2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
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「オセト」のたよりもたえはてた


 私のブログの読者の方が資料を一つ紹介してくれまし た。戦時下での諜報戦の一つとして、敵国の通貨価値の 下落を謀る「通貨の戦い」を論じています。多量の偽通 貨をばらまく作戦もあったといいます。それによって経 済的な打撃を与え、搦め手から攻める作戦です。

 その話を読んで、諜報戦とは関係ないのですが、戦 争物資の不足に追い込まれた15年戦争末期日本での通 貨にかかわる情けなくもいじましい話を思い出しました。

 仮説実験授業という理科の楽しい授業があります。 予想・討論・実験というサイクルで授業を進めていきます。 授業記録を読むと児童・生徒たちの生き生きとした姿が 髣髴と して浮かんできます。銀行型授業の対極にある課題提出 型授業の一つとして大きな成果を挙げてきています。 でも最近はこの授業を実行している先生たちが弾圧さ れているという事例をときどき耳にします。足並みを乱 すとか、学習指導 要領を逸脱しているとかいうのが理由らしい。昭和の 15年戦争時に真先に弾圧されたのは生活綴り方教育 でした。いつの世も時の権力は「考える授業」を排斥し、 「考えるな、服従せよ」と威嚇します。現在では、イ シハラ沈タロウが推し進めている東京都の教育支配が その典型であり教育弾圧の尖兵です。

 ところで、その仮説実験授業を創った板倉聖宣さんは、 その理論を社会科にも適用して、「社会の科学入門シリーズ」 という授業書を創っています。そのシリーズに「おかねと 社会 ─政府と民衆の歴史」という授業書があります。

 まくらが長くなりました。私が思い出したというのは、 その授業書の最終問題です。全問を一緒に楽しみたい 誘惑に 駆られていますが、我慢して、最終問題だけを紹介し ます。(小学生 向けに難しい漢字に振り仮名が振ってありますが、それはは ぶきます。)


〔問題 23〕

 今までに日本で作られたおかねには,どんな材質 のものがあったでしょうか。
 金属製のおかねには,2種類以上の金属をまぜた もの(合金)が多いので,主成分(50%以上)として 使われたものだけをあげてみてください。 (下のものに○をつける)

   金   銀   銅

   鉄   鉛   錫

   亜鉛 アルミニウム   ニッケル

   クローム   貝   石

   陶器(とうき) プラスチックス 紙

   その他(       )


 近くに友達や家族がいたら、意見を出し合ってみ るのも一興でしょう。

 板倉さんの答は次の通りです。


 おかねの材料と社会-〔問題23〕のこたえ

 外国には石や貝のおかねが通用したところもあり ますが,日本では石や貝のおかねが全国的に流通し たことはないようです。

 日本で最初に作られた「和銅開珎」は銀製でし た。しかし,すぐに銅製の「和同閲珎」が作られ, 銀製は使用禁止となりました。その後,760年には 「開基勝宝」という金貨が作られましたが,これは ふつうに通用することはなかったようです。古代の おかねは,銅貨だけといってもいいのです。

 しかし,古代の天皇政府の発行した銅貨の質はだ んだん悪くなり,796年発行の「隆平永宝」には砒 素が15%以上もはいっているということです。それ だけではありません。907年発行の「延喜通宝」や 958年発行の「乾元大宝」には,50%以上の鉛を含 んだものがあり,中には鉛が75%とか92%で銅をほ とんど含まないものもできました。つまり 鉛のおか ねもあったのです。 江戸時代の「えり銭禁止令」で は,鉛銭は割れた銭などとともに使用禁止の対象と なっています。

 15世紀ごろになると,おかねの流通がとてもさか んになり,銅貨だけでは高額の売買に不便となりま した。すると,しばしば砂金や銀のかたまりがおか ねの代わりに使われるようになりました。その金や 銀の品位を一定にして,はじめて正式におかねとし て流通させたのは江戸幕府です。徳川家康は江戸幕 府を開く2年前の1601年にはもう小判金・一分金・ 丁銀・豆板銀という金と銀のおかねを作って通用さ せたのです。

 江戸幕府は1636年から「寛永通宝」という銅貨を 作りましたが,1739年には鉄でもその「寛永通宝」 を作っています。鉄のおかねはさびやすくて困るの ですが,銅の不足を鉄でおぎなったのです。はじめ これは一時的な処置とされて,その後も銅のおかね が作られていましたが,小さくなる一方で,鉄製の 小さな一文銭もふえていきました。そして,1860 (万延元)年には,四文銭まで鉄で作るようになり ました。江戸幕府はそれから8年後の明治維新で崩 壊するのです。

 江戸幕府をたおした明治政府は,明治維新の3年 後の1871年に「円・銭・厘」というおかねの単位を つくり,質のよい金貨・銀貨・銅貨を流通させまし たが,その後まもなく,中央政府としては日本では じめて紙のおかね,つまり紙幣(おさつ)をつくり ました。そのおさつははじめ「不換紙幣」だったた め,人々の信用を失いましたが,やがて「兌換紙 幣」に改められて広く使われるようになりました。

 これで,

   金・銀・銅・鉛・鉄・紙

の6種がそろいましたが,1933(昭和8)年になっ て,こんどはニッケル貨が加わりました。100%ニ ッケルのおかねで磁石によくすいつきます。

 いまの1円玉でおなじみのアルミニウムが日本では じめておかねに使われるようになったのは,1938 (昭和13)年のことです。

 それでは,日本でおかねの主成分となったのは, 以上の8種類だけでしょうか。じつは,これ以外に もあるのです。

 太平洋戦争に負けてくると,銅もニッケルも アルミニウムも不足して,困った政府は1944(昭和19) 年にすず(錫)を主成分とした十銭玉 と五銭玉,すず50%あえん(亜鉛) 50%の一銭玉を 発行したのです。

 それだけではありません。1945年には十銭・五銭・ 一銭の三種のおかねを,こんどは陶器,つまり瀬 戸物で作りはじめました。陶器は金属でない ので, 厳密には「おかね」とよぶことも「おさつ」とよぶ こともできません。「おせと」とよべばよかったで しょうか。

瀬戸物の通貨


 もっとも,その「おせと」のおかねが 1500万枚ほどでき上がって,これから使用させよう としたところで,政府は連合国軍に無条件降伏を申 し出たので,この「おせと」はじっさいに使われる ことがなくてすんだのでした。

 それにしても,「いつの時代にも,ときの政府が 崩壊寸前には,必ずおかねの質が急激に悪くなって いる」といえそうです。 古代の天皇政府は銅貨を鉛 で作って,それ以後おかねを作ることもできなくな って,武士の政府にとってかわられました。江戸 幕府は四文銭まで鉄で作って間もなくつぶれ,明治 以後の天皇政府もすずやあえんや陶器のおかねまで 作って1年後につぶれているのです。

 以上で,日本のおかねの主成分となったのは,

金・銀・銅・なまり・鉄・ニッケル アルミニウム・すず・あえん・紙(陶器)

ということになります。
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