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475 あきれたもんだぜ、この学者!
2006年4月16日(日)


「第460回」(自由な意志力-3月25日)で吉本隆明さんの

(1)「中学生のための社会科」

という著書にふれた。そのとき、「これまでの吉本さんの営為の集大成という感がある。ただし難解と定評のころのものとはうって変わって、難しい問題を平易な言葉で実に分かりやすく書いている。中学生にも分かるように書くことを理想にしていた吉本さんの渾身の一冊というべきだ。想定した読者は中学生であっても決して程度を落としたり手抜きをしていない。」と紹介したが、今度は少しその内容に触れてみる。構成は3章からなる。

第1章 言葉と情感
第2章 老齢とは何か
第3章 国家と社会の寓話

 第1章が「自己幻想」で第3章が「共同幻想」を扱っているとみなせる。そうすると第2章は「対幻想」ということになるのが筋だが、第2章の内容は吉本さん自らの老齢と老齢ゆえの罹病を素材にしていて、「性としての個人」を直接題材にしてはいないので、一見「対幻想」という章立てではないと思える。しかし、その章を縦に貫いているテーマは「個人としての個人」と「社会集団としての個人」の接点なので、第1章と第3章を結ぶ章としての役割は明白だ。ということで一応人間の全幻想領域を論じた教科書ということになろう。
 なお、この著書に続いて

(2)「13歳は二度あるか」

という「中学生のための社会科」の補充・補足といった趣の本が出ている。
 また、中学生を想定したものではないが、「中学生のための社会科」の第2章とも言うべき「対幻想」を詳論した本がこの3月に出版されている。

(3)「家族のゆくえ」

 (1)(2)(3)で吉本理論を一通り概観できることになる。

 なぜまた吉本さんの中学生向けの本を取り上げたかというと、中学生のための社会科の教科書という観点からは「吉本教科書」に欠けている分野の一つ「歴史」の格好の「教科書」を読んだので、紹介したくなったのだった。

(4)小熊英二著「日本という国」

 この本も中学生(以上)を想定して書かれている。総ルビではないが、ふんだんにルビが振ってあって小学生にでも読めそうだ。しかし吉本さんの本と同様に、決して程度を落としたり手抜きをしていない。内容は豊富だ。
 日本の近現代史から、「大日本帝国」と現在の「日本国」という2度の建国の経緯をたどりながらそれぞれの問題点を鋭く摘出している。
 「大日本帝国」の場合は学制の整備の経緯を基軸に論じている。このHPの「第253」(日本のナショナリズム(6)明治期の大衆教化=小学校教育と軍隊教育-2005年4月25日)で書いたことと重なる内容で面白く読んだ。ここで新しいことを一つ知った。
 「義務教育」は「Compulsory Education」の翻訳語で、明治時代には「強迫教育」と訳されていたという。日本の教育にピッタリの訳だと納得してしまう。今は高校まで「強迫教育」になってきている。
 「日本国」の場合は再軍備の経緯を基軸にしている。これはずばりこのHPの「再軍備はどのように行われてきたのか」(第200回-2005年3月1日~第206回- 2005年3月6日)のテーマだった。実に簡潔に分かりやすく解説している。

 ところで、掲示板「メールの輪」にとてもかわいい投稿があった。


君が代について - 匿名
2006/04/03(Mon) 21:29

僕は中学二年生なのですが、僕の意見を聞いて頂けませんか?
先日、僕の中学では卒業式が執り行われました。プログラムの中に国歌斉唱もあったのですが、別に何らトラブルもなく、形式通りに国歌斉唱が行われました。僕には中国や韓国から来た友達がいて、その人達にも聞いてみたのですが「別に気にしてないし、違和感もない」と言っていました。本当の事です。僕の考えなのですが、「日の丸、君が代」に反対しているのは、ほんの少しの人ではないでしょうか。別に「反対、反対」と騒いで不和の種を巻かなくてもいいと思います。なんでわざわざ喧嘩しようとするんでしょう。中学生の僕からは、反対派の人達が他の国との友好を妨げているようにしか見えません。
長くなってすいません。以上です。



 私のHPをのぞきに来るのだから、さまざまな問題を真面目に考えている中学生なのだろう。私が中学生だったときはガキ大将で遊びほうけていた。それと比べてとても感心してしまう。さらにうんと勉強して、親・兄弟・学校・マスコミなどから植えつけられてきた知識やものの見方や考え方を検討し直して本当の自分のものを見つけてほしいと思う。その際、お墨付きの検定教科書のようなものだけではだめで、私の知り合いの中学生だったら、例えば上記の(1)~(4)のような本を薦めてみたいと思った。

 やっと今日のテーマ。
 一昨日、自民党と公明党が教育基本法改悪の目玉の一つ「愛国心」を巡っての密議で合意に達したとの新聞報道(朝日)があった。その合意文は次の通り。

『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと』

 裏の思惑も妥協の経緯も根底にある貧相な思想・精神も丸見えの、なんとひどい文章だ。
 これに対する感想を求められて3人の識者がコメントを寄せている。その中の一つにつくづくあきれ果てた。他の二人に対して、全く別の国に生きているような皮相な認識を披瀝している。


民主主義の時代、危険はない
 中嶋嶺雄・国際教養大学長の話

 自分も委員の中央教育審議会が答申を出してから3年もたち、国を愛するという表現が「言葉遊び」になり、政治的な妥協の産物になったのは残念だ。
 「愛国心」はファシズムの時代なら危険だが、現在のように民主主義と個人主義が貫徹している社会では、使ってもまったく問題はない。1920年代に、米国の社会学者も「愛国心は郷土愛から出てくる健全な発露だ」と言っていた。一方、「他国を尊重し」という表現もあり、真の意味での異文化理解につなげるべきだと思う。
 ただ、根本の議論は教育をどうするかであるべきだ。政治レベルで教育の荒廃、とくに高等教育の危機をどこまで本気で直すつもりがあるのかを見守りたい。



 自分も委員の一人だった中央教育審議会の答申通りに「愛国心」を表面に据えよといっている。そして「愛国心」という言葉は「現在のように民主主義と個人主義が貫徹している社会では、使ってもまったく問題はない。」だとさ。どっからこんな脳天気な現状認識が出てくるんだ?
 さらに「愛国心は郷土愛から出てくる健全な発露だ」などという俗論を言うのに80年も前の「米国の社会学者」の権威でその正当性を補強しようとするなど全くの噴飯ものだ。いやいかにも「学者」らしいというべきか。
 この人、現代中国学が専門だ。友人からもらったものだが、この人の若い頃の著書を2冊持っている。この人、まだ三十代の新進気鋭のころ、多くのバカ知識人が「文化大革命」を喝采してはしゃいでいる中で、「文化大革命」の正体を見抜いて冷静で気骨のある論陣を張っっていた。そうした人がどうして自国についてはこのような惨めで皮相な現状認識しかできないバカ知識人になってしまったのだ。たぶん、「大学長」だとか「中央教育審議会の委員」とかを歴任して権力の中枢に近づいたために、権力への阿諛追従の習い性を身につけてしまったのだろう。いわゆる「御用学者」の典型だ。
 このような中学生なみの「教科書民主主義」にいかれた頭には、(1)~(4)のような良書がよい気付け薬になるだろう。
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