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『大日本帝国の痼疾』(15)

「英将秘訣」―その愚民観(2)



「秘訣」にみられる愚民観は、それではどのような 思想史的系譜をもっているのか。ここでもまた、単 純に国学的系統をそれがひいているとは言い難い。

 宣長学は東洋的ヒューマニズムであるものの あはれ説に立脚していたし、篤胤学の、「人も 禽獣も天地の腹中にわきたる蟲」という見解は、力 点のおきどころによっては民衆蔑視への傾斜をもつ ものといえなくはないが、それはあくまで人間の 「万物霊長」を説く「戎人」の支配イデオロギーに たいする、民族主義的反発と読むべきなのであって、 けっして愚民観といえるものではない。

 平田派で足利将軍木像梟首事件の関係者宮和田父 子にしても、弘化年間下総の凶作と大洪水による窮 民救助のため、用金延期を申請して地頭用人と対立 し、その結果、禁獄の処分をうけ、父子とも役儀を 免ぜられている。

 「秘訣」の愚民観がなによりも国学的発想と相容 れないところは、天皇観の項でとりあげた
「神武天皇本州に入る時、不随者は立処に之を殺し、 随ふに於ては其国の造とせり。この智蠢民を扱ふに 最上なり」
という表現だろう。

 近藤さんは、「秘訣」の愚民観が国学とは切れてい ることをさらに説明するために、次の条文を取り上げ ている。

一、青人草(あおひとぐさ)の食ひて生くべきもの 也と勅りし、天照大神の此語中に眼を晒して人を扱 ふべし。

 まず近藤さんは、幕末期の国学者たちの「青人草 (民衆)」観を、その言説を引用しながらかなり詳 しく論じている。ここでは結論だけをまとめておく。

 国学では「青人草」も「蒼生」も「人類」もその訓 読法はすべて「あおひとぐさ」となっている。「人 類」を「あおひとぐさ」と読ませるのは、幕末国学 の民衆観念が「国民」的なわく組にとらわれることな く世界的規模に普遍化されていることを示しているが、 「蒼生」も「青人草」という言葉も辞書的には、人 のふえるのを草の生い茂るのにたとえた語でる。

 そして、そのような非常に多数 の民衆が天皇の「大御宝」だという。これは民衆の存 在じたいに価値があることを意味する。もし民衆に価 値がなければ、それを「大御宝」にしている天皇にも 価値がないことになるからだ。

 もっともそこでの民衆-「大御宝」観には、農・ 工・商以外に武士が含まれている。しかしそれは 「相共に各々其々の職業を以て、皇祖天神の賦命を 奉じ、朝廷に仕奉る有用の人民なるが故に」、であ って、幕藩制秩序の士・農・工・商が縦軸であるの にたいし、ここでの士・農・工・商が横軸であり、 天皇のもとに各身分の価値は平準化されている。 もちろんここに超国家主義にいう「一君万民」論の 原型がある。

 これが、国学の「おほみたから」解釈だ。私はここで 2007年3月3日付の「今日の話題」を思い出した。 採録する。

今日の話題

ありがたや、あなたもわたくしも 「おほみたから」

 民衆のかまどに煙が立たないことを憂えた仁徳天 皇を「国民の上に御仁慈をたれ給う」天皇の代表と して取り上げる文章に今までに何度お目にかかった だろうか。耳にたこができそうだ。

 その仁徳天皇が上記のメインテーマの中に登場し たので思い出したことがある。

『畏れ多いことながら、仁徳天皇の<高き屋に登り て見れば煙立つ…>の歌を見ると、いつも火の見や ぐらを連想する』

 東京新聞(2007.02.24)「筆洗」の書き出しの文 章だ。なぜ「畏れ多い」のか理解しがたく、しばし 絶句してしまった。

 上記のメインテーマの中の陸軍中将閣下が「わが 国の御歴代の天皇は、国民の上に御仁慈をたれ給う て、われわれを赤子と仰せられる。恐れ多いことで はないか。」と恐れ入るのは、天皇教イデオロギー を身にまとうことで社会的地位を維持している人間 の言として当然と納得できる。

 「筆洗」の「畏れ多いことながら」は、あるいは 揶揄的に使っているのかなと、何度か読み直してみ たがどう読んでも心から畏れ入っているようだ。 「畏れ多いことながら」というマクラがなくとも文 章全体に何の不都合もない。むしろそのマクラだけ 浮いていて取って付けた感を否めない。このマクラ を書き留めたとき、この筆者の心裏にどんな葛藤や 屈折があったのかなかったのか知るよしもないが、 もしかするとご本人も気づかずに巣食っている天皇 に対するタブー意識がつい露呈してしまったという ところだろうか。

 そういえば、私の高校時代の日本史の教師は授業 で天皇の名を口にするとき、かかとをピッタリそろ えて直立不動の姿勢をとっていた。わりと好きな先 生の一人であったが、この奇異な行為には滑稽さと 嫌悪感のまじったような感じをもった。

 ところで「御仁慈」とはなにか。
 古事記・日本書紀では「百姓」に「「おほみたか ら」というルビを振っている。これを読んだとき、 よくぞ振ったものだ、民衆=百姓があらゆる価値の 源泉だということをキチンと認識していたのだなあ と、へんに感心したものだった。かまどに煙が立た ずに「おほみたから」が減少してはさぞ困ることだ ろう。

 庶民を「おほみたから」などといい紛らわすので はなく、はっきりと「機械」といってのける現在の 支配層のリアリズムの方がましというべきか。

 幕末の激動の時代情況は、国学にも思想的変容を 迫った。その民衆観においては古典的国学よりも民 衆の価値化が一層ふかまっている。

 記紀の素朴な伝承を宗教的に再構成し、特殊化す ることが、幕末国学の特色である。天皇の「大御宝」 である(にふさわしかるべき)青人草=民衆観は、 むろん、宗教的な思想の側では、なんら奇 怪なことではない、そのような絶対化は幕末の広汎 な社会不安と危機意識そのものが生みだしたもので ある。

 一方、おなじように危機感をふかめ、過激化した 「秘訣」の作者の青人草=民衆観は、どうであろう か。

 件の条文は日本書紀の「五穀発生」と 呼ばれている次のような説話が出典である。 (本文ではなく「一書」第11)

 伊弉諾(イザナキ)尊は三人の子に、 勅任(ことよさし)していった。「天照大神は 高天之原を治めなさい。月夜見(ツクヨミ)尊は 日と並んで天の仕事を治めなさい。素戔嗚(スサ ノヲ)尊は青海原を治めなさい。」

 そうした後、天照大神は天にいて言った。「葦 原中国に保食(ウケモチ)神がいると聞いた。月 夜見尊、あなたが見に行きなさい」と言った。 月夜見尊は勅(みことのり)を受けて降った。そ して保食神のもとに到着した。

 そこで保食神が首をめぐらして国に嚮(むか) うと、口から飯が出た。また海に嚮うと、ヒレの 広い大きい魚とヒレの狭い小さな魚がまた口から 出た。また山に嚮うと、毛の粗い動物と毛の柔い 動物が、また口から出た。それらの品々をことご とく用意して、机に数多く並べもてなしとした。

 すると、月夜見尊は怒りの表情を浮かべて、 「なんと穢(けが)らわしい。なんと鄙(いや) しい。どうして口から吐き出した物をあえて私に 差し出すのか」と言って、剣を抜いて撃ち殺して しまった。

 そうした後に復命(かえりこともう)して、詳 しくそのことを申し上げた。すると天照大神は激 怒し、「おまえは悪い神だ。もう二度と見たくな い」と言って、月夜見尊と昼と夜とに分かれて、 離れて住むことになった。

 この後、天照大神は天熊人(アメノクマヒト) を遣わして見に行かせた。保食神はすでに 死んでいた。ところが、その神の頭の頂は牛馬に 変じていた。額の上には粟が生じていた。眉の上に は蚕が生じていた。眼の中には稗が生じていた。 腹の中には稲が生じていた。陰部には麦と大小豆 (まめあづき)が生じていた。

 天熊人はこれらをことごとく取って、持ち帰っ て献上した。すると天照大神は喜んで、
「これらの物は、人々が食べて生きていくための ものである」 (原文: 「是の物は、顕見(うつ)しき蒼生(あお ひとぐさ)の、食ひて活くべきものなり」
と言って、粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲 を水田の種とし、またこれによって農民の長を定 めた。

 そして、その稲の種を初めて天狭田(あめのさ なだ))と長田(ながた)に植えた。その秋の垂れ た稲穂は八握り分ほどもしなって、非常に爽やかだ った。また、口の中に繭を含んで糸を抽(ひ)く ことができるようになった。これによって初めて 養蚕の道が開けた。


 アマテラスのいっていることは、月夜見尊とは 正反対に、この世に生きて存在するために青人 草が食べるものは、なんら不浄ではないという 意味であり、民衆蔑視のニュアンスはない。

 「秘訣」の「青人草」観が一見して我々にあたえ る愚民観という印象は、その出典の「蒼生」にも 国学の「青人草」観にもない。「秘訣」の「青人 草」は権力操作の対象として、戦術如何のレベルで 処理されるものにすぎないものとなっており、 「秘訣」の民衆観にはおよそヴ・ナロード的要素が なく、国学的背骨じたいが吹きとばされてしまって いる。


 およそ自然感情をまっ殺した、権力意志むきだし の「秘訣」の民衆観は、このように国学的民衆観と 切れている。

 「秘訣」の形式がたとえ「他見を許さ ず」というように非公開的なものであれ、国学思想 に決定的影響をうけているものとすれば、その内容 にそれがあらわれないということはない。「皇神に、 大君に、国家に忠誠思はむ人々を、誘はむ」とい うのが木像梟首事件関係者角田忠行の動機だが、 「秘訣」の作者にはそのような忠誠心はすでに解体 してしまっている。「秘訣」にあらわな愚民観は、 しかしながら政治情況に憑きすぎた急進的な尊攘 派が不可避的に辿らざるをえない性質をかかえてい る。

 幕末期の民衆の、反体制的政治闘争への 無関心、無理解、非協力、不参加といった情況その ものから、その愚民観は醸成されたのだ。日本の大 衆のそのようなありかたは、現代にまで貫徹してい る、いわば存在論的特質というべきものである。

 伴林光平は大和「義挙」に挫折したとき、十津川 農民の「狡黠虚語」に満腔の憎悪をぶちま けているが、民衆の生活思想の側からは、幕末「志 士」の政治思想はひっきようよまいごとに すぎない。そのような敗北の政治体験をくりかえ せば、「秘訣」にみられるようにニヒリスティッ クな民衆蔑視が顔をみせぬともかぎらない のである。

 そのことと裏腹に、幕末「志士」は、〝御陰まい り″や〝ええじゃないか″にあらわれた民衆運動を、 倒幕に利用することはあっても、内在的に理解する ことはできなかったのだ。

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2007/11/19(月) 20:48 | URL | みんな の プロフィール #-[ 編集]
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