2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(27)

毛坊主・高沢徳右衛門


 高沢村は伝助の山田村とは山伝いにつながる村。 その村に、ナバ山一揆でふれた徳右衝門(1806 (文化3)年~1856(安政3)年)という毛坊主が いた。高沢村では、今日でも毛坊主制度が厳然と して生きているという。しかし、それは世襲制で はない。村人のあいだから徳望の士を毛坊主とし て選び出す制度があり、それは徳右衛門が創った といわれている。

 その制度はコガシラ(講頭)制とトモドリ (頭取)制の二本の制度によって成り立っている。 講頭は宗教を担当し、頭取は現実生活の政治や協 同作業を運営指導する。「真」と「俗」をはっき りと分離をした体制であり、この二つのそれぞれ の役にあるものが混合することは許されない。

 講頭は9人によって編成されているが、こちらは 全部が世襲制度によってその地位を継承している。 つまり、宗教面を取り仕切る「講頭」を一般 の村人が担当することはない。この9人の世襲が何によって決められたかは不明 だが、「この高沢の村は、戸数50の血族社会 だが、きっとこの9人は、この高沢の山奥に居付い て村を開いた時の本家筋の者であろう」と、 米村氏は推定している。

 この9人の講頭が一般村民の中から毛坊主を選 出する。もちろん、信心厚い人格者であり政治臭 のない人に限られる。毛坊主は講頭の頂点に立つ 存在である。しかし、講頭が毛坊主を兼ねること は許されない。つまり、講頭は毛坊主の下部機 関であると同時に、毛坊主を査問する機関でもある。

 頭取は一般村民から選出される。毛坊主と講頭 は頭取制に口出しすることはできない。他の地方 における伝統的な毛坊主の型と違い、政教分離の 原理が厳重に貫かれている。何よりも毛坊主が万 世一系ではないという点がきわだっている。

 この徳右衛門は、「隠れ」という閉鎖性をつき 破るスケールの大きな組織者だった。彼は、自分 の村だけに限らず、真宗が許されている隣藩の肥 後藩にまで真宗の布教を行い、肥後藩の八代・葦 北地方から球磨郡にかけて「肥後相続講」という 講を組織している。講者は1800人にも及んだという。 さらに、体制側の藩重役や藩主の縁戚の者すら信 者として取り込んでいる。
 徳右衛門は信徒取締りの村方の責任者である庄 星や役所勘定衆の家を隠れ家として、日中はその 邸内に潜み、夜になると躍如として闇を羽ばたく 梟の如くに布教伝道に駆け回ったという。徳右衛 門の隠れ家となったのが中原村の庄屋岩崎吾助の 家であり、役所勘定衆庄兵衛の家であったと伝え られる。役所勘定衆とは国郡調査、人口調査、新 田開発計画など勘定奉行の事務を最前線で代行す る官吏である。それらの家を隠れ家とするのは大 胆不敵というべきか、まさに虎穴に入らずんば虎 児を得ずの捨て身であったろう。漂泊を身上とす る毛坊主なればこそである。

(中略)

 これほどの毛坊主である以上、役人が見逃す筈 はない。徳右衛門には幾度も逮捕の手が伸びてい る。高沢説教所に伝わる口伝では、その時、徳右 衛門は逆に役人をおどしたという。
「私を逮捕したらどうなるか。藩の重役やその奥 方たちも同罪になる。それでもいいのか」と。

 もし徳右衛門を捕えたら藩は大混乱に陥ったか もしれない。徳右衝門に開き直られた役人たちは すごすごと引き揚げたという。

(中略)

 徳右衛門がいかなる系譜の毛坊主であるかは不 詳だが、彼はきっと、血のカリスマによって保証 され正当化される宗教のあり方と、それによって 成り立つ村を疑問視していたに違いない。

 あるいは、徳右衛門自身が藩権力の内部にまで 侵入して信徒を組織するという危険な離れ業を犯 すほどの図太い政治性と行動力を持つ者であるだ けに、政治的野望なり意図なりが信心の世界を取 りこんでしまう事の危険性を自らに読みとってい たのかもしれない。毛坊主は絶大な権力を持つだ けに、それが藩権力と癒着し、あるいは結託した 場合、村全体を売ることだって出来るのだ。

 もっとも、閉鎖な村を突きぬけて隣国の肥後藩 の領民までも逆に組織してしまうというグローバ ルな信心家にとっては、血族社会のなかでの、 更なる血の継承という狭く閉ざされた被差別の万 世一系の論理は、無用のものとして破棄すべきも のであったろう。

 はたまた、その「筋」の者だけに凍結された血 の継承によって、身代りを強いられたであろう伝 助一家の殉教のありさまを、徳右衛門は息をこら して見ていたに違いない。

 村の天皇である毛坊主を血脈相承という世襲に よって認めず、独得の擬似共和制によって選び出 すという方法を編み出した徳右衛門は思想家とし ても卓越した人物であったと思われる。

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