2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(30)

山県大弐の思想(3)


 大弐の師・加賀美桜塢は、崎門学派の三傑の 一人・三宅尚斎の弟子である。つまり、大弐の思 想の源流は闇斎ということになる。水戸学もその 源流は闇斎に求められる。

 山崎闇斎の「垂加神道」は、ごくおおざっぱには、 朱子学と日本の神国思想を合体したものと言ってよ いだろう。前回(2)として示した大弐の思想の特質 は、しかし、崎門派とも水戸派とのはっきりと異な る。大弐は天皇政治をよしとする理由を、神話や 民族イデオロギーによるのではなく、合理的な政治 理論として展開している。市井氏は、このことを 『柳子新論』から次のように読み取っている。

 (大弐は)社会制度や政治的支配関係が出現する 以前の人間の原始状態では、貴賤の差別がないとい う平等性の反面、強者が弱者をしいたげ、奪い、殺 す、という無法がまかり通る、いわば弱肉強食の状 態であるとみるのです。

 ところが群衆のなかから「傑然たる者」が現われ てきて、人々に食料の確保の仕方を教え、身にまと うものを教え、さらに農耕や紡織の技術をも教えて、 物質的な「利用厚生」の成果を上げます。それによ って民衆は、当の「傑然たる者」の支配におのずか ら服するようになったというのです。

 だが物質的な欲望だけを追求するのでは、禽獣と 異なるところがないわけですから、その「傑然たる 者」はさらに民衆のあいだに、人間としてあるべき 「礼」(社会生活のよるべき慣例)をうちたてます。 人間性はほんらい平等ですが、人々には才能や好き 嫌い、性格などのちがいがあり、したがって人為的 な制度を設けることによって、あるべきかたちの 「差等」 ― つまり人々の能力に応じた官制や 職制の区別 ― を生じさせたというのです。

 『論語』や『孟子』には、中国古代の王朝三代 (夏・殷・周)を美化して称える個所がいくつか ありますが、大弐の右にのべた思想は基本的には その儒教古典の線にそいながら、「聖人」という ようないい方をさけて、どのように「傑然たる者」 があるべき政治的支配をうちたてたかを、より整 然と説いています。

 つまり日本では、その「傑然たる者」が天皇と なったのであり、天皇体制がよいとされる理由も、 まさにそのもとであるべき「差等」がおこなわれ、 「安民」(民を安んずること)がもっともよく実 現するからだというのです。天皇が神の後裔だか ら、というような神国思想とはきわめて異なると いわねばなりません。

 「神皇基(もとい)を肇(はじ)め」というよ うな句が、『柳子新論』にもただ一回は出てきま すが、それはたんなることばのあやにすぎず、さ まざまなことを論ずる大弐の態度は、この点で崎 門学派や水戸学といちじるしい対照をなしていま す。

 侍ニッポンという歌謡曲がある。その中の一節 「昨日勤王 明日は佐幕 その日その日の 出来 心」というくだりがある。幕末の政治理論の混迷 ぶりをよく表現している。格好をつけて言えば、 水戸学派を軸として、幕末の政治理論は「幕府主 権論、公武合体論、一君万民論」といった主体抜 きの心情論・技術論に始終していた。

 吉田松陰とて例外ではない。水戸学に大きく影 響されていた頃の吉田松陰は1856(安政3)年にお いても、「幕府へのご忠節は即ち天朝へのご忠節にて二つ これなく候」(兄への書簡)と書いている。 「幕府への忠誠=天朝への忠誠」という理論の枠 内でありうべき国家像を考えていたに過ぎない。

 また、その松蔭の「一君万民論」は次のようなもので あった。

 天下は一人の天下に非ずとは之支那人の語、支 那は則ち然り。州に在ては斷々として然らぎる ものあり。謹んで按ずるに、我大八洲は皇祖の肇 め給ふ處而して萬世子孫に傳へて天壤と共に窮り 無きもの、他人の覬覦(きゆ)すべきに非ず。其 の一人の天下たる亦明かなり。請ふ、必無の事を 設けて以て其の眞に然る處を明にせん。

 本邦の帝王にして或は桀紂の虐あらんも、億兆 の民は唯當に首領を並列し、厥に伏して號哭し、 仰で天子の感悟を祈るのみ。不幸にして天子震怒 し、盡く億兆を誅し給はゞ、四悔の餘民復た孑遺 (げつい)あるなく、而して後州亡ぶ。若し尚 一民の存する有らば、又厥に詣つて死す。是れ 州の民なり。厥に詣つて死せざれば則ち州の民 に非ざるなり。是時に當り湯武の如き者、放伐の 擧に出でなば、其の心仁なりと雖、其の爲すとこ ろ義なりと雖、決して州の人に非るなり

 而して州の民尚何ぞ之に與らんや、故に曰く 天下は一人の天下にして、其の一人の天下に非ず と謂ふは特に支那人の語のみ。普天率土の民皆天 下を以て已が任となし、死を盡して以て天子に仕 へ、貴賤尊卑を以て之を隔限と爲さず、是れ則ち 州の道なり。(「斉藤生の文を評す」)


 大弐の一君万民論とは雲泥の差がある。 大弐のそれはその根源において人民解放という 理念がしっかりと確立しているのに対して、 松蔭のそれは、「貴賤尊卑を以て之を隔限と爲さ ず」と言ってはいるが、それは「死を盡して以て 天子に仕へ」る限りにおいてである。国家は、 抽象的で神秘的な観念形態の中で個人的な倫理の 問題に融解してしまっている。松蔭の目は大弐と は全く逆の方向に向いている。

 ところで、この松蔭に一世紀前の先駆者・大弐の思想が 届けられる。密航に失敗して野山獄に幽囚された 吉田松陰をおとずれ、松蔭と激しい文通のやりと りを行った人物がいた。宇都宮黙林という真宗の 僧侶である。その文通で、黙林は大弐の「柳子新 論」を紹介し、松陰の水戸学的尊王論を徹底的に 批判している。これを受けて松陰は、「茫然自失 し、ああこれまた妄動なりとして絶倒致し候」と 「ついに降参するなり」と書いている。

 大弐の思想に接して、松蔭はようやく水戸学の 軛から脱する思考転換を果たしたのであった。 (このことは後ほど詳しく取り上げる予定です。)

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