2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

「学問のすゝめ」・冒頭の成句について


 古田古代史を学んでみて誤謬に満ちた「定説」 が如何に多いかを知ったが、長い時間をかけて流 布された「誤謬」は容易にはただされ難いことも 知った。

 学問上の問題に限らない。常識といわれる卑近な 知識にも、他人の言説を鵜呑みしたまま正しいと 思い込んだ誤謬が、確かめられることもなく、人か ら人へと伝播していく。それらは通説あるいは俗説 と呼ばれている。私はたくさんの誤った通説・俗説 にまみれていることを何度も思い知らされてきた。

知識上の誤謬をまぬがれる方途はあるだろうか。

「じぶんが手に触れ、確かめたことのない一切を 疑うこと。はんたいに噂、自分が確かめたことのない 一切の言表と、それを流布する者を拒絶すること」 (吉本隆明「言葉からの触手」より)

 すべてを自分ひとりで確かめるなど、私のような非 才にはとてもできない相談である。そこで、 それぞれの分野で出会った「噂、自分が確かめたことのない 一切の言表」を拒絶している信頼すべき人たちの著述 を頼ることになる。

 さて、新聞で次の言表にであった。(1月15日付東京新聞 夕刊、「宇田川民生の 文学碑よこんにちは」)

 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

 これは「学問のすゝめ」の序文の言葉で、米国 の独立宣言の一節を引用したもの。

 たぶん、この人口に膾炙した成句についての解説 と同じ知識を持っていて、フンフンと、頷きながら 読む人が多いだろう。あるいは、この説をはじめ て知った人も、その信憑性を疑うことなく、その ままこれを一つの知識として頭の片隅に留め置く ことだろう。そして、時に応じてこれを思い出し、 第三者にこの説を吹聴することがあるかもしれ ない。例えば、通説・俗説はこのこのように 流布していく。

 この成句を福沢諭吉の独創になるものと誤解し ている人も多いだろう。しかし、この成句は 「…といへり」と続けられているので、何かか らの引用文である。諭吉は出典を明らかにしてい ない。しかしまた、宇田川氏が言うように、それは 「米国の独立宣言の一節」ではない。またもうひとつ、 細かいことを言うと、この成句は「「学問のすゝめ」 の序文の言葉」でもない。序文ではなく、初編の 冒頭に置かれた成句である。

 諭吉はアメリカの独立宣言を翻訳している。 その冒頭部分を次のように訳している。

千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ 檄文

 人生已ムヲ得ザルノ時運ニテ、一族ノ人 民、他国ノ政治ヲ離レ、物理天道ノ自然ニ従テ世 界中ノ万国ト同列シ、別ニ一国ヲ建ルノ時ニ至テ ハ、其建国スル所以ノ原因ヲ述ベ、 人心ヲ察シテ之ニ布告セザルヲ得ズ。

  天ノ人ヲ生ズルハ億兆皆同一轍ニテ、 之ニ附与スルニ動カス可カラザルノ通義ヲ以テス。 即チ其通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ 幸福ヲ祈ルノ類ニテ、他ヨリ之ヲ如何トモス可ラ ザルモノナリ。

 諭吉訳の「アメリカ独立宣言」の中にはくだん の成句は見当たらない。そこで、諭吉は 上の青字部分が示す思想の真髄を意訳したのだと いう説が生まれる。ちなみに、諭吉と同時代人の 三叉竹越は次のように言っている。

これ実に仏国革命の大火を起こし、米国独立の大 業を遂げ、十八世紀の光栄を副(そ)えたる万民 同権の理想を、最(い)と平易に日本人の頭脳に 入り易き様いい現わしたるものなりき。

 この説もおかしい。この 「意訳」はもうほとんど独創といってよく、 「…といえり」と付け足すのは不自然だ。やはり、 字句どおりの出典がなければならない。

 そう、字句どおりの出典があるのだった。

「真説・古代史」補充編:『神武東侵』:生き返る挿入歌謡(3) で「和田家文書」という貴重な資料の存在を紹介 した。その「和田家文書」こそあの成句の出典な のだった。以下、古田武彦著「古代史の未来」から 引用する。

 和田家文書が、その「片鱗」を世に現わしたのは、 明治五年のことであった。福沢諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭におかれた、 著名の一句がそれである。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、といへり」

 明治・大正・昭和の三代にわたって、この一句は 〝西欧の先進思想″の紹介として理解され、注解さ れてきた。けれども、フランスの「人権宣言」やア メリカの「独立宣言」その他、いずれにも、これと 「同一構文」の文言は存在しない。

 ところが、和田家文書には数多く存在する。

「…よって、わが一族の血には、人の上に人を造 らず、人の下に人を造ることなかりき」 (「安倍安国状」 寛政五年孝季写)

「常にして平等一光の天日に崇め、人をして吾が 一族の生々に人の上に人を造らず、亦人の下に人 を造るべからずといふ祖訓を護ることこそよけれ」 (「祖訓大要」『東日流六郡誌大要』 八幡書店本 安倍国東(くにはる)遺訓。 寛政五年孝季写)

「吾レ学志ナル福沢氏ノ請願ニ耳(ノミ)アラハ バキ(漢字)大要ヲ告ゲケレバ、彼ガ世に著シタ ル一行ニ引用アリ。『学問ノ進メ』ニ題セル筆ニ 『天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズ』 ト吾等一族ノ祖訓ヲ記シタル者也」 (「中山秘問帳」 和田末吉、明治20年3月4日)

 これらを一覧するとき、先入観なき人は、次のよ うに考えるであろう。

A
 この特異の成句が、各自独立的に成立し、両者 が偶然に一致した、などということはありえない。 すなわち両者のうち、いずれかが先、他はこれの 引用である。
B
 諭吉の場合、簡明な引用であり、そのため力強 く、いわば〝押しつめられた抽象性″をもつ。 「格言」としての性格だ。
C
 ところが、和田家文書の場合、平安時代から寛 政年間まで、多種多様の文体の中に現われ、それぞ れ各時代各様の時代的意義をになっている。たとえ ば、対大和朝廷、対幕府(朝幕)などだ。
D
 「諭吉から和田家文書へ」という矢印の場合、 あまりにも〝多芸・多能の創作的天才″を前提し なければならぬ。しかし「述懐」の示す末吉、 長作、また喜八郎氏「白文」いずれも、全くそれ と相応しない。
E
 逆に、「和田家文書から諭吉へ」の場合、極めて 単純、かつ可能である。
F
 和田末吉は、和田家文書を諭吉に見せたことを 繰り返し述べている(「述懐」)。最初は『学問 のすゝめ』初巻における「引用」を喜び、後には 結局「諭吉の史観」が従来の歴史像(近畿一元史 観)に終始していることを深く嘆いている。
G
 諭吉の場合、「といへり」とあって、他からの 「引用句」であることは明白であるのに対し、 和田家文書の場合、ほとんど「独立の行文」であ るが、まさに右記「祖訓大要」では「祖訓」の引 用である。

 なお、重要なテーマがある。「人権宣言」や 「独立宣言」の場合、〝神の面前で誓う″形式で のべられていることから明らかなように、その本 質は「キリスト教社会胎内の平等」宣言である。

 一方の和田家文書の場合、「天照大神」中心と 「アラハバキの大神」中心と、二つもしくはそれ 以上の宗教的・政治的・軍事的対立の中で 「それを超えよ」との要請である。この要請こそ、 独自の鋭い文型の真の母体だと私は考える。

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