2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(33)

横井小楠の思想(2)


  (以下は『殉教』による。)

人君何ノ天職。
天二代リテ百姓ヲ治ム。
天地ノ人ニ非ザルヨリハ、何ヲ以テ天命ニ 愜(かな)ハン。
尭ノ舜ヲ巽ブ所似。是レ真ニ大聖タリ。 迂儒コノ理二暗ク、之ヲ以テ聖人病メリトナス。
嗟呼血統論、是レ豈ニ天理ニ順ナランヤ。


 これは小楠が49歳の折りに創った詩である。

 尭帝は自分の子供に譲位せず、自分の血脈 とは全く無縁の舜に、その人徳をあがめて帝位を 譲った。そして、その舜は理想的な治世を行った という。 この中国の古代説話の尭を、小楠は大聖であると 歌っている。さらに迂儒(世事にうとい学者、実際 の役に立たない学者)はこの理に暗く、「聖人病め り」と言う。血統論、これはまさに、天の道に逆ら っている、と小楠は慨嘆している。

 若い頃の小楠が「天皇をうやまっ」ていたことは あり得るかもしれない。しかしこの詩で見るか ぎり、血脈相承としての天皇あるいは天皇制を うやまってはいなかったことは明らかだろう。つまり小楠 は信仰的尊王論者でも自覚的尊王論者でもない。 司馬遼太郎の言うように「共和国家」を考える思想 的素地は十分にあった。

 小楠は維新直後の明治政府に招聘され、議政官 上局参与という地位についた。議政官上局参与は、 いわば副総理のようなものであり、木戸孝允、小 松帯刀、大久保利通、広沢真臣、後藤象二郎、 福岡孝弟、副島種臣、横井小楠、由利公正の9人 が選ばれている。

 1869(明治2)年、小楠は狂信的攘夷論者に暗殺 される。小楠は開国を進めて日本をキリスト教化 しようとしている、という事実無根の言いがかり がその暗殺の理由だった。しかし、暗殺犯の 裁判の過程で小楠が書いたとする『天道覚明書』 という文書が提出される。この文書は、阿蘇宮司阿蘇 惟治が拝殿に投げこまれていたとして古賀十郎という 政府の巡察官に手渡したものとされている。 この書の内容から、小楠は秘かに皇室転覆を企て た「売国の姦」であると告発される事態も持ち上 がった。

 『天道覚明書』は小楠の作ではなく、小楠をおと しめるために書かれた偽書であるというのが通説の ようだが、小楠の作と断じている人もいる。 米村氏は上記の小楠作の詩を引き合いに出して、 「偽作・真作のいずれにせよ、内容は小楠の思想 を的確に伝えている。」と論じている。ではその 文書はどのようなものか。米村氏が一部を引用して いるので、それを孫引きする。(読みやすくするため 段落をつけた。)

……抑我日本ノ如キ、頑頓固陋、世々帝王血脈相 伝へ、賢慮ノ差別ナク其ノ位ヲ犯シ、其ノ国ヲ私 シテ忌憚無キガ如シ。鳴呼是レ私心浅見ノ甚シキ、 慨嘆ニ勝フ可ケン乎。

 然ルニ或ハ云フ、堂々神州三千年、皇統一系、 万国二卓絶スル国ナリト。其ノ心実ニ愚昧、猥 (みだ)リニ億兆蒼生ノ上ニ居ル而巳(のみ)ナラズ、僅ニ三千年ナ ルモノヲ以テ無窮トシ、後世叉此ノ如シト思フ。 夫レ人生三千年ノ如キハ、天道一瞬目ノ如シ。 焉(いずく)ンゾ三千年ヲ以テ大数トシ、又後世 無窮ト云フ コトヲ得ンヤ。其ノ興廃存亡、大意ヲ以テ計知ル 可ケン乎。

 今日ノ如キハ、実ニ天地開闢以来、興張ノ気運 ナルガ故、海外ノ諸国ニ於テ、天理ニ本ヅキ、解 悟発明、文化ノ域ニ至ラントスルノ国少ナカラズ。 唯日本一国、蕞爾(さいじ)タル孤島ニ拠リ テ、帝王、 代ハラズ汚隆ナキノ国ト思ヒ、暴悪愚昧ノ君ト云 へ共、尭舜湯武ノ禅譲放伐ヲ行フ能ハザレバ、 其ノ亡滅ヲトル必セリ。速ニ固陋積弊ノ大害ヲ 撰除シテ、天道無窮ノ大意ニ本ヅキ、孤見ヲ看破 シ、宇宙第一ノ国トナランコトヲ欲セズンバアル べカラズ。此ノ如キ理ヲ推究シテ、遂ニ大活眼ノ 域ニ至ラシムべシ


 奥付きには「丁卯(明治元年)三月南窓偶著 小楠」 とある。

 堂々たる開明的正論ではないか。ここで表明されている 思想と敵対する思想の持ち主が書いたものとはとても 思えない。偽作だとしても、よほど小楠の思想に精 通していた者による文書と言うべきだろう。

 維新の改革シナリオの大半を描いたのも 日本の議会政治の母型を提供したのも小楠だった といわれている。しかし、維新20年ほどで維新 の大指針「一君万民」の「一君」は、「合理的一君」 から「宗教的一君」へと大きく方向転回をしてしま う。

 小楠が天皇制国家ではない近代国家を目してい たことは明らかである。だが、小楠が単なる学者 であれば事はそれで済んだと思われるが、不幸に も、彼は新政府を担う副総理という政治家であっ た。政治家たる者、批判の極には具体的な実践の 方法を持ってあがなわねばならぬ。ならば、天皇 制をどう処理するか。いかにして日本の君主を擁 立するか。だが小楠にその展望はなかった。具体 的な方策を持たぬまま小楠は暗殺に倒れた。

 ただ、ここで注目すべきは、近代へと開花する 歴史の流れのなかで、突出した横井小楠と時を同 じくして、同じ熊本地方の山深い僻村の名もない 一人の毛坊主が、国家とは全く無縁のところで、 小楠を抜き国家を抜くほどの新体制を、隔絶され た自分の村に確固として築きあげていたという事 実である。

 徳右衛門に限らず、民衆のなかに於ける国家の 形態は埋もれたままに、常に国家を一歩も二歩も 抜いているのかもしれない。

 反逆者・大弐の思想が幕府の目をかいくぐって、 100年を隔てて松蔭に届いたように、小楠の思想も 小楠の死とともに消滅したはずはない。衣鉢を継ぐ 者は必ずいたはずだ。ちなみに、徳富蘇峰・徳富 蘆花兄弟の父・徳富一敬(かずよし)は小楠 の弟子であった。初期の蘇峰は平民主義を掲げて いた。

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