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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『大日本帝国の痼疾』(20)

「英将秘訣」―そのアナーキズム


 近藤さんは「秘訣」の思想的構成要素「能動的ニ ヒリズム・政治的テロリズム・アナーキズム」を 「聖?三位一体」と呼んでいる。これまで「秘訣」 の能動的ニヒリズム・政治的テロリズムの特異性 をみてきたわけだが、第三の要素・アナーキズム も独自の形態をもっているとして、近藤さんは 次の条文を挙げている。

一、天下の物各其主ありて、一銭を奪はゞ盗賊と称 し、一人を殺せば人亦予を害す。斯くて地震の霹靂 するや、数万の家を破壊し、洪水の溢るゝや幾億の 生霊を殺す。是を天命と云て恐るゝは何事ぞや。 人倫素より小量にして大器なきが故なり。されば 世界を鳴動せんと思ふ人こそは、胸中に此心無くん ばあるべからず。

一、世界を滅するは大洋の溢れ漲るに在り、是は天 竜の如し。人倫一目行ひては、如何にせば 如斯なるを得ん。只火術に在り。 山野を赤裸に焼払ひ、家屋を焼滅し、加之、炮烽 地雷の決震を以てせば疑ふ所なけん。


 このような表現は、アナーキーとよぶべきであっ てアナーキズムといえないかもしれない。

 前者は、おそらく安政の大地震をまのあたりにし たような体験を連想させるが、人為とディメンショ ンを異にした自然の巨大なエネルギーさえ、世界支 配への権力意志の教訓にせよ、といった激語である。

 後者は、文久2年12月の高杉晋作、久坂玄瑞らを 中心とした品川御殿山の英国公使館焼打事件 (高杉らには同年10月にも横浜外人居留地襲撃と いうテロ計画があった。ちなみにこの焼打ち計画 は清河八郎にもあり、また豪農クラス出身で一橋 派→実業界へと転向をかさねた渋沢栄一にもあっ た。なにも下級武士、浪人、無頼漢だけではなく、 たとえば埼玉県犬里郡の生産者農民も焼打ちを企 てたことは前記「幕末暗殺史」。それほど「攘夷 熱」はさかんだったのである)を連想させるが、 世界破滅の思想というより運動を、簡略に説いて いる。

 こういう絶対的な破壊衝動は、テロリズムの変 形とみるべきかもしれないが、既存の「人倫」に たいする根底的な批判、それにかわるべき新たな 「人倫」の模索を暗示しているてんで、アナーキ ズムのもつ世界観を断片的にうかがわせる (他の箇条に、「天下の人倫悪を好めば善にうと し。善を行へば悪ににぶく、両不全を英将の不具 とす」という言葉がある)。もっともこれがニヒ リズムの能動性と、どこがちがうかというと、 こたえることは困難である。

 G・ウッドコックの古典的な研究によれば、アナ キズム擁護の立場から、この三者の異同について 〝異″を強調している。
 ニヒリズムが道徳も自然法も信じないのにたいし、 アナキズムはそうではない、と。ロシア帝政下の人 民の意志党がニヒリストであり、テロリストであった、 と。政治テロは「いかなる時においても」、一般の アナキストが採用するところではなかった、と。

 もちろんこのような区分は説得的ではない。 バクーニンの、破壊への情熱は創造的情熱だとい う言葉の後半に、力点を移動させただけである。 しかしもともとアナーキズムが人間本来の社会 的幸福を、すなわち政治権力や国家の存在しない ユートピアを地上に現前させようとした思想であ ったことは、自明だろう。近代アナーキズムもま たその原始共同体的な「無何有郷(むかゆうきょ う)」への夢をうけつぎ(―あたかも国学の徒が 日本古代に楽園をもとめたごとく)、クロボトキ ンがそうであるように自然主義的社会観をもって いる。だがヨ-ロッパのそれが、個人主義的哲学 にもとづいていることもまた、自明だろう。

 そもそも背景にある近代的個人の概念は自由の それと同様、「秘訣」には欠けている。そのてん 「秘訣」は日本の伝統的精神風土からすこしも断 絶していない。これらの教科書的な事柄を前提に したうえで、ちがった視角からみた場合、右の条 文の表現をアナーキズムとよんでもさしつかえな いとおもう。

 現代日本人の感覚をもってしても、アナーキズ ムはもっとも理解しがたい思想であり、たんに破 壊と同義の、マイナスのイメイジしかあたえない はずである。すべての外来思想のなかでアナーキ ズムはいちばん土着化しにくい要素をもっている が、かりにふつう日本の生活者が右にあげた箇条 を読めば、異邦のことばのようにわけがわからな いか、嫌悪感か恐怖感をいだくはずである。この ような意味では「秘訣」は、現代にいたる日本の 思想史のなかで帰属を拒否されるほかないのであ る。
 以上が冒頭の条文をアナーキズ ムの表現ととらえる近藤さんの論考だが、実は私は この項に限って理解に苦しんでいる。能動的ニヒ リズムや政治的テロリズムの場合にもった共通理 解・共感がない。アナーキズムの表現として近藤さ んが選んだ条文が、まず不適切だと思う。たぶん、 アナーキズムそのものについての理解が異なって いる点に主とした理由がある。しかし、私の読み 込み不足(あるいは誤読)がその理由かもしれな いので、近藤さんの論考をそのまま掲載しておいた。

 アナーキズムについてはこれまでにいろいろな 記事で何度か触れてきているが、改めて最も基本的 なことを書き留めておこう。

 近藤さんも言うとおり、「現代日本人の感覚を もってしても、アナーキズムはもっとも理解しが たい思想であり、たんに破壊と同義の、マイナス のイメイジしかあたえないはずである。」

 日本人に限らず、アナーキズムは最も誤解されている政治思想だ ろう。もともと「アナーキー」が「支配者や君主 のいない状態」を意味していることから、アナー キズムやアナーキーという言葉はカオスとか 無秩序の意味で使われている。そこから一般的に、 政治思想としてのアナーキズムは「暴力的な反国 家運動」だと理解されている。そしてさらに、ア ナーキストとはカオスや「弱肉強食の法則」への回 帰を目指しているものと思われている。

 だが、アナーキズムは単なる「政府権力への反対」 という意味でもないし、反秩序を標榜しているわけ でもない。反秩序ではなく反ヒエラルキーなのだ。 「社会には権力や支配が必要だ」という考え方に 反対なのである。ヒエラルキーのない協同的な 社会・経済・政治の組織形態を提唱している。

 絶対主義国家(専制支配)の時代では、「共和 主義」や「民主主義」という言葉がまさに「ア ナーキー」という言葉と同じように「無秩序」や 「混乱」を意味するものとして忌避されていた。 そして今、近代的国民国家(ブルジョア民主主義) では、それの真の揚棄を目指す思想・アナーキズム が「無秩序」や「混乱」を意味するものとして 扱われている。既得権を持ち現状を維持したい者 たちは国家による支配やヒエラルキーを所与のも のとして疑わない。現在のシステムに反対する者 たちを「無秩序」や「混乱」をもたらす者として 忌避する。沈タロウが「君が代・日の丸の強制」 に反対する教師やジェンダー・フリーを目の敵にするのは その伝である。

 アナーキズムは政府や他のヒエラルキー的な 社会関係が有害で不必要であることを主張する。 そこではアナーキーという言葉は「自然な秩序、 個人の必要と全員の利益の一致、完全な団結の なかでの完全な自由を意味する。」(エンリコ ・マラテスタ) つまりは「互酬」を基本とする 社会、マルクスの言葉を借りれば「ひとりがみん なのために、みんながひとりのために」その生を 全開しえる社会である。人類の現状からは、 夢のようなユートピアではあるだろう。

 近藤さんは、承知の上で、一般的な「誤解され ているアナーキズム」を「秘訣」の中にみようと しているのだろう。

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