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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第738回 2007/02/26(月)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(6)


「国家改造計画綱領 第八、労働の国家統制」
一、統制経済下に於ける労働者及び農民は、腐朽せる自由主義下の 偏見を清算し、国家的見地に立てる新指導精神を確立し、以て綜合 的国力増進の中枢機能たる真使命に邁進すべし。

二、国家は国民的利益の見地より労働者及び農民の生活向上を保証 し、適切なる社会的施設を断行するの責務を負ふも、同時に、労働 者や農民の行動に対して公的統制を加ふべし。

三、統制経済下に於ける労働者及勤労階級は、各々その業種別組合 を組織して、国家の公認を受け企業家と団体交渉をなし、其の正当 なる階級利益を擁護し、進んで生産協働体なる使命を発揚すべし。 雇傭主は使用者が公認組合に加入せる故を以て、その雇傭を拒否す るを得ず。

四、国家は生産力の破壊と停頓とを来すが如き一切の私的闘争は 厳格に之を禁止する。国家はその最高至正の立場に居りて、凡て の労使内の紛争を調停裁断し、いやしくも背反するを許さない。


 ここに社会ファシストとしての中野のぎまんがもっとも鋭く象徴 されている。

 中野がしきりにかいている<国家>とか<国家的見地>とかいうも のは、もともと実体のない観念にすぎず、 国家権力にたいする科学的な省察がない 点は、北の場合とかわりがない。

 しかし北が国家的というばあい、民族的な共同体の伝統的構成を 意味しているが、中野が国家的見地というばあいに、ブルジョワ国 家機構そのものを意味していることは、あきらかである。また、 佐野、鍋山的な転向者は、ほとんど中野と逆立した地点から中野と の同一点に結合するものであった。

 中野はブルジョワ・イデオローグとして、資本主義の危機をきり ぬけるために、国家を<最高至正>のものとして設定し、これに よってブルジョワジーと労働者、農民との階級的な対立を、折衷 しようとし、そのことによって資本制生産の永続化をはかったの である。

 佐野、銅山は労働者、農民の階級的観点にたちながら、日本の 社会構成と権力の特殊性を科学的にとらえることができず、それ を、民族的特殊性と伝統性の問題のなかに解消せしめた。ここに おいて民族社会主義への転向が生じ、それは、特異的に国家社会 主義へと移行していったのである。

 中野のマルクス主義運動にたいする批判は、人民を国家観念の 外に逸脱せしめた故をもって未熟と矛盾とをはらむものであると いう点におかれた。そして、階級闘争一点張りの原理をすてて、 「国家的見地を恢復せねばならぬ」とされたのである。

「労働者と農民とは各々其の職能により、須らく綜合的国力増進 の最前線に立ちて奮闘すべきである。綜合的国力とは国家の武力、 経済的生産力、労働者、農民及び一般大衆の体力、智能力、精神 力等総てを総括するものである。此の踪合的国力増進の障害たる 限度に於て資本主義を打倒すべし、此の綜合的国力崩壊の害毒た る認識に於て共産主義を撲滅すべし」

などという卓上理論は、綜合的国力などというものがブルジョワ 独裁の固定化に直通する幻想であることを理解せずにおこなわれた、 社会ファシスト、転向者、民族的社会主義者に共通した指標にほか ならなかった。


「第九、日満統制経済の確立」

 綜合的国力の増進が、たんに日本だけの限られたはんいで労働者、 農民と資本家との統制的な協調によって成しとげえないことは、 自明であるため、中野はブロック経済論をかりて日清両国の相互 依存を正当化せざるをえなかった。

 中野がとりわけ強調したのは、日清両国の通貨本位の統一と、 日本資本団による国家的統制下における満州開発であり、いわば 実質的に金融と産業資本の投下による満州併合の政策であった。

 満州中央銀行インフレーション的方策(日本はその公債発行に応募 すべし)。
 日満合弁の満州開発金融機関建設。
 日本資本団の満州産業への直接投資。
 日本国家の保証による満州への建設用材の信用売込み。
 欧米資本の吸収(日本の仲介を要す)。

 これらの条項のことごとくが実質的に日本のブルジョワ独裁に よる帝国主義的な膨脹政策以外の何ものをも意味するものではない。

 北一輝は、すでにはやく改造法案のなかでこの間題を、

「国家内ノ階級争闘ガ此ノ劃定線ノ正義二及シタルガ為メニ争ハ ルル如ク、国際間ノ開戦ガ正義ナル場合ハ現状ノ不義ナル劃定線 ヲ変改シテ正義二劃定セントスル時ナリ」

とかいて合理化している。民族至上主義者としての北が、あくまで も心情的な基礎にたって日本の帝国主義的な膨脹の合理化をやった のに対し、中野は、ブルジョワ独裁によるブロック経済圏確立をも とめてこれを合理化したのである。

 ここに、日本の農本的ファシズムと社会ファシズムとの本質的な 差別があらわれたばかりか、社会ファシズムが天皇制のブルジョワ 支配の側面につながりながら、封建的な側面に直結した農本的ファ シズムを圧倒することができない根本的な理由があらわれていると いうことができる。



今日の話題

浅野史郎さんのハートに火をつける会

 昨日(2月25日)「いっしょに東京をつくりましょう! 浅野史郎 さんのハートに火をつける会」に参加してきました。開会まぎわに 会場(300座席)を見渡したら3分の2ほどの入りでチョッと心配しま した。開会30分後ほどに再び見渡したところ、ぎっしり満員で、 立っている人も100人ほどいました。報道関係者も50人はいたで しょうか。通路をへだてて私の隣に斉藤貴男さんがおいででした。

 参加者が「一言マニュフェスト」を訴えるプログラムに入ったところで 浅野さんが会場にやってきました。浅野さんに壇上に上がっていただいて 「一言マニュフェスト」を一緒に聞いていただきました。

 その後、浅野さんからのコメントをいただきました。前回の集会 に出られず「礼を失した」ので、今日はあくまでも礼を果たすため の来場であり「今日は何も話すつもりはありません。」とのことで したが、会場の雰囲気に「びっくりした。感激して言葉もない。」 とも言いました。

 私はナマの浅野さんに初めてお目にかかりましたが、たいへん 物静で優しさが自然とにじみ出ているとともに一本まっすぐな芯が 通っているという人柄とお見受けしました。12年間の宮城県知事と しての実績がそれを裏付けていると思います。

 会場で配布された資料のうち、私がとっても気に入った傑作パン フレットを掲載します。



 もう少しで浅野さんのハートが燃え上がると、私は期待しています。 皆さん、浅野さんに都知事選出馬要請のメールを届けませんか。もち ろん、東京在住以外の方にもお願いします。

浅野さんのホームページ専用のメールアドレス

 今度の都知事選と7月の参院選は、ファシズムへの道へと 大きく踏み外れてきたこの国の軌道を修正するための非常に需要な ターニングポイントです。その重要性を森田実さんが書いています。

森田実の時代を斬る

の『2.25森田実の言わねばならぬ[82]』です。

第739回 2007/02/27(火)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(7)


 中野が「国家改造計画綱領」を書いたのは1933(昭和8)年だった。 その後、大日本帝国は戦争拡大の方向に大きく傾斜していき、農本 ファシズムのイデオロギーが大勢を制していった。東方会も その大勢に追従して、ブルジョワ独裁論から農本ファシズムの戯画的 な部分と大差のないイデオロギーを奉じたファシスト政党へと 逸脱していった。その戯画的なイデオロギーは1939 (昭和14)年、 に発表された『仝体主義政策綱領』(中野正剛、杉森孝次郎編著) に盛り込まれることになる。

東方会綱領

一、正義国際の建設により国民生活の活路を開拓すべし。
一、国際非常時の克服に傾注し、全国民均等の努力と犠牲とに愬ふ べし。
一、政治によりて広義国防を担任し、軍部をして安んじて狭義国防 に専念せしむべし。
一、生産力の急速なる拡大強化を目標として統制経済の動向を是正 すべし。
一、全体主義に則り、階級的特権と階級闘争とを排除すべし。
一、農民、労働者、中小商工業者、俸給勤務者の生活を保障し、国 家活力の源泉を涵養すべし。


 ここで、中野正剛の国家統制を基本とするブルジョワ独裁論は、 政治的イデオロギーとしての全体主義に統一された。

 東方会における全体主義イデオロギーの根底は、北一輝の改造法 案とおなじように低俗化された社会有機体説であり、国家を全体と すれば、人民はその分肢であるから、国家の発展は分肢の発展であ り、分肢の発展は国家の発展であり、しかるがゆえに公益と私益と は矛盾するものではないという論理によって国家全体主義の合理化 が行われた。

 国家そのものにたいする科学的な省察はすこしも行われず、アプリ オリに至上権があたえられたばかりか、全体と分肢というかたちで、 幻想的な共同性は、個人をその歯車のひとつの位置におきかえたと いうことができる。

 戦後、全体ということばが組織ということばにかわって、組織と 個人とは矛盾するものではないとか、組織という観点なしには批評 は成り立たないなどという論理が展開されたことがあるが、もとよ り社会ファシズム理論の焼き直しにしかすぎない。そこでは、個的 な意志の共通性として、組織ははじめて意味をもつにいたるという 観点は、まったく存在せず、典型的なファシズム組織論、国家論が 行われているのである。


 昨今の保守反動政治家・幇間評論家や御用学者の言行の其処此処に、 このような未熟なイデオロギーの残滓が露呈している。 彼らにとって個人は国家の歯車に過ぎない。ただし、彼ら自身は その「歯車」の中に含まれていない。

 さらに東方会ファシズムは、上記のような国家全体説を情勢的 に意味づけるため、日本を特殊的全体的国家と規定する。

A、 土地を要件とする。膨脹はよいが縮小はゆるされない。八紘一宇 の大精神であり、建国以来の信念である。
B、 臣民を要件とする。減少をゆるさない。生成発展、弥栄え行く は、日本民族の信念である。
C 万世一系である。絶対である。
D 目的は八紘一宇。変更あるなし。


 すでに、理念としての東方会イデオロギーは、昭和8年の中野の ブルジョワ独裁論をさえ逸脱し、ほとんど農本ファシズムの戯画的 な部分とのイデオロギー的な差別はなくなってしまっている。

 このようなブルジョワ独裁論からの退化は、東方会の農民連動方針 と労働政策方針のなかに、いちじるしくあらわれた。

 東方会の農民運動は、建国の精神に基づき、民族の伝統に則っ て、共産主義、社会主義、自由主義的農民運動を排撃し、全体主義 的共同社会を建設することを目標とするというように、中野の綱領 は改変され、天皇制の絶対不可侵が主張されるとともに、中野の国 家統制によるブルジョワ独裁論は、

「高天ヶ原の神話社会を二一十世紀に於て現代の工業文明を内包し たまま再現することである。我々は資本主義の欠点を攻撃するが、 決してその長所を否定するものではない」(稲村隆ー)

というような、文化ファシストのユートピア論をうらづけるにふさ わしい方針におきかえられたのである。


 東方会文化ファシストたちは戦後も生き残り、「われわれは戦時 下も農民運動をつづけ、労働者の体位、健康の保全を主張すること によって抵抗した」などという詭弁をまき散らして抵抗者面をして 居直った。

 例えば、「全体主義労働政策並びに運動方針大綱」(1939 (昭和14)年) のなかの次のような項目をアリバイに掲げる。

一、労働者の体位を低下し、健康を損傷し、労働力を減耗し、労働力 の再生産を妨ぐる労働強化に反対し、労働時間を合理的に制限するこ と。
一、物価の変動を考慮に入れた弾力性のある最低最高貸金の制定。
一、失業及失業不安に対し、労働需給の強制統制、合理的失業保険の 実施。「臨時工及人夫制の廃絶。
一、出征軍人遺家族援護の制度化。
一、労働技術養成機関の普及。
一、地域的に労働大衆の修養・娯楽機関の設置。
一、労働者住宅医療機関の常備。
一、労働紛争議調停最高機関としての労働裁判所の設置。
一、労働団体の法認。


 この擬似ナチズム的な項目のいずれも、それ自体として不都合を 含むものではないが、これらはいずれも労働着の階級的な観点から 主張されているのでもなく、ヒューマニズムの立場からの方針でも ない。全体が発展するためには、分肢の労働力を保全し、労働力の 再生産プールを健全に保たねばならないという倒錯したニヒリズム の観点によって主張されているにすぎず、実質的には、ブルジョワ独 裁を強化発展させるために、労働力の保全を強調しているにす ぎない。

 ここに、東方会ファシズムによって戦時下主張された、資本制生 産の枠内におけるユートピア確立論の本性があつたということがで きる。

第741回 2007/03/01(木)

《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(2)



 中学校で日露戦争を学んだとき、私はそれをずっと昔のよその国の話 のように感じていたと思います。計算してみると52・3年ほど前の戦争だった のでした。

 今、先の敗戦から62年たっています。今、多くの若い人たちが先 の戦争をよそ事のようにしか感じないのも無理はないと思います。 「戦争責任」といっても、「それ何?」としか受け取られないかもしれませ んね。

 もう戦後ではなく戦前なのだと言われるようになって久しい。今、 名実ともに戦前だとつくづく思います。ですから今、庶民の戦争体験 を検討するのは、どちらかというと復習ではなく、近い将来に起こる かもしれないことの予習の意味合いになるのではないかとも思うので す。なにしろ「庶民の戦争体験」に限らず、戦争体験一般がうまく継 承されていず、圧倒的多数の庶民は相変わらず国家権力に従順な庶民 のままなのですから、同じことが繰り返されることでしょう。

 さて本題に入りましょう。
 問題の検討を進める手ががりとして、吉本さんは、鶴見和子・片瀬 菊枝編『ひき裂かれて』(筑摩書房)に収められている手記を利用し ています。

(1)日本の庶民社会における人間的係の特殊性にもとづく体験 と責任の問題

 この第一の問題を提示している具体例として、高橋やえ子「八月 十五日まで」を取り上げています。次はその吉本さんによる要約です。


 東京在住の主婦が、子供を連れて、親族の未亡人の家に疎開し、 そこで共同生活をはじめる。

 未亡人と疎開の主婦とは物質的な基礎がちがっている。未亡人の 方は、食糧と交換すべき豆粕肥料の入手径路をもつている。主婦は 疎開者であり、夫は出版関係者であり、食糧補給ル-トをもたな い。この両者は米ビツを共同にし、その代償として主婦は勤労奉仕 の場合に、自分が未亡人の責任を果すことを約定する。

 しかし、食糧が乏しくなり米ビツの底をつくと、未亡人一家と 主婦一家は餓鬼道的なイガミ合いをはじめる。主婦の子供が、食事 をしながら茶碗をさしだすと、未亡人は喰べさせまいとしてしつせ きする。主婦が配給のクジで当てたナベを未亡人が欲しいというと き、主婦はそれを断わる。


 敗戦後60年以上も経ち、物があふれている現今、日常的に演じら れるこのような「やりきれない精神的な葛藤」の切実さを、一体どれ ほどの人が理解できるでしょうか。

 私のおぼろな記憶がよみがえります。敗戦一年前、私は国民学校 1年。姉と弟と三人、母の実家に疎開させられました。かなり大きな 農家だったと記憶しています。

 預けられた方にとっては、私たちは歓迎されざる穀潰しだったに 違いありません。私にはそれほどつらい思いは残っていませんが、 かなりの嫌がらせを受けていたのだと思います。あるとき「家に帰 ろうね。線路を伝っていけば帰れるよね。」と泣きながら言う 姉に従って線路脇の道を歩いた記憶があります。その顛末がどうな ったのか記憶にありませんが、ほどなくお世話になる家が変わりま した。農村というより、小さな町だったように記憶します。そこでは わりと親切にされたようでした。

 さて、上記の手記から吉本さんは次のような二つの問題を引き出して います。


 ひとつは、このような戦争期の生活体験をつきつめることによって、 庶民社会の人間関係における矛盾を顕在化し、個我主義的な市民社会 関係への転化の契機をみつける問題である。

 他のひとつは、このような極限情況に おけるいがみ合いの原因を支 配体制とのいがみ合いに転化する問題である。

 わたしのかんがえでは、このはじめのひとつは、戦後の大衆的な 社会での人間関係を転換するために有力な体験的な基礎をあたえた。

 しかし、あらゆる場合に、戦後の大衆指導者は、庶民のこの戦争体 験を、支配体制にたいするいがみ合いに転化する方策をとらず、相も 変らず、反体制的な運動の問題に民族間題をもち出したり、日本人の 独立をもち出したりして、大衆がけっして再体験しまいとかんがえて いる問題を強いてきたのである。庶民社会の人間関係で、戦争中体 験したいがみ合いを、支配体制にむけかえることは、自発的には行わ れ得ない。

 庶民的な準位での戦争体験と責任の問題で庶民社会の人間関係が あるとすれば、以上の二つに要約することができる。

 日本の戦後社会の現象を解明する場合に、それを天皇制消滅後の 独占情況、大衆社会情況一般の問題としては、解消できないような、 大衆の意識的特質がしばしば存在するが、それは、このような庶民 的な準位での戦争体験の影響を考慮にいれることなしには、解くこ とはできないとおもわれる。


 「庶民的な準位での戦争体験」が次世代に継承されることがほ とんどなく、当然に「庶民的な準位での戦争体験の影響」も今で はほとんど見られません。しかし、庶民の間の人間関係の諸矛盾 はより複雑になり社会の底に澱みとして鬱積していています。 状況しだいでは相変わらずのいがみ合いが顕在化するでしょう。 庶民が、庶民から自立した市民へと脱皮し、互酬を基調とする成熟し た市民社会を構築していくという課題も、庶民間の「いがみ合 いの原因を支配体制にたいするいがみ合いに転化する」課題もなく なったわけではありません。いや、いよいよ切実な課題となってい るのです。
第742回 2007/03/02(金)

《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(3)



(2)庶民のイデオロギー的な戦争責任の問題

『ひき裂かれて』より、津村しの「無智の責任」


 戦争中、人間魚雷に乗って死ぬことを夢としていた弟が、戦後ある とき、

「たとえ、自分に偽りが全然なくとも、おれたち(わたしをも含めて) の取った態度、また思ったことは、悪いことであった。エゴイズムか らでも、戦争に協力しなかったほうが正しかったのだ」

という。主婦はこれにたいして、

「いや、わたしはそうは思わない。戦争をはじめから否定し、知性 ある節操で消墟的にでも反対の姿勢をとった人々に対しては、もち ろん心の底から頭を下げるけれども、それとは別の人々の中でも責 任をとって自決した軍人のあり方はどうしても立派に思え、戦争悪 をはっきりと認識しておりながら、時の政府の前に影をひそめて生 きていて、戦後になってからわたしは弱い人間ですなんてひとりご とを言って、きずのつかない程度に自分をあばいて見せるインテリ のあり方のほうが不潔でいやだわ」

と主張する。弟は、これに反駁する。

「例をひけばね、いま流行の新興宗教に夢中になっている人々が、 自分はきれいな気持で信仰し、選挙の際にはその宗教から立候補 した人々に、正しいと思って投票し、政治がその宗教の色にされ てしまおうとしたとき、その人々のやったことは、はたして悪く なかったかということだね。動機さえ正しければ許せるとすれば、 泥棒だって許せる場合もあることになってしまう。」

 さらに、この主婦の記録は、弟の死を決定的なものとする出征を、 悲しみもみせず平然として見送った母親が、死の病床で

「いろいろのことがあったけれど、どうしてもいちばん大きなこと は、八月十五日のことだったよ、一億玉砕しないで生きているとい うことが不思議ですね。幾日も幾日も、ご飯がどうしてものどに通 らなくてね。廃人というのだろうね。あんな状態を-」

と述懐するのを記録している。



 残念なことに、わたしたちの戦争責任論は、心情的な基礎として、 ここに記録された主婦と弟と母親の準位を超えることができていな い。超えていると自負する思想史家の戦争体験論はじつはこの心情 的基礎をしや断しているにすぎない。

 この主婦は、結論として無智であることの責任をひき出している。 いいかえれば、庶民のイデオロギー的な戦争責任は、無智の責任 という点に集約されるとかんがえている。庶民的な準位で流すか ぎり、この主婦によって引き出された無智の責任という問題以上の ものを引き出すことは不可能であろうが、問題はそれを超えておお きくひろがる部分をはらんでいる。

 国家権力によって行われる戦争は、その体制下にある庶民を、好 むと好まざるとにかかわらず動員する。物質的な意味ばかりではな く、その精神を動員して体験的な意味をあたえる。このような動員 にたいして不変な精神的体験をあげうるとすれば、限られた日常体 験だけである。

 この記録の主婦も弟も母親もあたうかぎりの精神的体験を戦争に 注入した庶民に属しているが、けっして日常的な精神体験を全部喪 失したわけではない。そこで喪失されなかったものは、戦争にたい しての日常的な精神体験である。すくなくとも、この日常的な精神 体験にいりこむとき、

「狂瀾怒涛の世界の叫も、この一瞬を犯しがたい。あわれな一個の 生命を正視する時、世界はただこれを遠巻にする」 (高村光太郎「梅酒」)

という精神的体験の世界が構成される。

 庶民社会というものは、このような日常的な精神体験の世界を、 当然の生活世界とかんがえる部分社会である。

 また、イデオローグの世界は、このような世界を唾棄すべき日常の 世界、または、三度の食事とおなじように習慣的なとるにたらぬもの と考える世界である。

 しかし、このような日常的な精神体験の世界は、日本の庶民やイデ オローグのかんがえるような空無の世界ではなく、社会的に意味を与 え解明されなければならない世界である。こういう観点は、「無智の 責任」を引き出した主婦の記録が、まったく掘り下げようとしていな い点である。

 かくて、彼女は、無限に、時代的変換にさいして「無智の責任」を 繰返すほかはない。いわば、いつまでも庶民であるほかはない。庶民 でありながら、その日常的な精神体験の世界に、意味をあたえられる まで掘り下げることができたとき、彼女は、庶民の社会にいて庶民で ない存在となることができるはずである。それ以外の庶民の道は、 つねに擬制的な保守と擬制的な進歩にひきまわされ、無智の責任を 蓄積する道にほかならないと考えられる。

 庶民の日常的な精神体験の世界にくさびを打ちこんで、そこから時 代的転換とともに転向するイデオローグの精神体験の世界を、きびし く批判的にえぐり出し、また、イデオローグの精神体験の世界から、 庶民の日常的な精神体験の浮動性をきびしく批判的にえぐりだすこと のほかに、無智の責任を解消させる方法はかんがえられない。


 この手記の筆者はこのような文を書き残すほどの人であり、それなり の教育を受け、その時代の平均以上の教養を身につけていたと思われ ます。そういう意味では決して無智ではありません。ここで言う無智と は知識の多少の問題ではなく、「日常的な精神体験の世界に、意 味をあたえられるまで掘り下げること」によって得るべき自立した 生活思想を欠いているという意味での無智でしょう。その無智 ゆえに社会全体のヴィジョンを把握しそこなっていて、 「擬制的な保守」イデオロギーや「擬制的な進歩」イデオロギーに啓 蒙されて時代を浮動するほかなかった。

 この点では、有り余るほどの知識を溜め込んだいわゆる知識人の多 くが同じように無智だったし、今なお無智だと言えないでしょうか。 自ら格闘して得た思想をもたず、「擬制的な保守」イデオロギーと 「擬制的な進歩」イデオロギーの間での転向を繰り返している。

 他者をただあげつらっているわけではありません。いま私は、「庶民 の社会にいて庶民でない存在となること」の難しさを身にしみて 感じています。
第743回 2007/03/03(土)

《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(3)



(3)庶民の異質のイデオロギー間の葛藤の体験と責任の問題

『ひき裂かれて』より、田村ゆき子「学徒出陣」


 学徒出陣をひかえた息子と陸軍中将で司令官である叔父とが、この 記録の主婦の家で談合し、たまたま戦争観について激しく対立する。 天皇に御苦労であったといわれて、ありがたがっている叔父に、息子 がいう。

「おじさんはありがたいかもしれないけれど、戦死したり傷つ いたりした兵隊はありがたいでしょうか。」
「おじさんは、部下の兵隊がみな喜んで命令に服従していると思わ れるかも知れないけれど、それは大間違いですよ。こんな意味のな いくだらない戦争に、ぼくは大事な命を投げ出そうとは思いません よ。まるで、どぶに捨てるようなものだ。」

 叔父の軍人的庶民はこたえる。

「いや、この光輝ある歴史と伝統のある日本に生れたわれわれは、 幸福だよ。国家あつての国民だからな。国の危急存亡の時、一命を 捧げることのできるのは、無上の光栄というものだ。」

息子はいう。

「それじゃおじさん、その国を危急存亡の中へ追いやったのはだれ ですか。この戦争を聖戦というのですか。その糸をあやつるもの、 手先に躍らされるのはまっぴらですよ。」

叔父「英一や(息子の名前-註)、聞きなさい。わが国の御歴 代の天皇は、国民の上に御仁慈をたれ給うて、われわれを赤子と 仰せられる。恐れ多いことではないか。遠い話だが、神武天皇は ひじような御苦労をなされて国内を御平定あそばされた。民のかま どの仁徳天皇のお話もよく習ったろう。明治の御代からこのかた、 国運は隆々たるものだ。みな御稜威のいたすところだ。」

息子「おじさんは『日本書紀』もお読みになったでしょう。武烈 天皇はどんなことをしましたか。人民の妊婦の腹をさいて胎児を引 きずり出したり、人民を木に登らせて下から弓で射させたり、その 他天皇たちの非行はたくさん挙げられているではありませんか。こ れが御仁慈というものですか。それで『大君の辺にこそ死なめ』 か。」

 このような叔父と息子の対立には、後日譚がついている。やがて、 敗戦となり帰京した息子は、家が焼失して、主婦は疎開、夫は近所 に間借りの状態で真夜中に帰京し、仕方なくさきの叔父の家の戸を 叩いたが、先の大口論にもかかわらず、ずぶぬれの軍服姿の息子を みて、「おお、帰ってきたか。さあさあ、お入り、御苦労だったな」 と、温かく迎えたというのである。



 もちろん、この叔父と息子の対立は、ファシズムとリベラリズム の対立ではなく、庶民のイデオロギーの対立である。そして、本来 的には、ここにこそ、庶民の無智の責任が鮮やかに浮き彫りされて いる。息子も無智、叔父も無智であり、その大口論は、けっきよく、 ファシズム・イデオローグとリベラリズム・イデオローグの思想を ただ模写して演じているにすぎないといえる。庶民の生活的な心情 に根をおいて大口論をしているわけではない。

この叔父と息子は、庶民のうちでインテリゲソチャに属しているだ ろうが、その両者の対立のなかに無智の責任がかえってあらわれて いる。これにくらべれば、さきの「無智の責任」という記録に登場す る主婦や弟や母親は、無智とはいえないのである。なぜならば、そ のイデオロギーは戦争権力イデオロギーを模写していることにかわ りないが、あきらかに自分たちの生活意識と体験によりふるい分け たかぎりにおいて、支配イデオロギーをうけいれているのである。 そこに、固有の庶民の質が存在し、自立しているからである。

(中略)

 庶良社会における庶民は、文化イデオローグや思想イデオローグ の流布する文化や思想を、日常生活によって得た精神体験によって ふるい分け、拒否し、また批判することによって独立性を獲得しな ければならないとおもう。

 「無智の責任」をかいた主婦たちのように戦争に没入した庶民 も、「学徒出陣」に登場する息子のような厭戦的な庶民も、こんど こそは心を入れかえて平和思憩に没入しようと単純に考えるのでは なく、庶民や庶民社会として自立するために、日常生活の意味を掘 りさげようとかんがえることによって、戦争体験と責任の間題に対 処することができるはずである。

 この方法だけが、庶民を、イデオローグや、イデオローグの部分 社会にたいして優位にたたしめ、自立させる唯一の道であることは 疑う余地はないのである、少しでも、戦争イデオローグのかわりに 平和イデオローグに追従することによって、戦争責任の問題が解か れるとかんがえたとしたら、庶民社会と庶民は、社会の基底として 批判的に自立することはできないのである。庶民がイデオローグと イデオローグの部分社会の精神的、思想的模写体としてあるかぎり、 イデオローグたちの時代的転換による転向は、いつまでも無くなる ことはない。イデオローグの部分社会の戦争責任も解決されない 課題として残されるはずである。

 庶民や庶民社会は、支配イデオロギーをささえるプールであるか ぎり、文化的・思想的イデオローグの形成する部分社会を、日常生 活体験によって批判し、拒否することによって自立できたとき、 強固な反体制的な生活思想の基底にかわる可能性をもって存在して いる。


 ファシズム・イデオロギーだからだめだとか、リベラリズム・イ デオロギーだからいいとか、イデオロギーによる先見的な価値判断 を吉本さんは否定しています。イデオローグたちの思想を模写した 思想は空虚だし、なんら変革の力もない。無智であることの証で しかない。その無智は、「文化的・思想的イデオローグの形成する 部分社会」を相対化し、そのイデオロギーを「日常生活によって 得た精神体験によってふるい分け、拒否し、また批判することに よって」のみ克服される。そのとき「庶民や庶民社会は、強固な 反体制的な生活思想の基底にかわる可能性を」もつ。

 四十数年前、まだ三十代半ばの吉本さんが述べたこの基本思想は 「自立の思想」と呼ばれています。83歳になられた現在までこの基本 思想はゆるぎなく貫かれています。庶民を超えようとするひとりの 庶民であろうとする吉本さんの発言を、私はいまなお傾聴しているゆえんです。