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『大日本帝国の痼疾』(10)


「英将秘訣」―その天皇観(3)


 続いて近藤さんは次の条文を取り上げている。

一、釈迦、空海、義経、正雪等奇術を知りて世を扱 ふとも、何れも小智短才の者也。日本にては神武天 皇、唐にては泰始皇が如き天下を併呑する大量を以 て、加之(しか)も彼の術も亦存せば、地球に名あ りて後世に及ばんか。

一、神式天皇本州に入る時、不随者は立処に之を殺 し、随ふに於ては其国の造とせり。この智蠢民 (しゅんみん)を扱ふに最上なり。


 これらの条文が示す天皇観は、国学だけではなく、 近世思想史上のあらゆる学派の天皇親と断絶してい る。天皇(制)の宗教的な意味は完全に放棄され、 権力志向と愚民観とが裏表一体のものとして構成さ れている。天皇(制)ヘの「恋闕」のこころの屈折 (不信)という心理的位相から、能動的な権力意志 というニヒリズムの位相へと転位している。

 明治維新を武力倒幕にみちびいた王政復古思 想のシンボル(神武天皇)も天上から地上へと引 き降ろされている。国学の否定する簒奪者として、始皇帝 と神武が同格に扱われている。「神武東征」は 「英将」のために、世界制覇の「秘訣」を提供する 一教科書にすぎない。

 ここまでくると「秘訣」の作者の思想は、平田国 学とはまったく相容れないものとなっている。この 作者にとって国学は流行の衣装にすぎない。その衣 装の中には、国学の「転倒」した天皇信仰の論理を 無化する起爆剤を秘めている。近藤さんは「秘訣」 における「天皇」の呼称を分析して、国学と「秘訣」 との決定的な乖離を明らかにしている。

 「秘訣」が「天皇」に言及しているの全部で10ヶ 所ある。内訳は
「天皇」:4ヶ所(そのうち神式「天皇」が2ヶ所)
「天子」:4ヶ所
「皇帝」:1ヶ所(今上「皇帝」)
「帝王」:1ヶ所(京都「帝王」)

 国学では「天皇」の呼称は
「天皇(すめらぎ)」
「天皇命(すめらみこと)]
「大皇(おほきみ)」
「天皇尊(すめらみこと)」
「天皇(おほきみ)]
などである。

 また、「天子」や「皇帝」などの呼称は、放伐論 のカテゴリィでは使用してはならないものである。 「天子」という呼称は「天津日嗣(あまつひつぎ)」 である日本の 「天皇」にのみふさわしいものであり、従って、 中国でそう呼ぶのは詐称であり、異端もはなはだし いということになる。つまり神霊による絶対的な権威 を意味するタームは、 外国に語源をもつものでも、すべて本来、日本 側だけが使用する権限をもつ、という転倒 がそこではおこなわれている。だから「天皇」と いう呼称についても、その起源が中国にあっても なんら問題ではない。それなら「天子」、「皇帝」 という呼称を使えばよいと思われるが、上記のように、 「天皇」という呼称で統一している。近藤さんは 「おそらくそれは中国側の文献に出典が少ないか らだろう。」と推定している。

「漢様に天子と称へ奉るも、皇国に限りたる称 (な)にこそあれ。昨日まで奴と呼れし男の、 今日は他の国を奪取て、暫其国を領(うしは) きつる漢国の王等のうヘに、懸ても言べき称に あらず。将(はた)「聖」ノ字を比志理と訓(よむ) も日知の義にて、天津日嗣領(しろし)める天皇 に限りたる称也」(本居派で天誅組のブレーン ・伴林光平著「園能池水」より)

「天子、皇帝も、僣号なれば、わが天皇の外に 称すべき語ならず」(平田派で明治国家の神道国 教政策に協力した竹尾正胤著「大帝国論」より)

 篤胤によれば、「天子」という呼称は、「天皇」 の呼称が漢土に伝わつたのであり、それもぬすみ とられてそう呼ばれたのだという。(転倒も転倒、 すざまじい「妄想」! ナショナリズムの本質、 ここに極まれり、だね。)

一、世に生利を得るは事を成すに在り。人の跡を慕 ひ、人の真似をする事なかれ。釈迦、孔子の類、唐 土の世々の天子も皆しかる事をせり。

 「秘訣」のこの条文の「天子」は、国学の用法と は異なる。この作者にとって、「天皇」、「天子」、 「皇帝」という言葉は、特別な語義上の区別はない。

 次に近藤さんは、「秘訣」において能動的ニヒリ ズムの極致を示す表現として、次の条文を取り上げ ている。

一、世に活物たるもの、皆な衆生なれば、何れを 上下とも定め難し。今世の活物にては、唯我を以 て最上とすべし。されば天皇を志すべし。

「世に活物たるもの、皆な衆生なれば、何れを 上下とも定め難し。」という一種の平等主義思想 は、宣長学や篤胤学に みられるものであり、急進的尊攘のどの党 派にも一様に反映されている思想だ。

「すべて世中にいきとしいける物はみな情 (こころ)あり」(「石上私淑言」)

 この宣長の自然観は、古今集仮名序の 伝統的心情に連なっている。

「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりけ る」

 また、宣長の思想は排仏的な立場をとつている にもかかわらず、生きとし生けるもの一木一草にまで仏心は 宿るといった仏教の自然観に通底している。

 篤胤に至ると、その仏教的無常感あるいはネガティブ なニヒリズムとの類似点は、人も動物も天地の腹中に わいた虫だから差別はないのだ(「呵妄書」)、と いう次元にまで転化する。ここでは人間的属性のすべてが生理的次元に還 元されいる。そのような相対主義は、言うまでもなく、 人間精神の尊厳性にもとづいた近代的平等の理念とは似 て非なるものだ。

 また、宣長は人間本来の自然的欲望を肯定した。それは 儒教の禁欲的で窮屈な道徳(漢心)に対するアン チ・テーゼの役割を果たした。これも理性より も心を重視した擬似平等主義である。そして、この擬似平等 思想が、政治思想としての「一君万民」論を説 く天皇制思想の論拠をなしている。この擬似平等 思想は、幕末期に封建社会を否定する強力な武器 としての役割をになったが、これが近代ブルジョア的理 念としての平等とはまったく異なることも、言うまでもない ことだろう。

 一方、「秘訣」における天皇観はその宗教性が 内部から剥奪されている。とくに重要なてんは、 民衆が天皇の「大御宝(おおみたから)」である とする「一君万民」論の核心が抜け落ちているこ とである。この意味で「秘訣」は明治維新の「祭 政一致」思想とは異なる位相を示している。それは 「されば天皇を志すべし」という文言によく表れと いる。しかし、このような宗教性の解体の果てに生 じた天皇信仰から頂点を目指す権力思想への転位 は、なぜ可能とがったのか。近藤さんは、「天皇への熱烈な 信仰心が、権力への意志と、内面的におなじよう な構造をもっているからだとかんがえられる。」 と述べている。その行き着くところが、次のよう な徹底した能動的ニヒリズムの表白となる。

一、方今の江戸を目玉とし、京都帝王の玉座を 腹腸(はらわた)とす。目玉は潰れても、腹腸あれ ば活きて居る。

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