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《「真説・古代史」拾遺編》(4)

多次元史観 ― 関東王朝(2)


 稲荷山古墳出土の鉄剣から読み取られた銘文は 次の図のとおりである。

稲荷山鉄剣の銘文


 当初、学者たち(狩野久、田中稔、岸俊男氏ら)の解読を元に、埼玉県教育委員会 が発表した読み方は次のとおりである。

辛亥の年の七月中記す。オノワケノ オミ、上祖名(かみつおやのな)オ オビコ、其の児の名カリノスクネ、 其の児の名テイカリのワケ、其の児 の名タカヒシのワケ、其の児の名タ サキワケ、其の児の名ハテヒ

其の児の名カサヒヨ、其の児の名オノワ ケノオミ。世々。杖刀人(じょうと うじん)の首(かしら)と為して奉 事(つか)え、今に至る。ワカタケ ル大王の寺(役所のこと)斯鬼官 (しきのみや)に在りし時、吾、天 下を左治(さじ)し、此の百錬の利 刀作らしめ吾、記し奉事するは□□ なり。  (口の二字は未解読)







 上の銘文で傍線を付した部分が「定説」で「ワカ タケル」と読まれている文字である。一方、江田船 山の鉄刀も銘文中に「獲……鹵」という文字列があ る。「……」の部分は3~4文字分が欠けている。

(注)
「鹵」のところは古田さんの著書では「□」の中が 「ヌ」という文字である。これが直接鉄刀から読み 取られた字形だと思われる。鉄剣の方の該当の文字 は「□」の中が「九」に似たものになっているが、 どちらも漢和辞典にはない文字だ。ここではそれらの 文字の代わりに「鹵」を用いているが、これは 高校生用の参考書「日本史図表」(第一学習社版) でその文字を用いているのにならった。しかし、 現在使われていない文字だからといって代用文字 で済ましてよいものだろうか。少なくとも学問上の 議論ではそれはルール違反だろう。あるいは鉄剣の 方の文字も鉄刀の方の文字も「鹵」の異体文字であ るというようなことが実証されているのだろうか。 なお、「鹵」の訓読みは漢音では「ロ」、呉音では 「ル」である。

 さて、上記の高校生用参考書の記述が「定説」 ということになる。次のように解説されている。

(1)稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文について
 冒頭の「辛亥年」は471年説が有力である。ヲワケ がワカタレル大王の統治を助けた記念として、この 刀を作ったという由来が記されている。

(2)江田船山古墳出土の鉄刀の銘文について
 銘文の冒頭「獲□□□鹵大王」は稲荷山鉄剣銘文 の発見より「獲加多支鹵」(ワカタケル=雄略天皇) であるとする考え方が有力となった。


 まず(2)についての古田さんの批判は次のよう である。

 すでに最初、新聞社からの発表以前の第一報のと きから、わたしにはわかっていた。少なくとも、江 田船山の方は、「ワカタケル」と読むのは無理だと いうことが。なぜなら、こちらは「獲□□□ 鹵(「□」の中が「ヌ」の字)」という形。なか、 3~4文字分が欠けているのである。この文字に 「加多支」と補なって、「ワカタケル」と読むや り方。これは駄目だ。

 むろん、自分の趣味や推量でそういう文字を当て、 これも「ワカタケル」じゃないかな、そう思ってみ るのはいい。楽しむのは勝手だ。しかし、自分で補 った文字をもとに読み、それを論証の〝主柱″にし てはならない。枝葉末節の〝つけ足し″にならいざ しらず、こんなものを「論証の主柱」にする、それ は駄目。これがわたしの立場だ。人間として、当り 前すぎる話ではあるまいか。

 わたしはこれを「自補自証主義」と呼ぶ。温厚で 慎重な論証態度で知られる故岸俊男さん(当時、京 大教授)だが、この千載一遇の大発見を前にして日 頃の〝慎重さ″をいささか失念されたのではないか。 わたしにはそれが惜しまれる(岸さんたちが、最初 の読解をリードされたことが知られている)。

 この点、故井上光貞さん(当時、東大教授)はも っと〝天衣無縫″だった。「~大王」とある。「大 王」とあれば天皇家。それはきまっている。その上 に「ワカタケル」とあれば雄略。それにきまってい る。他に考えようがない ― そういう手法だった。

 この手法には、根本的な無理がある。わたしには そう思われる。なぜなら、朝鮮半島を見てみよう。 そこには少なくとも三~四個の「大王家」がある。 新羅・百済・高句麗。それに駕洛国などだ。半島側 の史書、三国史記・三国連事を見れば一目瞭然だ。 それぞれ「大王」の名で呼ばれている。

 あの半島ですら、五~六世紀にはそうだった。 新羅によって「統一」されたのは七世紀末のこと である。それなのに、ずっと広い日本列島で、 「大王家は一つ」、それは天皇家だけだ。そうき めてかかっていいものだろうか。「信念」や 「信仰」ならともあれ、客観的なるべき学問研究に おいて、それはまことに危険なことではないだろうか。 五~六世紀の当時において、「大王家」が一つだっ たか、それとも複数だったか。それは研究の結果、 至るべき結論だ。けっして研究の出発点におくべ き大前提ではない。これがわたしの立場だった。

 ことに江田船山の場合、従来は 「復(「ぎょうにん偏」のところが「けもの偏」の字)之 宮瑞歯」と補って「タジヒノミヤミズハ」と読み、 反正のことだといってきた(福山敏男)。教科書 にもそう書かれていた。それを今度は、別の字を 補って、別の読み方をし、雄略だという。勝手す ぎはしないか。これがわたしの正直な感想だった。

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