2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
戦争意志とは何か(14)

三月事件と十月事件


 昭和の15年戦争の論者のほとんどは、その 〈戦争意志〉の遂行を可能とした動力を「軍部」 に求める。東京裁判ももっぱら「軍閥」あるいは 「軍部」の責任をめぐって展開されている。

 北岡さんは、そこでは『「軍部」という規定は レッテル程度の意味性しか与えられていない。』 と言う。そして、にもかかわらず『軍部が批難を 一身に背負うことになってしまった理由』を検討 している。

 まず、「軍部」とは「参謀本部・陸軍省の指導意志」 と規定した上で、軍部が批難を一身に背負うことに なってしまった理由の一つを『軍部が、当時の日本 の所持せる戦争担当能力を実現させる位置を占有し ていた』ことをあげている。

 ほとんどの論者たちは、この事実をもって、軍部 を戦争推進力の要として捉える。さらに、軍部は この戦争担当能力に裏打ちされて年度的あるいは 空間的な戦争計画(軍備拡充計画・仮想敵の設定等) を策定していたことから、軍部を〈戦争意志〉の 動力部として捉える。そして、軍部の一部がかん だ三月事件や十月事件を「広汎な武力的計画」の 一環だと主張する。例として北岡さんは神山茂 夫の文を引用している。

『…満州侵略戦争は軍上層部がくわだてたブルジ ョア地主的政党による内閣の指導権を奪取し、国 内の内外政策を軍閥の欲するままに展開せんとす る広汎な武力的計画(三月事件、十月事件のご  とき)にもとづくところのものであり、その 発火点であった。』(「天皇制に関する理論的諸 問題」より)

 では、三月事件・十月事件とはどんな事件だ ったのか、改めて調べてみる。

1931(昭和6)年
  3月 三月事件
  9月18日 満州事変勃発
  10月 十月事件

(以下は『昭和史探索』による。)

三月事件
陸軍参謀本部の急進的な中堅将校である橋本 欣五郎中佐、 根本博中佐、田中清少佐、坂田義郎中佐たち、 「桜会」の主だったメンバーが、右翼団体行地 社の指導者・大川周明、国家社会主義者の赤松克 麿などと組んで、政権奪取をたくらんだクーデタ 計画である。

 その計画とは、3月26日に、陸軍将校と右翼と で議会を包囲し、議場に押し入って内閣の総辞職 を要求、陸軍大臣の宇垣一成大将を首相とする軍 政内閣をつくる、というものである。

 このクーデタは陸軍省側の協力を得ることがで きず。また肝腎の宇垣大将が背を向けたため、 未然に潰えた。

 陸軍省側の革新派のリーダー的な存在である軍 事課長永田鉄山大佐、補任課長岡村寧次大佐、 陸大教官小畑敏四郎大佐たちは、まず何よりも 満蒙問題を解決することが先決である考えていた。 これがうまく解決できれば、国内改造は無理をせ ずともついてくる、軍部首班の内閣はできる、と 判断していたのである。陸軍はそれほど「満蒙の 危機」に直面して焦燥にかられていた。この焦燥 が満州事変へとつながって行く。

十月事件
 満州事変後、日本軍は連戦連勝の快進撃を つづけた。マスコミは軍の発表のままに、 「暴逆なる支那軍が満鉄線を爆破」「日本の正 当防衛」「権益擁護のための聖戦」を連続的に 報じた。新聞やラジオの報道にあおられ国民は 「暴支膺懲」とどんどん熱狂的になっていった。

 そのような状況の中、天皇の「不拡大」の指 示もあって、陸軍首脳たちの態度はふらついてい た。政府や軍上層部の紛糾に業を煮やした陸軍中 堅層は、大いに憤慨しふたたび極秘計画の実行に 走ろうとした。

「事ここにいたっても、政府と側近はまだ不拡大 をいい、外国の出方ばかりを心配している。天皇 もお喜び遊ばされず同調されている。これは天皇 が不明だからではない。天皇の側近が天皇の明を 曇らせているからである。このままでは戦死する も犬死同様の結果となる。このさい一挙にその側 近を倒し、軍事政権をつくらねばならぬ」

 満州での関東軍の猛進撃に呼応して、陸軍省ロ シア班長橋本大佐を筆頭に、省部の急進幕僚、隊 付の大尉・中尉たち青年将校、そして民間右翼が 同士となって大クーデタ針画が練られたのである。

 しかし、計画は10月17日に発覚して、憲兵隊に おさえられてあっけなく雲散霧消した。

 「三月事件」でも「十月事件」でも、首謀者ら は反乱罪として厳重に処罰されることなく、軍中 央は彼らを黙認した。この満州事変をはさんで 起きた一連の事件について、半藤さんは次のように 解説している。

軍中央が彼らを黙認したのは、いわば「満州事変 の完成」を目的とする国内的な作戦行動の一つと みなしたからである。政界や宮中をゆさぶり威圧 する。そこに其の意図があったのである。陸軍の、 満州事変と十月事件を巧妙に組み合わせた作戦は、 見事に成功した。

 そんなことを一切知らされていない国民は、 熱烈に軍部を支持する。神社には必勝祈願の参拝 者がきびすをつらねてつづき、血書や血判の手紙 で陸相の机はいっぱいになった。天皇にきつく叱 責されたとき、返答も満足にできなかった南陸相 は、

「日本国民の意気はいまだ衰えぬ頼もしいものが ある。この全国民の応援があればこ そ、出先軍人もよくその本分を果たしうるので ある。実に感銘にたえぬ」

と胸を張った。

 また、事件前に、

「日本人は戦争が好きだから、事前には理屈をな らべるが、火蓋を切ってしまえば、 アトはついてくる」

と予言した小磯軍務局長の豪語は、悪魔的に的中 した。〝生命線″の特殊権益を守るどころか、い まや線は面となって領土化しつつあったのである。

 先に引用した神山茂夫の文章について、 北岡さんは次のように批判している。

 三月事件や十月事件が「広汎な武力的計画」など というのは、お笑いにすぎない。軍部内の幕僚・中 堅将校たちが〈国家改造〉という〈政治意志〉をも っていたことは否定しえない事実である。 〈国家改造〉を促がさずにはおかない事実があった ことが否定できないように。しかし、ただそれだけ のことにすぎない。

 唯一、「武力的計画」と呼ぶにふさわしいものが ある。それは「広汎」なものであったかどうかは 別にしても、神山茂夫のいう通りのものであった。 すなわち、「満州侵略戦争は軍上層部がくわだてた ……発火点であった。」というてんである。満洲事 変は、軍上層部がくわだてたかどうかは措いても、 計画的に、すなわち人工的に発火させられたもの であった。計画者は石原莞爾である。
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