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469 「良心の自由」とは何か(2)
憲法第19条
2006年4月9日(日)


 北海道の美唄市立中央小学校の卒業式では教員に「不起立」をさせないために、教員には椅子を用意せずに立たせたまま式を行ったという。こんな事を得々として行って権力に阿諛追従する校長のなんという醜悪さ!、滑稽さ!
 しかしこんなことがまかり通ってしまうほどこの国の民主主義は瀕死の状態にある。自分で自分の首を絞めている権力への阿諛追従者が多数派を占めている。
 本題に入る。(以下断りがない限り引用文は『神の運命』からのものである。また傍点を振って強調をしている語は太字で替えた。)

 古田さんの議論は憲法19条の吟味から始まる。

 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 この条文の内の「良心の自由」という言葉は『一般の日本国民にとって決して熟した表現ではありませんし、むしろ、よく考えてみればますますはっきりしなくなるような、単語のつらなり方です。』と指摘している。
 「良心」を広辞苑は次のように解説している。

『何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪を退ける個人の道徳意識。』

 そして「良心の自由」という項を置いて次のように言う。

『自分の良心に反する信念や行動を強制されないこと。多くの国の憲法で保障されている。』

 「多くの国の憲法で保障されている」はずの「良心の自由」がなぜ日本国憲法ではしっくりしないのだろうか。裁判の判例や憲法学説はこの「良心の自由」どう解釈しているのか、見てみる。主に三通りの解釈がある。

第1 最も一般的な判例上の解釈。
 条文の「思想及び良心の自由」は「<思想の自由>と<良心の自由>」と二つの事項が並立としたもの読むのが文法的には正しい。しかしこれを「<思想及び良心>の自由」と読み、「良心」は「思想」の一部分で、思想と良心は程度の差異に過ぎず、<思想及び良心>は「思想」と同じ意味になるとしている。
例 東京高等裁判所判決昭和24・12・5第4特別部
 「良心の自由とは思想の自由のうちその遺徳的判断に属する部分を指していうのであって広い意味での思想の自由の中に含まれる」

 すっきりしない部分を「見てみぬ振り」をしたことになる。これですっきりはしたが、「それなら、初めから<思想の自由>と簡潔に言えばよいではないか」という疑問が残る。

 この第1の解釈は『実際的な適用の場としての判例』には利便さを提供するが、一字一句を厳密に解釈する憲法学者には納得できないだろう。


第2 憲法学者の解釈
 条文を常識どおり「<思想の自由>と<良心の自由>」と読んで、その違いを次のように解釈する。
「思想とは人があることを思うこと」「良心とは人が是非辧別をなす本性により特定の事実について右の判断をなすこと」をいう。
 これに対して古田さんは次のようにコメントしている。


 「思うこと」が思想で「判断する」ことが良心、そういった良心の意味は少なくとも現在までの日本国民の辞書にはない語意ですが、その上、そういう「良心」の「自由」となると、世界法制史上に類を見ない珍奇な立法となり…



 古田さんは、佐々木惣一著『日本国憲法論』(有斐閣)から引用している。私の手元にある佐藤功著「日本国憲法概説」(学陽書房)は第1の解釈と第2の解釈のどちらをも立てようとした苦心惨憺たる解釈をしている。

 「思想」の自由と「良心」の自由との区別については、思想の自由はいわば論理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であり、良心の自由はいわば倫理的に何を正しいと考えるかの判断についての自由であるということができる。また良心の自由は、思想のうちその道徳的判断に属する部分であり、さらに根底的な部分であるともいえるであろう。しかし、両者の関係は密接不可分であって、その境界はつけ難く、特に両者を厳密に区別する必要はないというべきであろう。


 「思想」は「論理的判断」であり、「良心」は「倫理的判断」で「思想のうちその道徳的判断に属する部分」だという。ますます混迷を深めていると言わざるを得ない。


第3 英語の‘conscience'の訳語として解釈する。
 ヨーロッパ・アメリカの近代立法に見られる'conscience'はもっぱら 'liberty of conscience and worship'という表現で用いられている。この表現はロックを嚆矢とする。(1690年"Letters concerning toleration")
 ここでは、『良心〈conscience〉というのは外形的な宗教行為たる「礼拝」〈worship〉に対立する「内心の信仰」という意味』になる。田中耕太郎はこの立場で「良心の自由」を解釈しようとしている。
 この伝統的な用法で「良心の自由」を解釈すると、むしろそれは「信仰の自由」と言った方がぴったりということになる。これなら世界的用例に従った解釈であり、意味はすっきりとするが、日本国憲法内の整合性からは全くすっきりしない。なぜならそれは次の第20条と重複することになってはなはだ奇妙なことになる。

第20条 ①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
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