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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
473 「良心の自由」とは何か(6)
魔女裁判(3)
2006年4月14日(金)


 以上の2つの見地からは、なぜ「魔男」ではなく圧倒的に「魔女」だったのか、という疑問には答えられない。第3の見地が必須である。
 私(たち)が「魔女」という言葉から喚起されるイメージは、例えばシェークスピアの「マクベス」の冒頭に登場するあの薄気味悪い、大釜で得体の知れない麻薬らしいものを煮立てている老女だ。だが魔女裁判で魔女とされた女性たちはそれとは似つかない。上品なご婦人もいれば、いたいけな少女もいる。これはどうしたことだろうか。

 古田さんは古代ゲルマン族の宗教とその歴史から、「魔女」の本質的意味を次のように読み解いている。「良心の自由」あるいは「信仰の自由」の意味を読み解くための重要な手がかりになる部分なので、少し長いがそのまま引用する。


 古代ゲルマン諸族のブルグンドの説話にもとづく「ニーベルンゲンの歌」において、魔法・魔術が決して薄気味悪い、怪奇をものでなく、古代的種族の宝物の守護者の役割を果たしていること、つまり古代的種族の精神的中枢としてあらわされていることを思い起こします。
 このように、キリスト教から見た魔法はゲルマン諸族の民族宗教的所産そのものであったことが示唆されています。
 「彼らは、女には神聖にして予言者なる或るものが内在していると考え、而してそれゆえに、女の言を斥け、或はその答を軽んずることをしない。我々は大ウエスパスィアーヌス帝の当時、〔ゲルマーニアの〕多くの人々から永い間神と崇められたウェレダを見たことがある。しかし彼らはその以前にも、アウリーニア、およびその他、おおくの女を崇拝したのである」

 これはタキトウスの『ゲルマーニア』(八)(岩波文庫)にしるすところです。田中秀央・泉井久之助氏の註するところによれば、ウェレダはゲルマンのバターウィー族で神として尊崇せられた女予言者で、常にリッぺ河(ライン河の一支流〉畔の塔上に棲み、ここより予言を伝え、対ローマ抗戦の命令を下していたとせられます。彼女はローマに生け捕りにされ、さらし者としてローマに送られたとあります。
 が、ストラポーン(前1~後1世紀、ローマ時代のギリシア人歴史家・地誌家)の『地理書』にもキンブリー族の女予言者の話が伝えられているところを見ても、幾度ローマに送られ、さらし者にされ見せしめにされても、彼女等は次々とゲルマン社会の中から産出せられていたと思われます。

 事実、ウェレダ(Velaeda)の「Vel-」はゲルマン語でもケルト語でも「見る」を意味し、前者のアングロサクソン語Wlitan「見る」、後者のコーンウル語gweled「見る」の基本となっています。つまりウェレタとはSeher-S eer「予見者・予言者」(女性)の意味の普通名詞なのです。

 当時のゲルマン社会は「その(姦通の)処罰は立ちどころに執行せられ、その夫に一任されている。夫は妻の髪を切り去って、これを裸にし、その近親の目前においてこれを家より逐い出し、鞭を揮って村中を追いまわす」(『ゲルマーニア』岩波文庫)というように、もはや完全に男子専制社会を呈していますが、女子尊重という母系制の遺風は血縁意識、民族宗教的風習の中に根強く根をおろしていたようです。また、宗教信仰の面で、ゲルマーニア神話の神々 ― ヘルクレース、マールスなど ― やエジプト神話の神々 ― イースィスなど ― 等、異国より流入した信仰が多神教的に混在していますが、それらと融合して、それらを背景として古来の女予言者達が活躍していたものと思われます。

 諸宗教の混合宗教として有名なマニ教異端の一派カタリ派への弾圧を通して宗教裁判の正統性が確立した(11~12世紀)という史実が興味深く思い起こされます。
 そしてヨーロッパにおける宗教裁判の中に魔女裁判が特異の位置を占めることが理解せられます。そしてそのいわゆる魔女裁判で九割を魔女が占める ―  10%は魔男でした ― という女性優位(?)も理解せられます。

 福音書(共観福音書)の中のマリアはわが子イエスの仕事の意義も理解できず、おろおろと心配する、無知の女(イエスも母親に対し、冷淡なつっぱなした態度で対しています)として描かれているのに、段々崇高な光をあてられはじめ、ことにヨーロッパ・ゲルマン諸族の中において聖母としての未曾有の位置を獲得していった事情と表裏をなすのが魔女だったわけです。

 15世紀未、スペインの国家的組織の中に設けられた宗教裁判所長官はユダヤ人、イスラム教徒迫害を任務とした(16世紀以降は新教徒迫害)ことでわかるように、回教圏の三面包囲をうけたヨーロッパ・キリスト教社会は外に対しては回教徒の恐怖に対抗してキリスト教を守ると同時に、自己の内部粛清としてヨーロッパ内の異教・異端へのヒステリックな迫害、粛清裁判を幾世紀にもわたってつづけ、内には純粋な、キリスト教権力への絶対服従に満たされ、外に対しては戦闘的なキリスト教専制社会を形成し得たのです。

 つまりヨーロッパ内部ではもはや「キリストの神」以外の神々はすべて形式的にも質的にも駆逐され、憎悪で焼かれてしまったのです(サンタクロースのようにキリストへの忠実無害な従僕に変身転向した民族神のみがわずかに生きのびることを許されています)。

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