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『続・大日本帝国の痼疾』(19)

「廃藩置県」に寄せた民衆の期待


 貿易商人・甲州屋篠原忠右衛門が、1871 (明治4)年に息子に書き送った手紙には 次のような風聞が書きとめられている。

一、(a)大名方、この度、残らず百姓に下り候旨願い 上げ、御聞き済み、加賀守様を始め、いよいよ、 御高残らず差し上げ、百姓に相成り、其外共一同 の趣。

一、(b)公家様方も、右同様に相成る候由、もっとも、 御役儀も相働き侯程の人才これある候方は、御役 向に御遣いこれあり候、不器用の人は、百姓なり 商人にもなるべき趣

一、右の訳につき、(c)百姓も高持ちの分取りあげ、 村々又は国中人数割り付け相成候由、前風聞これ あり候、右につき、(d)地所高値に質取り候ものこれ あり候はゞ、売り渡し候方、然るべくと見込み居 り候。自然、其の時に至り候ては、誰も買い候も のこれなき事に存じ候。借入金等これあり候上は、 早々、引き渡し置き候方も然るべし。右は、大名 方、右体相成るべきなど、(e)此の前より風聞これあ り候処、左様ニは相成る間敷くなど、諸人申し居 り候えども、当節になり、前評に当り候事候えば、 百姓の分もこれなくとも、申し存じがたく候。 これにより、此の段、内々申し越し候、此の書面 披見の上は、焼き捨て致すべく候。

一、(f)田畑成、又畑成荒地起し候場所、諸国とも、 厳重に御改め相成り候趣、又、田畑の内の家を立 て屋敷同様の取り計らいこれあり候分なども、 御改め相成り候由にこれあり、右については、定 めて当惑もこれあるべし。何れも困り入り候由に これあり。


 質地質物奪還・借金解消・土地の再配分・地主 小作関係の否定など、慶応期の「世直し」一揆 においてみられた土地改革要求の萌芽的形成は、 一般的には、明治初年騒動においても萌芽的形成にとどまり、 明確な土地改革要求には至らなかった。しかし、 野村騒動では、伊予河原淵組の「極々難渋者中」 のものたちから、「不在地主の小作地を藩が買いあ げ、それを貧農に元銀で売り払い、その銀子は 10ヵ年年賦上納にしてほしい」という、有償の 「農地解放」案が提出されるまでにはなってい た。

 つまり、「世直し」一揆のひとつの到達点とし て、騒動の提起した問題の基本的な解決には、土 地改革が必要であるという認識が、半プロレタリ ア・農民の側で自覚されるに至っていたし、それは 世論ともいうべき拡がりをも持っていた。それを示す 資料として佐々木氏は広島県の法令を取り上げてい る。
『そこでは、「徳政平均」「田畠貧富平均」=土 地収公と人別平均による再配分の流言が根強く流 れ、藩・県はその否定に躍起にならねばならなか ったのである。』

 上の忠右衛門の手紙が書かれた年の7月14日に 「廃藩置県の詔書」が出されている。手紙が書き とどめている風聞は、その廃藩置県について のものであり、当時の民衆がそれをどのように受 け取ったかを示している。一般民衆は世直し一揆 で掲げてきた要求を重ねて、「廃藩置県」に期待 を寄せたに違いない。佐々木氏の解説を読んでみ よう。

 (a)は、それを領主的土地所有の解体とうけとっ たことを明示している。

 (b)は、なかんずくその後半部分では、封建的・ 伝統的特権の否定とうけとったことを示している。

 そしてもっとも重要なことは(c)であって、百姓 の所持高=所持地が収公され、「人数割」に再配 賦されるというドラスティックな、土地改革の開 始としてうけとったことを示している。

 そしてそれは、たんなる予想ではなくて、豪農 経営を基礎におく甲州屋にとっては、その危機と して、深刻にうけとられたことであることを、 (d)以下の文章が示しているし、また、そのような 土地改革に至る領主的土地所有解体の風聞が、 早くからあったことを(e)が示している。

 この(c)の風聞にたいして、(d)の処置を息子に 通知し説得しているところに、この期の忠右衛門 の階層的性格と危機感とが示されているのである が、それは別として、ここで重要なことは、この (c)の風聞が、民衆の中にある土地改革への期待と 国家権力の、朝藩体制の危機の克服形態であると もいわれる廃藩置県政策とが結びついて、形成さ れているということである。言いかえれば、この 風聞について、民衆の意識の中に、土地改革への 期待が底流として存在し、強まっていることが確 認されるといってよい。

 「世直し」一揆の土地改革への萌芽的要求とその 期待は、「地租改正」の過程ではっきりと否定され ることとなる。

 半プロレタリアを中核とする「世直し」騒動は、 こうして、71年で終った。武一・福山騒動はその 最後として相応しい騒動であった。はげしい米価 騰貴を背景に、異国人についての流言と旧領主の 引きとめに発したこの騒動は、やがて、「願筋」 のないという騒動の相貌を示して「無分別」の打 ちこわしに展開し、最後には、府中市を中心とす る騒動は「ばんばら踊」に転化してしまったので あった。

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