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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『大日本帝国の痼疾』(16)

「英将秘訣」―その未来へのビジョン?


 私の最も身近な青年に「秘訣」を見せたとき、 坂本竜馬も次の条文と同じような構想をもっていた ようだという指摘を受けた。

一、蝦夷地には天皇の血統を以て新将軍を立て、我 と思ふ者之を補佐し、自在に蛮士を圧領するを主と す。

 「秘訣」は長く竜馬作とされ、「軍中竜馬奔走 録」という副題を付して流布されていた。上の条文 が、「秘訣」竜馬作説の根強い根拠となっているの かも知れない。

 近藤さんは、上の条文を中心に、竜馬作説の検討 を、もちろん否定的に、かなり詳しく展開している。

 まず第一に、「秘訣」にはどのような未来へのヴィ ジョンも構想もないということである。これに反し、 竜馬はその気質からいっても思想からいってもニヒ リズムからほど遠く、幕末志士のなかでもっとも卓 越した構想力の持主である。慶応三年に竜馬が作成 したいわゆる「船中八策」は、「土佐藩が建白した 『大政奉還建白』の基案となり、明治新政府の綱領 となったもので、維新史上、もっとも注目すべき文 書」(平尾道雄)という意味をもっており、日本近 代の統一国家構想を示している。

 第二に、これは塩見薫も指摘していることだが、 「秘訣」が幕史に発見、押収された文久3年段階で は、竜馬は京都で志士のリーダーシップをとるだけ の実力をそなえていない。竜馬が名実ともに力を発 揮するのは、薩長連合が現実の軌道にのる慶応年間 に入ってからである。

 また文久3年段階に竜馬は開国派に転向しており、松平春嶽らを中心とする公武合体・諸侯会議 の構想をいだいていた。文久3年3月20目付の姉乙女 宛の手紙に、
「今にては日本第一の人物勝麟太郎と云ふ人の弟子 になり」
というように、竜馬はこの時期すでに幕臣海舟や大 久保一翁と肝胆相照らすあいだがらだった。もちろ ん「船中八策」も公議政体論に沿ったリベラルな発 想である。

 文久3年は8・18クーデターでヘゲモニーが公武合 体派にうつるまでは、京都政局の主導権をにぎって いたのは、尊攘派である。竜馬は、文久元年に土佐 勤王党に加盟しているが、領袖武市半平太はあくま で一藩勤王論の立場にあり、党員も藩権力をバック としていたから、デクラッセ=草葬ではない。文久 2年には、有名な
「諸侯恃むに足らず、公卿恃むに足らず、草莽士糾 合義挙の外には迚(とて)も策無之事」
という松陰ばりの久坂玄瑞の武市宛の手紙を託され、 その後脱藩しているが、四月の土佐藩参政の大物吉 田東洋暗殺、挙兵討幕の寺田屋事件のときには、馬 関から九州方面にいた。つまり直接行動には参加して いないのでどうみても竜馬は急進的尊攘派ではない。

 10月に海舟門下となり、12月には老中小笠原長行 を京都へ送る海舟に同行している。将軍木像梟首の おきた文久3年2月には、松平春嶽の山内容堂への依 頼もあって、脱藩罪の赦免をうけている。これにた いし京都政局を突き動かしているのは尊攘派のなか でも雄藩出身ではない「浮浪ノ徒」であり、思想的 には平田派である。

(中略)

 第三に、これは竜馬個人の性格と教養の問題にな るが、書簡にみられるとおり竜馬はじつにナイーヴ な感性をもっており、その肉親愛と惻隠の情からは 「秘訣」の作者を想像することは困難である。

 「秘訣」がいかに赤裸の心を開陳したものである にせよ、それを竜馬の本音だとはいいがたい。また 竜馬が漢詩よりも和歌を好んだことは、その国学的 教養を示しているが、やはり他のあまたある志士 とおなじような勤王の心情を吐露した歌がある。

 これは竜馬じしんと直接関係ないが、日露戦争前夜、 昭憲皇太后の夢枕に竜馬が立ち、「皇国」の守護を うんぬんしたという当時のマスコミのエピソードは、 共同の幻想を象徴しているが、その根拠があながち 竜馬の側になかったとはいえない。竜馬が大政奉還 を承認した徳川慶喜の胸中を察し、「余は誓ってこの 公のために一命を捨てん」といい、「新政府綱領八 策」において諸侯会議の盟主を慶喜に擬したこと (平尾道雄説)は、
「将軍とかいふ者に成る心を工夫すべし」
とか、
「義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也」
とか、
「薄情の道、不人情の道、忘るゝ事勿れ。是を却而 人の悦ぶ様にするを大智といふ」
とうそぶく語録の筆者とは、モラリストとニヒリス トの径庭がある。

 もっとも忠誠心についていえば、「国体」の虚構 性を呵々し、しかも明治大帝をカリスマとして信仰 した北一輝の例があるから、いちがいにはいえない。 思想の内部ではどのように奇怪なこともおこるもの である。

 以上、「秘訣」の作者=竜馬説をかんがえてみた が、さきにこの語録には未来へのどんなヴィジョン も存在しないといった。しいて求めるならそれは、 権力政治による不気味な全体主義国家の構想という ほか、なさそうである。ここに奇妙な国家構想? を暗示する箇条がある。

 ここでくだんの条文を取り上げている。 竜馬の蝦夷地開発計画とはおよそ次のようである。

 この計画は、竜馬が海舟門下であった神戸海軍 操練所時代に立てられ、その内容は、「浪人狩り」 を回避するために、幕府所属の黒龍丸を使用して二 百人程の浪士を蝦夷へ移住させるという雄図である。 「海舟日誌」に
「京摂の過激二百人程蝦夷地開発通商・為国憤発 す」(元治元年6月17日の項)
とあるのがそれだ。

 私はこのことを『海援隊始末記』によって知った のだが、そこで平尾道雄は、
「これは龍馬のかねていだいていた計画でもあり、 そのために同志の北添佶磨、能勢達太郎、安岡斧太 郎、小松小太郎らが前年(文久3)実地に北海道を 踏査したことがある」
と書いている。

 安岡は天誅組で、北添は池田屋騒動で、能勢は 天王山のたたかいが原因でそれぞれ死んだ。小松 は文久3年6月箱館で客死したらしい。つまりこの 計画は、結局、デスペレイトな情況そのものが不 発に終わらせたのだが、問題は前半の蝦夷地開発 が竜馬のかねていだいていた計画であるという 記述である。すなわち同志が実際に渡海した文久 3年以前に、竜馬は「北方の警備と開発」の構想を いだいていたということである。

 しかも竜馬はこの計画に相当熱心だったらしく、 横死する直前 ― 慶応2年、プロシア商人から薩 摩藩を通して洋型帆船大極丸を購入し、西郷や小 松帯刀に了解をとり、船を兵庫に回航させ、物資 確保に大阪で高松太郎、安岡金馬、陸奥宗光らに 交渉させ準備をととのえていたが、慶応3年、船 価支払の件で頓座した - まで、工作をはかっ ていたようである。内乱での人材喪失をおしみ、 蝦夷地開拓にふりむけようとしたのである。

 蝦夷地開拓という構想が生まれてくる時代背景 がある。徳川後期、蝦夷地はかなり重要な意味を 持っていた。関連事項を年表にしてみる。

1792(寛政4)年
 ロシア使節ラックスマン根室に来航。通商要求。

 この頃から蝦夷地は政治問題化している。

1807(文化4)年
 幕府は全蝦夷地を直轄し松前(そのまえは箱館) 奉行を設置。

1821(文政4)年
 従来の公認支配者松前氏に還付復領される。

1854(安政元)年
 日米和親条約により箱館の開港が決まる。
 日露和親条約締結。

1855(安政2)年
 再び幕府直轄地とする。

1859(安政5)年
 日米修好通商条約調印。

1859(安政6)年
函館、本格的に開港する。

 竜馬が「京摂の過激」派を蝦夷地のどこへ ―  内陸部なのか島嶼部なのか ― 移住させようとし ていたのか、そしてそこでの防衛組織はどのように 編成され、配備されようとしていたのか、それは侵 略を最終目標にしていたか、そもそもそういった組 織の資金は開拓と通商交易の利潤によって調達しよ うとしたのか、等は前述したようにあきらかではな い。

 ロシアとの和親条約は、択捉・得撫両島間を国境 とし、樺太を日露両国民の雑居地ときめていた。北 蝦夷南部の樺太は日露国境画定の争点であったが、 その間題は宙に浮いたまま、明治政府にもちこされ る。

 経済的には、蝦夷地再直轄にともない幕府直営機 関の箱館物産会所が、安政4年に設置された。蝦夷地 の生産物は江戸・大阪の御用商人が買占めと販売に あたり、上納金をおさめたわけである(これも明治 政府は継承した)。

 このような前提のうえに立って竜馬の北海道開発 のヴィジョンは立てられたはずである。実地に視察 した同志で前記の北涛倍麿が箱館から母に宛てた書 簡(文久3年6月6日)に、
「御奉行小出大和守殿へ親接いたし攘夷海防の儀尽 力仕り侯」、「十月には朝鮮へ渡海の積り」
とあるらしい(『竜馬のすべて』)。

 その構成員が政治運動に奔走している浪士集団 であり、現在のように仮想とはちがい、列強とく にロシア絶対主義の南下の危機に対抗しなければ ならないという現実的要請から、竜馬のいだいて いた構想は、経済的組織よりも一種の軍事国家の イメージをさそう。そしてそのようなイメージは、 「秘訣」にみえている国家像の断片と重なってく るのである。

 天皇の血統をひいた新将軍を政治権力の頂点に おくという構想は、竜馬にはなかったかもしれな いが、およそ尊攘派にとっては、皇族を名分にか つぎだすことは運動の実践的イロハである。

 「自在に蛮土を圧領するを主とす」という主張 は、国防よりも積極的に大陸侵略を目的とする膨 張主義的な軍事国家をサジェストしている。

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