FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題3

米国の属国・日本(6)

 今回は辺野古問題に戻ります。
 辺野古問題には欧米の識者たちも深い憂慮を示しています。新聞の切り抜きの中にその事を取り上げた記事(9月9日付)がありました。まずそれを紹介しておきましょう。


「沖縄の要塞化」辺野古反対
                欧米識者ら133人が翁長氏死去後に声明


  欧米を中心とする研究者や文化人ら133人が7日、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)への移設について「今こそ(日米は)沖縄の『要塞』的役割を考え直すときだ」と反対する共同声明を出した。2014、15年にも同様の声明を出しているが「状況は良くなるどころか悪化している」と懸念。県知事選候補者に対しては「普天間飛行場閉鎖と辺野古新基地中止という民意を実行に移す意思を明確にすること」を求めている。
  声明に署名したのは米国の映画監督オリバー・ストーン氏、ゲッティ・共同、言語学者ノーム・チョムスキー氏、歴史学者ジョン・ダワー氏、ノーベル平和賞を受賞した北アイルランドのマイレッド・マグワイア氏ら。

  声明は、日本政府が沖縄に固執するのは「県外に基地を造るのが『政治的に不可能』だと思っているからだ」と指摘。故翁長雄志(おながたけし)知事が辺野古沖の埋め立ての承認を撤回する考えを正式に表明した後、急逝した経緯にも触れた上で、県民民意は一貫して反対だとして「基地建設は国民主権や自治権など憲法の原則にも反する」と批判した。
  その上で、トランプ米大統領と安倍晋三首相に、辺野古の新基地建設中止と沖縄の米軍基地の削減、最終的な撤去に向けた交渉を始めるよう求めた。
                  (小嶋麻友美)

 さて、米国の属国・日本(4): 米国の属国・日本(5)で東京新聞の『辺野古・高江リポート』という記事を転載しましたが、その続編が2108年11月20日付と2018年11月27日付の東京新聞紙面に掲載されました。これを転載しておきます。

 



【12日】
  米軍普天間飛行移設に伴う沖縄県名護市辺野古への新基地建設で、沖縄防衛局は海上でのオイルフェンス設置作業を進めた。
  大浦湾側はオイルフェンスと浮具(フロート)で囲われ、辺野古崎より南側にあるk4護岸の沖合にオイルフェンスを設置した。
  基地建設に反対する人たちはカヌーや抗議船で海上に繰り出し、オイルフェンスの設置作業に抗議した。
  同日は米軍の戦闘機が墜落したこともあり、名護市から抗議に参加した山口陽子さん(55)は「どこに基地があっても危険だということを日本全体が気付いてほしい」と強調した。

 【14日】
  辺野古での新基地建設工事で、沖縄防衛局は汚濁防止膜の設置作業に着手した。
  「K9護岸」周辺に停泊するクレーン台船でつり上げ、海中へ投入された防止膜は瀬嵩の沖合に約100㍍が取り付けられた。
  臨時制限区域を示すフロート付近では、工事に反対する市民ら約20人がカヌーや抗議船から「違法工事を許さない」「これ以上、沖縄の宝の海を壊さないで」と即時中止を訴えた。

 【15日】
  辺野古での新基地建設工事は米軍キャンプ・シュワブのゲート前で資材搬入が再開された。
  資材搬入は8月3日以来。へリ基地反対協議会の仲本興真事務局長は「左手で握手し、右手で殴るようなやり方だ。.政府の県民に寄り添うという言葉がいかに方便かが現れている」と指摘した。

 【16日】
  辺野古の新基地建設で沖縄防衛局は、埋め立て区域周辺のフロート設置を終えた。
  海上作業の様子を調査していた市民が午前、残されていたK1護岸付近に浮かぶフロートの開口部が閉じられていることを確認した。

 【17日】
  辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は辺野古沖で汚濁防止膜を設置する作業を進めた。
  武熊明子さん(52)=東京都=は、高校2年生と小学校4年生の娘二人と初めて辺野古を訪れた。
  「観光では来たことがあったが、今回はひめゆりの塔や旧海軍司令壕にも行き、違う沖縄を見た。政府は沖縄戦の時と同じように沖縄を〝捨て石″としているのでは」 と語った。

                         琉球新報の記事を転載しています)


「国は誰を見ているのか」

 【l9日】
   米軍普天間飛行場の移設に伴う沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は、汚濁防止膜の設置作業を進めた。
  「K9護岸」周辺に停泊するクレーン台船で汚濁防止膜を海上に降ろし、タグボートで牽引して海上に設置した。
  臨時制限区域を示すフロートの周辺ではカヌー6艇、抗議船1隻が作業を確認し、抗議した。
  抗議船に乗り「不屈」と書かれたプラカードを持っていた熊本県水俣市に住む78歳の女性は
   「水俣は発展のためと言って海を(公害で)つぶされた。沖縄の海も、戦争なんかのために基地を造ってつぶされそうだ。今あるもので十分なのに」
   と汚濁防止膜の設置作業をじっと見ていた。
    「水俣市は公害でやられた。国のやることに(国民は)ずっと付き合わされている。国は誰を見ているのか分からない」
   午後は米軍キャンプ・シユワブゲート前で座り込みによる抗議活動が続いた。

 【20日】
   辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は海上で汚濁防止膜の設置作業を進めた。陸上でも建設資材の搬入が行われた。
   米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、大型トラックやミキサー車など計158台が3回に分けて、基地内に入った。
   市民ら約60人が搬入を阻止するため座り込んだが、機動隊によって排除された。
   市民らは歩道から
     「きれいな海を埋め立てたら一生元に戻らない」
     「子どもたちの未来に基地は要らない」
                          と口々に訴えた。

 【24日】
   辺野古の新基地建設で、米軍キャンプ・シユワブ沖では、沖縄防衛局の複数の作業船がオイルフェンスを点検する作業が確 認された。
   大浦湾では浮具(フロート)が100㍍以上にわたり撤去された。沖縄地方に台風28号が接近していることから、市民らは「台風対策のためではないか」と推測した。
   初めて沖縄を訪れたという田中由紀子さん(69)=神奈川県=は
     「基地問題は沖縄だけの問題ではない。今日足を運んだ経験を、周りと共有することが重要だと思う」と語った。
                                                      (琉球新報の記事を転載しています)

今日の話題3

カタカナ英語とローマ字略語

 私はかねてよりカタカナ英語やローマ字略語が多用されている文章に辟易としていました。
 幸いインターネットでの検索を利用できるので、なんとか日本語に翻訳して読むことが出来ましたが、最近はカタカナ英語やローマ字略語の使用がますます多くなってきたようで、いささかうんざりしていました。
 同じ思いを抱いている人が多いのではないかと思っていましたが、東京新聞からの切り抜き記事の中にそれに関する記事があったことを思い出して探し出してみました。

 カタカナ英語については読者の投稿記事を掲載する「発言」欄からのもので、ローマ字略語については『日米TAG交渉入り:農家へ「目くらまし」?』という記事でした。
 ところで偶然にも、三日ほど前に配達された『週刊金曜日(1210号)』の小室等さん書かれているコラム記事『なまくらのれん』が「カタカナ英語」を取り上げていました。これら三つの記事を転載しておきましょう。
 (後の二つの記事は長いので要点だけをと思っていましたが、色々と教えられる事項が盛り込まれているので全文転載します。)


公開討論番組 横文字避けて
                     俳優 岩本 照雄 73(東京都世田谷区)

  先日、消費税がテーマのNHK「日曜討論」を視聴しました。
  著名な識者の方々が出演した討論の中で、説明時に使われる横文字用語があまりにも多いことにいささか閉口しました。

  「スイッチングコスト」:「ダイバーシティー」:「テレワーク」といった用語の意味をどれだけの視聴者が理解することができたでし ょうか。
  識者の方々が普段の会合、会議において使用している言葉だと思いますが、われわれ高齢者には一向に理解できません。
  公開討論番組においては横文字用語の多用をできるだけ避けてほしいです。そして、七十三歳の老人にも分かりやすい、日本語として意味が通じる言葉の使用をお願いしたいです。
  それにより、価値ある討論番組として視聴し、残り少ない人生の道しるべにしたいと思います。



日米TAG交渉入り 農家へ「目くらまし」?: FTA、EPA、FFR…貿易分野また略語

(前文)
  日米両政府が交渉入りに合意したTAG(物品貿易協定)。貿易分野でまた、聞き慣れない英字の略語が出てきた。FTA、FFR、EPAなど貿易にからんだ略語が続出している現状は、農産品市場の自由化を警戒する農家への「目くらまし」を政府がもくろんでいるかのように映るほどだ。 (矢野修平)

  「え、また三文字英語か。もう覚えられないよ」。TAG交渉開始の知らせを聴いた養豚業界団体の幹部が嘆いた。
  二国間以上で関税削減を進める協定は、FTA(自由貿易協定)と呼ぶのが一般的だ。これにに対して日本政府は、今回のTAGを「これまで日本が締結してきた包括的なFTAとは違う」と説明する。交渉対象が物品のみで、サービスや投資分野が含まれないからだという。しかし専門家の間では「世界的にはFTAそのもの」との見方が強い。

  WTO(世界貿易機関)のルールでは、原則的に関税の削減は全加盟国を差別せず、一律に行うことになっている。これは、世界経済のブロック化が戦争を招いたという反省から生まれた取り決めだ。
  FTAは、この例外規定として位置付けられる。貿易量の九割以上の品目を対象にする場合に限り、特定の国同士で関税を下げ合うことが認められている。逆にFTAを結ばなければ、特定の国にだけ関税を下げられないきまりだ。
  だが、FTAによる農産品の関税引き下げは、安価な輸入品の流入につながるため、農家の警戒感が根強い。このため日本は、米国との新協定の名称に造語をひねり出し、FTAと呼ぶことを避けたようだ。
 欧州連合(EU)やチリなどと結ぶEPA(経済連携協定)も、農家の懸念をそらすために日本が独自に使い始めた。これは、電子商取引や知的財産権のルールを含めたFTAのことを指している。
  一方、TPP(環太平洋連携協定)とRCEP(東アジア地域包括的経済連携、アールセップ)は、個別の多国間協定の略称で、いずれもFTAの一つだ。
  FFRは貿易協定でなく、日米間の閣僚が貿易協議する会議の呼称だ。


カタカナ英語

  知ってのとおり福島智(ふくしまさとし)さんは、ヘレン・ケラーと同じ障害の盲ろう者てある。
  福島さんは現在、東京大学の附置研究所である、東京大学先端科学技術究センターバリアフリー分野の教授をなさっている。   先端科学技術とは何なのかと思ってホームページの、先端科学技術研究センター所長の挨拶文を見ていたら気になったことがある。

  〈(前略)現在、生物医化学、環境・エネルギーから情報、材料、そして社会科学、さらにはバリアフリー分野をカバーし、各領域で展開が図られています。さらにこれら多様な研究力を生かし、先端研全体の事業として、地方自治体や地域産業との包括的な連携プラットフォ-ムの設置、誰もが最大の能力を発揮できる場を創造する「インクルーシブデザィンラボ」の構築、そして若手研究者が存分に活躍できる「若手アライアンス」の構築を勢力的に進めています。先端研は、持てる研究力を最大限に発揮し、教員と職員が一丸となることでさらなるシナジーを生み、(後略)〉

  カタカナ英語、多すぎない?
  日本語に翻訳せず、英語のまま用いることが昨今多くなったことについて、『「日本語の歴史』(岩波新書)の著者、山口仲美(やまぐちなかみ)氏がスタジオシプリの小冊子『熱風』10月号のィンダビューで言っている。

  〈できることなら、翻訳したほうがいい。というのは、翻訳することで、本当の意味で日本人の血となり肉となるからです。「イノベーション」なんて言わないで、「技術革新」と翻訳していく。「アイデンティティー」なんて言わないで、「自己認識」と翻訳していく。そうすると、その意味内容がしっかり把握できて、知l誰がうわっ滑りLないのね。日本語に翻訳していくことで、そのことの真実をつかめるんですね〉

  バリアフリー(物理的、精神的な障壁のない)、プラットフォーム(コンピュータ利用の基盤となる環境? これ僕には難しい)、インクルーシブ (包括的)、デザインラボ(デザイン研究室?)、アライアンス(企業連合)、シナジー(共同作用、相乗作用)。

  山口さんの言うとおり、極力翻訳でいくほうがいいよね。

  オッと、それでか。政治家かやたら英語を使いたがるのは、知られては都合のよくない真実をつかまれたくないから?

(まったく別の話題になるので「後略)


今日の話題3

人権週間の少女の投稿記事二編

  私が住んでいる東京都北区では区の広報として毎月三回「北区ニュース」という広報紙を発行しています。
  NO.1598号(11月20発刊号)の一面に「人権週間」にちなんだ小学校六年と中学校三年の二人の少女の投稿記事が掲載されていました。
  これら作文に溢れている少女たちの優しく純真な姿勢に私は涙をこぼしそうになったほど感動しました。今回はそれを紹介します(それぞれ長い作文なので一部省略されて掲載されています)


  「仲間はずれで学んだこと」
           袋小学校  六年 高山 倖葵」

   (前略)私は一度一年生のときに遠足てお弁当の時間友達と食べようと思い、「いっしょに食べていい」と、言ったとき、「もうこれ以上入れられないからどっかいってよ」と、みんなから言われました。
   言われたときいつもならやさしく、「いいよ」と.言ってくれる友達がそんなこと言うなんて思っていなかったのでおどろいたのと、どっかいってよという言葉に傷つきました。
  一人でどうしたらいいのか分からず、困っていると男の子が声をかけてさそってくれました。男の子だったのてはずかしかったのですが、声をかけてくれたのが、私は本当にうれしかったです。

  私は、この経験を通して軽い気持ちで言った言葉は簡単に人を傷つけてしまうということを学びました。もしその場面があったら、必ず手を差しのべてあげようと思います。
  私は、将来、人と関わる仕事につきたいと思います。そのときにいじめの深刻さや辛さを伝えられるのは、私たちだと思います。

  今後、自分がされたら嫌なことを友達にくり返さない、相手の気持ちを思いやれる社会になることが大切だと思います。


「誰でも持てる権利」
           王子桜中学校 三年 永田 彩乃

  父からある話を聞いた。それは.父が若いとき仕事でインドネシアにいったときの話だ。
  インドネシアのアグン山に登ったとき、バケツいっぱいのコーラをもった女の子かいた。その子は、目が合うやいなや、父の方に寄ってきて、「コーラ。」と一言いったらしい。父は.その痩せた体を見るなりかわいそうで、思わすコーラを全部貰わずにはいられなかったそうだ。そして、その子と話しをしてみると、女の子は、きちんと学校に通えていないということがわかった。父はそのことがきっかけで、その手の支援を始めた。そしてその子は、立派な女性になり、子供も生まれた。子供もその子も、「父のおかげ。」と言ってくれたそうだ。

  私は、父の話を聞いて.学校で学ぶということは、子供にとって生活や未来に関わる大切なものたと感じた。

  インドネシアというと、きれいなビーチがあり、今年アジア大会が行われたジャカルタなどは、観光地として有名で華やかだ。しかし、一歩奥へ入るとこのような状況の子供たちが大勢いた。

  私は、父の影響で、母と共にアジアの国々に絵本を届ける運動に参加したことがある。その活動を始めるに当たって、こんな実験をさせられた。

  私たちの目の前に、突然記号のように見えてしまうミャンマー語の文字で書かれた瓶が三本置かれた。そこには「水」「毒」「薬」とそれぞれ書かれていた、しかし、私達には当然その文字は読めない。
  その中から「水」を選ばなければならないという実験だった。私は、偶然「水」を選び、母は「毒」を選んでいた。怖いとは思わないだろうか。もし、水を飲もうとして飲んでしまったら.母は死んでしまうかもしれない。きちんと答えは書いてあるのに、文字が読めないために、このようなことが起きてしまうのだ。私達は当たり前に学校に行き、文字や生きていくために必要な学力を身に付けている。学校以外にも、当たり前のように、テレビやスマートフォンから、行ったこともない国の様子や、食べ物や、動物を知ることができる。
  (中略)絵本を届ける国々の中には、難民キャンプで生まれ、そのまま難民キャンプから一度も出られない生活をしている子供たちがたくさんいるという。

 (絵本を送る運動での)私の仕事は主に、その国の言葉に翻訳したシールを絵本に貼り、送ることだ。子供たちは、絵本を通してたくさんのことを知ることができる。
   (中略)それは、絵本を送った国からお礼の手紙が届いたことだ。そこには、お札の言葉に絵本のおかげで夢ができたという文章だ。ある男の子はパイロットになりたい、また、パティシエになりたいという女の子の文章を見たとき、私は感動した。

  私はそれらを通して、学校などで勉強をする権利が、世界中の全ての子供たちに与えられることが必要だと思った。
  そのことによって、子供たちには、将来への夢がてき、また暖かい心を知り、自分で自分の命を守ることができる。そして言葉を知り、視野が広くなることで、子供たちがいつか大人になった時、平和を考える心優しい人になると私は考える。

  だから私は、誰ても勉強できる権利は必要だと思う。世界中の子供たちに、勉強できる権利を与えてほしい。私も勉強できることに感謝しつつ、そういう社会を作っていく一員になれるよう一生懸命学んでいきたいと思う。

今日の話題3

詐欺を防いだ少年(小5)

  11月21日付の東京新聞の社会面で、久しぶりに転載したくなるような良い記事(福浦未乃理という方が書かれた記事です)に出会いました。
  それは拍手喝采したくなるような賢くも勇気ある少年の記事です。転載ておきましょう。


祖母への電話に「詐欺だよ!」

  祖母が受けた二セ電話詐欺を機転を利かせて防いだとして、横浜市中区の小学5年藤田杏さん(11)が20日、神奈川県警山手署から感謝状を贈られた。
  同県警が小学生にニセ電話詐欺で感謝状を渡すのは初めて。

  署によると、5日に自宅に電話があり、同居する祖母(77)が出た。デパート職員を装う男が
   「あなたのクレジットカードでかばんを買おうとした人がいた。悪用されたかもしれないので銀行から連絡が来る」
  と言い、間もなく銀行協会職員をかたる男が電話をかけてきて
   「ここに連絡するように」と.電話番号を伝えた。

  横で聞いていた藤田さんは、祖母がクレジットカードを持っていないのを知っていたため不審に思い、タブレット端末で調べて詐欺の手口と気付いた。
   「詐欺」だよ!」
  と大声で伝え、祖母が電話口から離れた際には受話器取り、
   「これ詐欺ですよね?」と相手を問い詰めた。
  祖母と2人で署を訪れた藤田さんは、本城宏一署長から感謝状を受け取り
   「これからも気をつけたい」と笑顔で話した。  

今日の話題3

四十数年前の作品(2)

 論説の一つは「化石が蘇る」という表題で天皇制の問題を取り上げています。言うまでもなくこの問題は現在にまで連綿と続いている問題ですが、四十数年前の一青年論説としては今でも通用する良く書けた論説だと自画自賛しています。しかし、顔をしかめて反発する人が多いかもしれませんね。改めて問題提起ということで掲載しておきます。

   

化石が蘇る

 ぼくが日本国憲法を初めて読んだのは中学一年の時だったと思う。第一条と第九条が特に強調され教えられたという印象がある。
 その時、第九条の方は大変明確なことですぐに納得できたのに対して、第一条の方はぼくにはどうしても理解できなかった。

 その後、第九条の方は、予備隊→保安隊→自衛隊と日本の軍隊の名称の変化とともに、ぼくが納得していた意味とはますますかけ離れたものに恣意的に変えられてきた。
 そしてその都度第九条は多くに人に論じられ、大きな問題としてぼくの意識の中に定着している

 その一方、第一条の方は表面きって論じられることもなく、普段はほとんど忘れられているのは何故だろうか
 ぼくが初めて憲法を学んだときの疑問は相変わらずのままなのだが、天皇が日本国の象徴であるという変てこな規定が他の人にはすっかり納得できているのだろうか。あるは納得できないぼくが愚かなのだろうか?

 最近、新聞の天皇に関する記事には最上級の敬語が麗々しく使われている。これが以前からのことなのか、最近急に起こってきた現象なのか、いまそれを調べる余裕がないが、ぼくには大変奇異な感じがする。

 「万世一系」であった頃、「天皇」という言葉が口にされるとその場に居合わせたものは全員直立不動の姿勢をとったというが、それを彷彿とさせるような語調である。しかし、ことは文法の問題ではない。
 つい先日、ニクソン大統領が天皇の訪欧の折に天皇と会見をしたいということを申し出たそうだが、その時の記事では天皇を「元首」と呼んでいた。「象徴」とは「元首」のことだったのか。そのうちに「君主」になるのかも知れない。

 天皇の存在が一般に問題とされないのはそれが新たにタブーとなりかけているためだろうか。それとも、天皇制イデオロギーは既に化石であって、もう蘇る心配がないからだろうか。
 天皇制イデオロギーそのものは蘇らなくとも、それと同じ論理が隠微な形でもう久しい以前からぼくらを圧迫していると思うのは、ぼくの誇大妄想のせいだろうか。
 とまれ、天皇制イデオロギーを意識せざるを得ない問題が、ぼくの身近にあって、ぼくは最近それに大変こだわっている。

   わがきみは、千世にやちよに さざれいしのいはとなりてこけのむしまで (岩波古典文学大系の古今和歌集巻第七より. 通し番号343)

 これは日本の国歌「君が代」の本歌である。岩波古典文学大系にはこの歌に頭注があって
 『「きみ」は広く用いることばであって天皇をさすとは限らない』
 とある。これは高校生程度の古典の素養があるものにとっては常識である。その程度の常識をなぜわざわざ頭注にしたのだろう。ちなみに「きみは」という句を用いている他の歌を任意に数首さがしてみたが、「きみ」についての頭注は後にも先にもない。この頭注は343の歌に限ってつけられたものらしい。

 この頭注を付けた人の心にどんな意識が働いたのだろうか。
 「わがきみは」というときの「きみ」は一般には女性が男性を呼称するときの二人称代名詞であるが「君が代は」というときの「きみ」は天皇以外のものを指すことはありえない。頭注者は一般読者が国歌の「きみ」の意味を本歌にまで敷衍することをおそれて注意を促そうとしたのか、あるいはその逆で本歌の「きみ」の意味を国歌にまで敷衍しようという心積もりなのか、いずれにしても、これもことは文法の問題ではないと、ぼくは思う。
 本歌を読むときにさえ、国歌を強く意識せざるを得ない、その時に起こったであろう頭注者の意識の微妙な屈折は、恐らくぼくらにとって見過ごせない問題である。

 軍隊と警察と教育を掌握したときの国家権力は絶対である。どのような体制の国家であれ、国家権力は教育を我がものにしようと躍起になる。
 明治憲法下の天皇制イデオロギーが教育の場を通して、とりわけその度々の儀式を通して青少年の意識のうちに刻み込まれていったことは周知のことだ。
 そして今、この国の国家権力の志向が奈辺にあるかは今問題になっている教科書問題や中教審答申の中に集約的に示されており、もっとあからさまには学校での国歌斉唱がじわじわと強要されつつある。
 国民が国歌を歌うのは当たり前、「きみ」は天皇を指すとは限らず、この歌は祝い歌に過ぎないという皮相なでまかせの論理が、歌っても歌わなくてもどっちでもいいじゃないかという大多数を吸収していく。

 国際的な行事や国家行事さらには大相撲の会場にいたるまで、国家がうたわれる機会は多い。人々は一体どういう気持ちでなにを考えながら「君が代は」という句を歌い、あるいは聞いているのだろう。それは心に何の屈折も起こさず、ストレートに通過してしまうのだろうか。

 最後にもう一つ素朴な疑問。
 社会党や共産党の先生方は、目出度く政権を握るようなことが起こった時、ありがたくかしこまって天皇から認証のお言葉を頂くのだろうか。国際上の場で国歌が必要な時、おごそかに敬虔に「君が代」に耳を傾けるのだろうか。