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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『大日本帝国の痼疾』(12)

明治維新と昭和維新運動の類似性(1)


 前回は、「秘訣」にあらわれている合理主義的 権力観(=天皇観)の典型的な前例として南北朝 内乱を取り上げた。今回はその後例として、昭和 維新における皇道派をみてみよう。

 「秘訣」が表に出るきっかけとなったのは 足利将軍梟首事件であった。「秘訣」はその 事件の参加者ひとり、三輪田綱麿(綱一郎) の居宅で発見、押収されたため、その事件を 起こした人たちの間で密かに回覧されていた とされている。ではその「秘訣」の読み手は どのような人たちだったのだろうか。

 その事件の参加者たちは平田学派とされているが、 そのメンバーは次のとおりである。(浅井昭治の 研究による)

師岡節斉 -   江戸・医師
三輪田綱麿 -  伊予・神宮
角田由三郎 -  信濃・神官
宮和田勇太郎 - 下総・名主
仙石泰輔 -   因幡・鳥取支藩士
高松平十郎 -  信濃・豪農
石川一 -    因幡・鳥取支藩士
中村慎吾 -   常陸・郷士・豪農
青柳建麿 -   下総・豪農
長沢真事 -   陸奥国(出身階層不明)
小室理喜蔵 -  丹後・丹波・織元(京の問屋)
西川善六 -   近江・肥料商
長尾郁三郎 -  京都・綿商
野呂久左衛門 - 備前・岡山藩陪臣
岡元太郎 -   備前・岡山藩陪臣
中島永吉 -   阿波徳島藩・儒者養子
大庭恭平 -   会津藩・下級藩十

 このうち中島永吉(錫胤)は平田門人ではなく、 京の中島椋隠(朱子学者)の門下。
 大庭恭平は幕吏をアジトにみちびきいれたスパイ。


 これらのメンバー17人のうち、下級武士は5人で 3分の1に満たない。あとは豪農・商、神官であり、 いわば「中間層」である。年齢は21~38。

 この人物たちの最大公約的な人物像を抽出すれば、 家業に従事せず、ただ国事行為という政治活動に挺 身するだけであり、いわば、生活者としては失格し ている落伍者(デクラッセ)である。

 昭和維新運動の担い手たちのうち、青年将校は 別として、1930年代の民間右翼たちは、後進的な資本制という新たな 「身分」秩序社会から阻害された人たちであった。 そういう意味で、維新運動の担い手たちは「秘訣」 の読者と同じようにデクラッセであったと言ってよい だろう。

 「秘訣」の書き手も、上記のような社会階層に ぞくしていたことは確かだろう。しかし、「秘訣」 の思想はその読み手たちから相対的に独立してい る。読み手の理解の範囲をはるかにこえている。 そのことを、近藤さんは、事件の参加者のひとり 宮和田勇太郎の場合を取り上げて論考している。

 宮和田勇太郎の父光胤は、典型的な平田学派で 生涯その思想を変えていない。浅井昭治の紹介し た手記(「一代記」その他)によって以下その政 治・社会意識を追ってみる。

 光胤は息子勇太郎の尊王攘夷の志を立てるため の上京を許可し、その出発にさいし、

「第一父母にきかせて決心せんと思ふ時ハ兼テ其 方の身の上ハ我れにかはりて忠孝両全の心がけを 日々にさとしくれよと、三輪田元綱大人によくよ く頼ミ置し侯間、此人にそむくハ父母にそむくと 心得べし。必わするゝなかれ師岡正胤大人の教ひ (へ)を受け、又たがひに心たはのいけん致し合、 有志の人を多く拵へ、土気ヲ引立、己れ一身の義 勇にせまるなかれ。時としてハ早く関東に下り、 外々にも士気引越し、父母親族をも養ひ、必其方 迄男子不滅の我が家を子孫たやさぬよふ皇大御神 にいのりたてまつれ」

という心得をあたえるほどの人物であった。しか も上京する党派の(光胤が安政六年平田歿後門人 となったのは、大国派の三輪田、師岡の紹介であ る)活動資金に、伝来の田畑を売って工面してい るようである。また、

「ふるいぬのとし(注-上京の文久二年)、男胤 影(注-勇太郎)をおなしこゝろのともとみやこ にのぼせける時、よみもたせやりける歌」
として光胤が
「みやこじとあづまの雲におやとこがつくす心を 神もまもらむ」
を、
「男胤影みやこにのぼりける時に、品川の宿まで 光胤をはじめ人々もおくりゆきて、いよあへわか れてたち出ける時」、
勇太郎が
「おやとこがにしにひがしにわかれつゝつくす心 はただ国のため」
をそれぞれ詠んでいる。

 この、いかにも美談というほかはないような、 親子の率直な交感、とりわけ勇太郎の忠孝観念の 矛盾なき結合の意識は、平田学徒にふさわしいも のである。木像梟首という奇怪な書件の背景には、 このようなごくありふれた自然性があった。

 手記にあらわれているこれらの内面的な意識は、 おそらく事件の関係者すべてに通底するそれであ るはずで、「秘訣」の思想と比較すればはなはだ しい懸隔がある。つまリ「秘訣」の作者は、ここで も平田派だと所定することは困難である。

「親子兄弟と雖も唯執着の私なれば、蠢虫同様の 者にして、愛するに足らぬ活物也」
などとうそぶく書き手に、修身の教科書的な発想 はかんがえられないことである。こういう倒錯し た言葉は、およそラディカルな思想が現実から離 陸するときに不可避的におそわれるもので、思想 のある普遍的な型を示している。我々が思い浮か べるのは、原始キリスト教の苛烈な肉親否定であ る。イエスの反自然思想は、
「兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また 子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう」
「わたしよリ父または母を愛する者は、わたしに ふさわしくない」
という位相で成り立っていた。

 しかし原始キリスト教からニヒリズムの印象を うけないのは、それが彼岸から、あるいは他界か らやってくるものであれ、倫理が信じられている からである。ところがこの幕末志士のバイブル? には、どんな「千年王国」もユートピアもなく、 信じられているのはただ赤裸な権力のみである。

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