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467 「金印」と「黄金地帯」
2006年4月6日(木)


 前回引用文中の
『弥生の「黄金地帯」を、第三の従属国としての「奴(な)国」などではなく、第一の倭国、その中心領域として認めないかぎり、』

というくだりは、古田古代史になじみがないと分からない文ではないかと気になった。『古代史の未来』からもう二節引用する。(シリーズ「真説古代史」と重複する部分があるかもしれない。ご容赦を。)

 志賀島の金印に刻まれた文字「漢委奴国王」の読み方は「漢(かん)の委(わ)の奴(な)の国王」というのが定説だ。私も学校でそのように教わり、「ワノナノコクオウ・ワノナノコクオウ」とお経みたいに暗記したことが思い出される。いや今でもそのように教え続けられている。ところがどっこい、この定説も誤りであることを古田さんが解明している。第二部の1「金印」を全文引用する。(より詳しくは朝日文庫『「風土記」にいた卑弥呼』を参照)


 天明4年(1784)志賀島(福岡県)から発見された金印には「漢委奴国王」の五字が刻まれていた。後漢書倭伝の中で、光武帝が建武中元2年(57)に授与したとされるものである。この印文に対する理解の仕方が、日本の古代史像を真実(リアル)に把握するか否かの決定的な分かれ道をなす。
 中国の印文表記法は次のようだ。

 (A)授与者(中国の天子)― (B)被授与者(配下)
(中国の内外各層により、金印・銀印・銅印を分かつ)

 いずれも「二段」表記であり〝中間者″の介在はありえない。したがって、この印文の正しい解読は「漢の委奴(ゐど)の国王」である(「委奴」は光武帝のライバルであった「匈奴」に対する造語。〝従順な部族″の意)。
 つまり、従来の読解「漢の委(わ)の奴(な)の国王」はまったくの誤読である。中国の印文において、このような「三段」読みの国名はない。「漢匈奴悪適尸逐王」(大谷大学現蔵)という例があるが、「悪適尸逐(あくてきしちく)」は部族称号であって国名ではない。そのうえ「銅印」(もしくは金メッキ)であって「金印」ではない。
 金印の「三段」読みなど、まったくのルール違反だ。にもかかわらず、わが国の古代史学の定説派は、こぞってこのルール違反の道路を運行しつづけてきたのである。

 もしこの「奴国」が金印授与国であったとしたら、三国志の魂志倭人伝に二回も出現する奴国の記事中に、その旨の特記がない事実は理解不可能と言わねばならない。
 右の奴国(第一回出現)は、倭国中、第三の大国(第一位は邪馬壱国(女王国)。第二位は投馬国。戸数が各七・五・二万)である。にもかかわらず博多湾岸を「奴国」としたため、それ以上の出土物(三種の神器・絹など。後述)のあるべき女王国(いわゆる「邪馬台国」)を求めて、定説論者たちは永遠の流浪の旅に出ることになった。
 しかしその到着点などあるはずがない。なぜなら、日本列島の弥生期において、金器・銅器・ガラス器、そして絹など、当代最高の器物が集中出土すること、当地域(博多湾岸とその周辺)に匹敵しうる地帯は絶無だからである。神殿・宮殿なども同じだ。

 平成五年、私は学術論文をもって学会にこの点を問うたが、応答はない。



 次は第二部の4「黄金地帯」


 今まで繰り返し触れてきた「弥生の黄金地帯」の分布を要約しょう。

A 倭人伝の記述内容に「鏡」や「勾玉」や「刀」があり、この倭国が「三種の神器」を権力シンボルとする国家であったことは疑えない。その「三種の神器」を出土する弥生の王墓は「博多湾とその周辺」に限定されている。
①吉武高木(博多)・三雲(前原)・須玖岡本(春日)・井原(前原)・平原(前原)
②草浦里(光州)・良洞里(金海)
 すなわち、倭国の中心領域はこの「黄金地帯」以外にはないのである(草浦里は吉武高木とならぶ早い時期、金海は「イ方製鏡」を含む遅い時期、いずれも弥生時代)。

B 倭人伝中、最も重要視され、詳述されているのは錦(飾り絹)である。弥生の絹は「博多湾とその周辺」というこの「黄金地帯」にほぼ限られている(島原市三会村が唯一の例外だったが、近年、近畿でも一ヵ所出土)。この黄金地帯を〝第三の大国″としての「奴国」に当てた定説派は、逃れ道なき袋小路の中にいる。

C 弥生時代が「銅器の時代」であることは周知である。その「銅器の鋳型」もまた、この「黄金地帯」に最も集中している。

D ガラスは当時の貴品だ。その「ガラスの勾玉の鋳型」も、この「黄金地帯」において最大である。さらに、ガラスの璧(へき)は天子の配下の「諸侯」のシンボル物だが、三雲(前原)・須玖岡本(春日)・峰(朝倉)と「黄金地帯」に集中し、ここを取り巻いている(峰は再利用品)。

E 三国志の韓伝によると、「鉄」は弥生の貨幣だ。これもまた、筑前中城(博多・朝倉・前原)という「黄金地帯」に集中している。

 倭人伝の「邪馬台国当て」を競い、日本列島各地を〝御当地″としていた時代はすでに去った。自分の読解し、比定した当の女王国が、右のような「出土分布図」と対応しているかどうか、その検証が必要だ。それが現在の学問水準を示す。
 もし「邪馬台国はどこか、まだわからない」と主張する人があれば、その人は必ず〝日本列島各地、各所のいずれにも、右のような出土分布図が存在する″ことを示さなければならぬ。それが義務だ。教科書もまた、学問に基づくならば、同じである。



 最近「邪馬台国論争」(佐伯有清著、岩波新書)という本が出たことを新聞広告で知った。本屋でぱらぱら内容を点検して、購入をやめた。相変わらず「流浪の旅」をさまよっている学者しか取り上げていない。邪馬台国論争にも見事な一石(朝日文庫『「邪馬台国」はなかった』)を投じている古田さんを完全に無視した駄本である。この本の著者も学者としての誠実さを欠いている。日本古代史学会は一体いつまで面子にこだわり続けるのか。
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すみません
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それにしても、古田と三浦ですか。私と共通点がありますね。
ホームページの方は以前から読んでおりました。

古代史関係の記事をブログで全部読みたいのですが、どうすればいいのでしょうか。気長に過去ログをたどるしかないのでしょうか。

7/4 追記
http://adat.blog3.fc2.com/?all
で、全部読めますね。
2006/06/28(水) 18:26 | URL | シカゴ・ブルース #Q7TRsPbs[ 編集]
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ことばの不思議さにはずっと興味を持っていた。二十代半ば頃に池袋の東口にある古本屋で見つけた『日本語はどういう言語か』が三浦つとむとのはじめての出会いであった。目から鱗が落ちる思いがした。長い間抱いていたことば
2006/06/28(水) 18:11:02 | ことば・その周辺