付の単独インタビューで、
「(「誤報」で)多くの人が悲しみ、苦しみ、国際社会において日本の名誉が傷つけられている」
と発言している。

 10月3日には、衆院予算委員会で自民党政調会長の稲田朋美議員が「吉田証言をもとに日本の名誉は地に落ちている」とし、党内に吉田「証言」の影響を検証する特別委員会を設置すると表明。これに対し首相は、
「多くの人々が傷つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメージは大きく傷ついた」
「いわれなき中傷がいま世界で行われている。誤報によって作り出された」
と答弁した。

 しかし『朝日』の「誤報」は日本軍「慰安婦」問題の全体を認識するうえでは些末なものにすぎず、国際社会に与えた影響が微々たるものであることは本誌が再三指摘してきたとおりだ。

「強制連行」はあった

 野党側からも、いち早く『朝日』の検証記事に反応した一人が、大阪市の橋下徹市長だったことは驚くにあたらない。日本軍「慰安婦」について「必要だった」などとした発言が、当人が代表をしていた旧「日本維新の会」の党勢衰退につながったと見られていたからだ。

 8月8日の登庁時の会見では、
「少しでも僕が発言したことが(『朝日』の訂正の)きっかけとなったんであれば、それはもう僕は政治家冥利に尽きます」
と自画自賛した。さらに「挺身隊」との混同や、吉田「証言」の紹介は他紙にもあったとする『朝日』の反論について、橋下市長は
「読んでいて不快に思った。自分を正当化している」
と激しく非難している。しかし橋下市長は、同じように他国にも「慰安婦」のような女性はいたとして、日本軍を「正当化」しようとしたのではなかったのか。

 この旧「日本維新の会」から分かれた「次世代の党」幹事長の山田宏衆院議員も、以前から「河野談話」の取り消しを要求しているが、今度は「談話」発表時の河野洋平官房長官(当時)の記者会見での発言が、「強制連行」に言及していことが問題だと主張し始めた(『産経』10月20日ほか)。これについては、菅義偉官房長官も10月21日の参院内閣委員会での答弁で、
「私どもはそこ(注=河野元官房長官の「強制連行」発言)は否定し、政府として日本の名誉、信頼を回復すべく、しっかり訴えている」
と同調。政府の公式な意思として、「強制連行」を否定する結果となった。翌22日付の『朝鮮日報』電子版は「菅長官が河野元長官の発言を明確に否定したのは今回が初めて」と報じており、今後反響が国外で拡大する可能性は高い。

 しかし、これまで国内の研究者、被害者の支援団体の間だけではなく国際的にも、吉田「証言」には依拠せずに就業詐欺や甘言、人身売買により、本人の意に反して「慰安所」に送られたことが「強制連行」と認識されている。また、日本軍の占領地で直接的な暴力や脅迫による、安倍首相の言う「人さらい」のような「強制連行」があった事実も明らかになっている。

 こうした前提を無視し、「強制連行」の否定にこだわればこだわるほど、首相や右派の「慰安婦」問題理解の歪みは国際社会での孤立を招いている。

 安倍首相は9月14日にNHKの番組に出演した際、『朝日』の「誤報」により「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にした」ことを国際社会が「事実」だと受けとめたため、各地で「慰安婦」碑ができているなどと語った。

被害者への「二次加害」

 だが米国パリセイズ・パーク市で最初に「慰安婦」碑が設置されたのは、吉田「証言」が報じられたはるか後の2010年10月で、そのきっかけは皮肉にも第一次安倍内閣時代の07年、首相の「狭義の意味での強制性を裏付ける資料はなかった」という発言が米国で批判を浴びたためだ。事実、碑文などに用いられている「abduct」という語は、被害者を騙して誘拐する行為も指す動詞だ。

 なおこの07年には、訪米した安倍首相はブッシュ大統領(当時)の共同記者会見で「慰安婦」問題を追及された挙げ句、
「元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである」
などと発言。今になって「慰安婦」問題は「言われなき中傷」などと口にする安倍首相は、7年前と同じ発言をできるのか。

 一方で政府は、すでに「強制連行」否定への具体的な一歩を踏み出している。外務省のホームページから、「アジア女性基金」への「拠金呼びかけ文」が削除されていたことが翌10月11日に明らかとなった。菅官房長官は10月15日の会見で「政府作成の文書とそうでない文書が混在」していたため「整理」したと説明。だが、削除のきっかけとなったのは、前出の山田議員が同月6日の衆院予算委員会で、呼びかけ文の「十代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」という表現を問題視する質問をしたことであり政府の意図は明白だ。

 現に韓国外務省報道官は12日、「河野洋平官房長官談話を継承するという日本政府の発言が信じられるのか疑問だ」と、呼びかけ文の削除を批判している。

 自民党の動きはさらに露骨だ。同党の外交・経済連携本部国際情報検討委員会(原田義昭委員長)は9月19日、「慰安婦」問題に関する決議を採択したが、そこでは「いわゆる慰安婦の『強制連行』の事実は否定され、性的虐待(、、、、)も否定された」(傍点引用者)と、日本軍の責任はもとより、何と「慰安所」における人権侵害そのものを否認している。すべてを吉田「証言」の「誤報」に還元する、暴論の極地というべき主張だろう。

 さらに同党の萩生田光一総裁特別補佐は10月6日に出演したテレビ番組で、「河野談話」について「見直しはしないが、新たな談話を出すことで結果として骨抜きになる」などと発言した。しかし内容面で後退した新談話を出せば事実上「河野談話」を否定したものと受けとられるのは確実で、こうした姑息な方法で内外の批判をかわすことは到底不可能だろう。

 このような政府・与党の動きは日韓関係の改善を妨げるのみならず、いまだ世界各地に生存している日本軍による戦時性暴力被害者に対する悪質な二次加害であることを、決して忘れてはなるまい。
歴史隠蔽偽造主義者たち(9)

「慰安婦強制連行」捏造論(2)

前回『「慰安婦強制連行」捏造論(1)』の引用文の続きです。
動員対象に「軍慰安婦」

 一方、当時の「動員」の対象職種に「軍慰安婦」があったことを示す、いくつかの公文書が存在する。その一つが、43年の公文書〈文書B〉だ。厚生省関連の「動員」業務の中に「軍慰安所に於ける酌婦女給等の雇入就職の認可に付ての厚生大臣への稟伺(りんし 労務調整令に依るもの)」があることを明記している。

 「労務調整令」とは、「国民徴用令」とともに、「動員」を国民に強制する法的根拠になった法令だ。日本の植民地・朝鮮にも適用された。違反すれば厳しい罰則があった。

 この公文書によると、「慰安婦」にするための「供出」の認可権限は同年12月から、それまで厚生大臣(あるいは朝鮮総督)であったものを廃止し、地方長官(内地では各県知事、朝鮮では道知事に該当)に委譲した。

 さらに、44年の公文書〈文書C〉では同年1月から、その権限を県(道)内に限り廃止した。実態の後追い措置だろうが、軍の命令と日本内地の知事の認可だけで、官憲が朝鮮で「慰安婦狩り」をできるようにしたと考えられる。

 上文中に「稟伺(りんし)」という初めて出会う熟語が出てきた。「伺」の意味は「うかがう」だから、おおよその意味は分かるが、念のため手元にある国語辞典と漢和辞典を全て調べてみたが、どこにもこの熟語はなかった。官吏だけに通用した用語なのだろうか。
 念のため、「新漢和辞典(大修館版)によると「稟」の意味は7点挙げられているが、ここで使われている意味としては「⑥つつしむ」「⑦申し上げる。奏上する」が該当する。


「極秘」の通牒が示すもの

 44年の公文書〈文書C〉には、不可解な個所が二つある。
 一つ目は、「動員」先の労働の職種を示す文字の一部が、黒い墨で消され、「(×××××××)慰安所的必要に依り酌婦女給を雇入れの場合」となっていることだ。
 二つ目は、根拠法令として示されている「昭和十六年十二月十六日」の厚生省の「第一八六号通牒」がどういうものであるのか不明なことだ。

 一つ目の疑問は、国立公文書館で、現物の公文書をよく透かして見ることで解決した。墨で消されている文字は、「○の要求に依り」だと、なんとか判読できる。「○」とは「軍」の伏せ字だろう。
 二つ目の疑問は、「極秘」という印のついた、戦中の厚生省の通牒〈文書D〉の発見で解決した。ピンク色の表紙の裏には「注意」と題して次のような文章がある。
 〈本書は労務調整令関係事務遂行上の参考資料として同令関係通牒を集録したるものなるも何れも秘及極秘扱の通牒なるを以て取扱に付ては万全を期し秘密保持に特に注意を要す〉

 通牒には12の「業態」が列挙され、その4番目に「酌婦、女給」がある。その下の説明文「認可標準」には、「○の要求に依り慰安所的必要ある場合に厚生省に禀伺して承認を受けたる場合の当該業務への雇入のみ認可す」とある。

 14歳以上25歳未満で、専門技能もなく、国民学校(小学校に相当)を卒業もしていない女子の「動員」先の職種を、官庁が指定したものだ(労務調整令第7条)。当時の朝鮮は日本内地と違って義務教育制が導入されず、朝鮮人女性の大半が国民学校に行けなかった(注4)。

(注4)
 植民地朝鮮の教育事情は、『証言・未来への記憶・アジア「慰安婦」証言集I」所収の金富子氏の論文に詳しい。


 この「極秘」の通牒は教育を受けた一部の女性を除き、未成年を含む大半の若い朝鮮人女性を「軍慰安婦」として、日本の官憲が強制連行したことを示す決定的証拠である。ちなみに、同通牒は、戦中の内務省職員、故・鈴木僊吉(せんきち)が秘蔵していたものだ。

 公文書集〈文書A〉には、「国民動員計画」による朝鮮人の「供出」が急増し、朝鮮人の逃亡や抵抗が激増するとし、次のような官憲による取り締まりの強化を説くくだりがある。

日本官憲こそ大うそつき

 〈未婚女子の徴用は必至にして中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝はり此等悪質なる流言と相挨って労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる…鮮内外に於ける労務者の供給確保の為には労務動員手段の強化……は必至にして……国民徴用令、労務調整令違反の根絶……労務に関する悪質流言の取締……等警察力を以て指導取締を強化する……を必要とす〉

 しかし、これまで明らかになったように、「慰安婦となす」という「動員」目的は「荒唐無稽なる流言」ではなく、官憲が必死に隠そうとした"軍事機密"だった。朝鮮人女性を強制連行した当時の日本官憲こそ、大うそつきである。

 いま、「慰安婦の強制連行を示す証拠はない」などと、戦中の日本官憲と同じ立場に立った言説を、安倍政権や右翼タカ派の学者らが繰り返している(注5)。歴史を歪曲することは許されない。

(注5)
 秦郁彦氏『慰安婦と戦場の性』(99年、新潮社)は、「慰安婦となすがごとき…流言」を「(朝鮮)総督府では単なるデマではなく、一種の反日謀略ではないかと疑っていた」と、当時の日本官憲の発言を正当なもののように紹介している[368頁]。


 またしても歴史隠蔽偽造主義者の破廉恥親玉・秦郁彦が登場している。
歴史隠蔽偽造主義者たち(8)

「慰安婦強制連行」捏造論(1)

 私はこれまで「慰安婦問題」については詳しいことはほとんど知らなかった。真実を度外視した議論に騙されないために、今回はその問題の真実を知ることが第一の目的である。

 ではまず、歴史隠蔽偽造主義者たちは「慰安婦問題」の何を問題にしているのか。「慰安婦」と呼ばれる人たちがいたことは否定していないようだ。その人たちが強制連行さていたという点を捏造と騒いでいるらしい。

 今教科書にしている週間金曜日の特集の慰安婦関係の記事は6件もある。とても全部を取り上げることはできないが、ともかく第1記事をよんで問題の要点を把握することにしよう。

 第1記事の表題と論説者は次のように紹介されている。
『朝鮮人女性「年間1万人」強制連行の動かぬ証拠』
 第二次大戦末期、日本の植民地だった朝鮮から朝鮮人女性を集めて日本内地や国外に送る強制連行が、1944年度の「国民動員計画」だけで年間1万人に及んでいたことが、新たに見つかった「極秘通牒」などの戦時中の公文書でわかった。文書を発見したジャーナリスト・今田真人(いまだ まさと)さんが「官憲による慰安婦狩り」の真相に迫る。

なお、論考文末に次の注記がある。
『※記事で引用した公文書の表記はすべて、旧字体の漢字を新字体に、カタカナをひらがなに改めた。』

 では、本文を読んでいこう。

公文書で明らかになった官憲による「慰安婦狩り」

 最近、戦中の日本政府の対朝鮮支配機構=朝鮮総督府関係の公文書〈文書A〉を読んでいて、アッと驚いた。

 その中に、「昭和十九年度内地樺太南洋移入朝鮮人労務者供出割当数調」という表があったからだ。朝鮮人女性1万人の「供出」を、朝鮮13道(日本の都道府県に相当)に割り当てている。  昨年、「朝日新聞」などで「信憑性」を問われた故・吉田清治氏の43年5月の「200人の慰安婦狩り」の舞台、済州島は当時、全羅南道に属した。公文書では、その全羅南道で「女1500人」の供出が目標とされている。吉田証言を裏付ける資料ではないか。

(管理人注)
 ここに出てきた吉田証言の核心は「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」という記事であったが、のちに朝日新聞が誤記事として取り下げた。これを捉えて右派のマスコミや論客が「吉田氏の発言をうのみにして報じた」と朝日バッシングを始めるとともに、この吉田証言を「慰安婦強制連行は捏造だ」という主張の最重要論拠として用い始めた。


 次の節では戦時体制下での国家権力(1%)が99%を消耗品扱いする恐ろしさを表徴する「国家総動員法」が取り上げられていて、その恐ろしさを詳細にたどっている。

秘密協定による"奴隷狩り"

 当時の日本政府の官庁の一つ、企画院(43年11月から軍需省)は39年度から44年度まで、国家総動員法に基づき、戦争遂行のための日本人などの「勤労動員」を、「国民動員計画」(41年度までは「労務動員計画」と呼ばれた)として、毎年度立案し、閣議決定した。

 「計画」は日本政府と朝鮮総督府との片務的な秘密協定(注1)により、当時、日本の植民地だった朝鮮にも適用された。このため、朝鮮人にとっては、異民族政府の官憲による事実上の"奴隷狩り"に転化した。

(注1)
 国立公文書館所蔵の公文書集『公雑纂・昭和十七年・第八巻・内閣に所収の公文書「極秘・労務関係例規集」中の「昭和十六年度労務動員実施計画に依る朝鮮人労務者の内地移入要領(昭和十六年十一月二十日協足)」など。


 ところで、先の公文書〈文書A〉の中にある「男29万人」は、44年度の「国民動員計画」(注2)に計上されている公式人数と同じだ。だが、同「計画」の公式な朝鮮人女性の朝鮮外への「供出」は、各年度とも「―」、つまり「ゼロ」とされている。

(注2)
 同館所蔵の公文書集『昭和十九年公文別録・国家総動員計画及物資動員計画関係書類三』。


 同公文書〈文書A〉には、39年度から44年度までの「国民動員計画に依る計画数」という一覧表も掲載されている(次ページの表参照)。  不思議なことに、朝鮮人の朝鮮外への「供出」の合計数は、「公式な国民動員計画」を40年度から各年度、1万~3万人程度上回っている。44年度は1万人上回るが、それは女性の「供出」1万人とも一致する(同表)。

 上で「表参照」と書かれている表を転載しておこう。
国民動員計画

計画に「女性なし」?

 この点について、戦中に発行された43年度「国民動員計画」の解説書(注3)を発見し、謎が解けてきた。

(注3)
 国会図書館所蔵の政府当局者の解説書『企画院第三部・山内第二課長講演、昭和十八年度国民動員計画の解説』(43年7月15日、生産拡充研究会、非売品)。


 同書の中の朝鮮人女性の朝鮮外への「動員」についての質疑応答部分を引用する。
▽質問
 朝鮮人はどのくらひ使つてをるでせうか。
▼課長
 数ですか。…毎年入れるのは其の年によって相違はありますが、最近は計画上は大体十二万位です。けれども出て行くものもあり期間満了によって帰鮮するものもありますからそう沢山の増加は致しません。
▽質問
 それは男子朝鮮人だけですか。女子はをりませんか。
▼課長
 をりますけれども計画の中で女子をのせたことはないのです。たゞある方面で必要上少々女子を集団移入として入れたものもあります。

 同解説書は、朝鮮人女性の朝鮮外への「供出」を公式な「動員計画」に載せてはいないが、秘密裏には実施してきたと告白している。公式な「計画」と朝鮮総督府の公文書との差は、朝鮮人女性の朝鮮外への「供出」数を示している可能性が大きい。

 (次回に続く)
歴史隠蔽偽造主義者たち(7)

「南京大虐殺」捏造論(3)
 前回の記事「歴史隠蔽偽造主義者たち(6) 「南京大虐殺」捏造論(2)」の続きです。

 今回の記事の中の、特に秦郁彦の言動を見ると、歴史隠蔽偽造主義者たちが全く恥じることがなく合理性のないウソを突きつづけている心底にある目的を垣間見ることができる。

 これは山田支隊が実行した虐殺ではないのですが、秦氏は草鞋峡で起きたことはすべて山田支隊のやったことにしたいようです。でないと、彼の言っている「軍民合わせて4万人」という虐殺数 のつじつまが合わなくなってくる。だから秦氏は『南京事件』増補版で、魯甦証言の虐殺日を「18日」から「17日」に移動させることまでやってのけています。しかも、捕虜虐殺の責任を参謀に押しつけ、上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)中将(注6)の命令を巧妙に隠そうとしているようにも見えます。

(注6)朝香宮鳩彦王中将は皇族の軍人。1937年12月当時は南京攻略を担った上海派遣軍司令官を務めたが、戦争責任は問われず、戦後、皇族を離れた。

能川
 フジの番組でも言っています。「松井司令官(注7)は釈放しろと言った」。けれども、参謀の長勇(ちょういさむ)が従わなかったのだと。

(注7)中支那方面軍司令官だった松井石根は南京虐殺の責任を問われ、東京裁判で死刑判決を受け、処刑された。

小野
 そんな一参謀の判断で勝手に何万人もの捕虜虐殺ができるわけがないですよ。この大虐殺の翌年、1938年1月24日付の『磐城時報』という地域紙に、敗戦後、参院議員や衆院議員を経て福島県知事になった木村守江がこう書いています。
〈捕虜二萬余の始末に困った〉〈捕虜をどうしたかと言ふことは軍司令官の令に由った〉
と。木村は第65連隊第一大隊の軍医でした。軍司令官というのは皇族の朝香宮。秦氏はその責任を覆い隠そうとする。

能川
 番組に出演された山田朗氏も言及していましたが、日本は満州事変(1931年)以降、「臨陣格殺(りんじんかくさつ)」といって、捕虜をその場で殺してよい方針が「暫行懲治盗匪法」に規定されました。否定論者は兵士の捕虜を殺したのは戦争だから仕方がない、問題は民間人の殺害だなどと言っていますが、日本も批准していた戦時国際法では民間人はもとより、降伏した捕虜を保護しなければなりません。

ネット内での反響

――NNNドキュメンタリーの話に戻りますが、番組の反響などについて能川さんはどう見ていますか。

能川
 ネット内ではちょっと異例と思えるほど、右派からのネガティブな反応が見られませんね。「今のご時世でこれを放映するのはエライ」などという反応が多い。否定派からは意味のある反応はほとんどなく、「捏造だ」などという定番の拒否反応だけです。「(中国側の主張する虐殺数)30万人はありえないと思っていたが、これを見たらあり得ると思った」という反応もありましたよ。
 私は08年のドキュメンタリーも観ましたが、それに比べると今回は非常に気を遣っているなと思いました。好評の理由として、「きちんと裏をとっている」というのが多かったのですが、今回は日本兵の日記さえも裏をとるところを見せていました。08年のときとは違って「元兵士の日記」ですら目に見える裏づけがなければ受け容れられないという風潮をスタッフが感じたのか、と思いました。

――なぜこの番組が好評を博したのかと思われますか。

小野
 南京大虐殺を詳しく知っている人から見れば、不満の残る内容であったかもしれませんね。しかし、きちんと裏をとる、現場を踏むという清水潔さん(NNNドキュメンタリーのチーフディレクター)のスタイルが徹底していて、これなら確実というところだけを表に出していますね。

能川
 ただ、確実なところ、異論の出にくいところだけにすると、逆に全体像が見えにくくなることもあります。否定派は南京大虐殺の証言について「伝聞ばかりだ」などと批判しますが、大量虐殺というのは元々、証拠自体を消す「二重の殺戮」です。目撃者も殺してしまうから直接証言が出にくい。証拠がなければ事実ではないというなら、あらゆる大量虐殺が否定されてしまいます。

小野
 被害証言の声だけを集めても説得力がない。加害側の記録や裏づけをしつこいほどにとることが大事だと思います。

――小野さんが約20年で収集した「陣中日記」は31冊にのぼるとか。

小野
 はい。最後の一冊は非常にユニークな形で人手しました。何度も訪ねていた家なんですが、「3・11」の地震で蔵がつぶれて、「日記がありました」と遺族の方から電話が入ったのです。原発事故もあり悶々としていた時期でしたので一瞬、気分爽快というか……。しかし残念ながら、78年もの歳月が経ってしまった南京問題は今後、資料を収集するのも困難です。

能川
 ますますテレビも取り上げなくなり、新聞も新しい証言などがないと扱いにくい。一方で、右派は新味がなかろうが同じことを何度も繰り返す。知らない人はそれを見ると、まるでとても重要な ことのように思ってしまいます。

歴史とどう向き会うか

――南京大虐殺の犠牲者数は東京裁判では20万人以上、中国側は30万人、日本では数万人とかもっと少ないとの主張もあります。80年近く経つのに加害国として自分たちのやったことの歴史検証ができず、大虐殺の事実を矮小化したり、あわよくばなかったことにしようという自称・歴史家やメディアがいるのは恥ずべきことです。今後、どう歴史に向き合ったらよいのでしょうか。

小野
 侵略=加害の認識をどう広めてゆくかが課題でしょう。マスコミの問題は大いにありますが、それとともに一つひとつの部隊が南京でどう行動し、何をやったのかを明らかにしていくことが我々に課せられた大きな課題。この点の解明が一番遅れているのです。

能川
 否定派は兵士であれば捕虜でも殺していいなどと言うが、広島原爆の被害者から軍人を除こうとは言わない。日本の被害についてはその論法を使わないんです。あくまで南京での違法な虐殺だけを犠牲者とし、しかもその数を恣意的に減らそうとする。かりに新しい資料が出なくても、これまでの証拠や資料をどう受け止めるのかも大事で、こうした否定派のやり方を認めてはいけません。

小野
 数の問題ではないのです。俺が調査した元兵士はこう言いました。「南京で歩兵第65連隊が大量の捕虜を虐殺をしたことは事実だ。誰が否定しようとも否定できない。しかし、毎日、夢の中に出てきてうなされる捕虜の顔は上海で虐殺した一人の捕虜の顔だ。虐殺したとき、こちらに迫ってくる顔がどうしても忘れられない」。南京の大虐殺は一人ひとりの兵士にとって捕虜の顔の見えない大虐殺だったのですね。

歴史隠蔽偽造主義者たち(6)

「南京大虐殺」捏造論(2)

日本会議(2)で特集「日本会議とは何か」の第三論考を書いた能川元一さんの論考を取り上げたが、特集『「南京」と「慰安婦」』の第二記事はその能川さんと小野賢二という方の対談である。小野さんは次のように紹介されている。
おの けんじ・福島県いわき市出身。南京事件調査研究会会員。1988年から南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の元兵士への聞き取り調査と資料収集を実施。小野賢二他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)など。

 つまり、小野さんは「南京大虐殺」捏造論者たちの論拠を徹底的に否定できる研究者である。いつ頃どんな本で読んだのか思い出せないが、南京で日本軍が捕虜を虐殺してその死体を揚子江に流して処理したという記事を読んだことがある。この対談にもそのことが語られている。

 さて、お二人の対談の表題は『南京大虐殺とどう向き合うか~話題になったNNNドキュメンタリー~』で、その進行とまとめは「週間金曜日」編集部の片岡伸行さんが担当している。これまでの記事と重複する部分もあるが、全文掲載しようと思うが、長いので2回に分けて掲載する。まず枕の文から。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)が南京大虐殺公文書11点を「世界記憶遺産」に登録(日本時間10月10日発表)した前後、日本テレビが深夜枠で放映したドキュメンタリー「南京事件/兵士たちの遺言」(10月4日、11日再放送)が話題に。番組に出演し、資料を提供した小野賢二さんと歴史修正主義を批判し続ける能川元-さんが南京大虐殺をめぐる情勢を語った。

 対談者の写真と紹介文にお二人の一言が付されているがそれも紹介しておこう。
『「右派は日本の被害には「虐殺否定」の論法を使わない―能川』
『侵略=加害の認識をどう広めていくかが課題―小野』

 では本文に入ろう。(全体の文末に「注」がまとめて掲載されているが、該当文の直後に付すことにした。)

――タイムリーな放映で話題になったNNNドキュメンタリーの中で重要な資料を提供した小野さんは2008年にも南京大虐殺を扱った同局のドキュメンタリーに出演されています。2008年と2015年、7年間の経過の中で南京大虐殺に関する日本国内の論議や意識の変化をどう感じておられますか。

小野
 20年ぐらい前には南京大虐殺を「なかった」と語った大臣は辞任せざるを得なかった状況だったと記憶します。この7年、大きな論戦はないですね。ただ、マスメディアは「南京大虐殺否定論」を一方的に垂れ流し、加えてインターネット内でも否定する言説が増えました。これが徐々に民衆に浸透し、そのような考えの持ち主が現在の権力を握ったというのが現状ではないでしょうか。
 南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の基幹部隊だった歩兵第65連隊の兵士のほとんどは、俺の地元である福島県出身者でした。収集した「陣中日記」や証言などで、山田支隊は2万人近い中国人捕虜を全員虐殺し、揚子江(長江)に流したことは間違いないと結論づけました(注1)。

(注I)山田支隊の虐殺は1937年12月16日と翌17日に、揚子江(長江)岸に建てられた魚雷営と、大湾子にそれぞれ捕虜を連行し、計1万7000~8000人を虐殺したことを、元兵士の証言と一次資料によって結論づけた。

これに対し、南京大虐殺否定論者からの表立った反論はないですね。

否定派の自滅

小野
 なぜなら、自衛発砲説(注2)に添ってもっとも多く語り続けた板倉由明氏(99年没)は、自らの見解を「決め手になる資料はない」として敗北宣言します。やはり、東中野修道氏も軍(師団としているが)の命令による虐殺を認めてしまい、さらに裁判所から「被告東中野の原資料の解釈は…(略)学問研究の成果というに値しない」と断定されてしまいました(注3)。

(注2)非戦闘員の解放さらに捕虜収容所の火事で半数が逃亡。捕虜を解放するために揚子江岸に連行したところ暴動を起こしたのでやむなぐ銃殺した、とする説。
(注3)南京事件を証言した夏淑琴氏に対し、東中野修道氏が『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)で「偽証言」などとしたため、夏氏が提訴。07年11月、東京地裁の三代川三千代裁判長は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」などとし400万円の賠償を命じた。東中野氏は控訴・上告したが、09年2月に最高裁は棄却。敗訴が確定した。


 それぞれ自滅した格好なんですが、問題は秦郁彦氏ですね。この人は、11月12日に放映されたBSフジの番組(注4)で、山田支隊の虐殺を認めているような言い方をしながら虐殺数を少なくする。捕虜を虐殺した当事者が書いた陣中日記の記述に「戦闘中の行為」だの「優しい日本兵が書いたのでしょう」などと訳のわからないコメントを繰り返す藤岡信勝氏よりも巧妙ですね。

(注4)BS「フジプライムニュース『南京事件』とは何か 3論客の見方相互検証」のゲストとして秦郁彦、藤岡信勝、山田朗の3氏が出演。

能川
 私もその番組を観ましたが、秦氏は虐殺数について「軍民合わせて4万人。自分の著書に書いたこの数字をここ20年余り変えていません」などと話していますね。中公新書の『南京事件』の増補版(07年)では小野さんの調査に触れていますが、犠牲者数推定は替えていない。「過半が仮名にしてあるのは惜しまれる」などと書いていますが、それなら問い合わせをして自分で現物を確かめればいいのにそれもしない。

小野
 前述したとおり、山田支隊は12月16日だけではなく翌17日にも揚子江岸の別の場所で捕虜を射殺し、計1万7000~8000大虐殺しています。その死体の山を揚子江に流す作業を18、19日の2日間かけてやっている。また、俺が人手した2人の兵士の日記の中に「12月18日の捕虜大量虐殺」の記述があります。そこには「二万三千人」と「一万」という虐殺数が書かれている。この3日間を合わせると、計三万数千人になる。この地点の日本側の資料では山田支隊の捕虜虐殺しか明らかになっていませんが、東京裁判での魯甦(ろそ)証言があり、彼は草鞋峡(そうあいきょう)での大量虐殺を目撃し、その虐殺数を五万七千人人余としています(注5)。

(注5)南京の警察官だった魯甦は城壁近くの四所村、五所村に収容されていた軍民5万7418人が下関・草鞋峡で1937年12月18日に虐殺されたと証言した。

(次回に続く)