2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
戦争意志とは何か(11)

戦争意志―その現実的契機


1868(明治 1)年 大日本帝国誕生
1894(明治27)年 日清戦争
1904(明治37)年 日露戦争
1914(大正 3)年 第一次世界大戦
1927(大正 2)年 第1次山東出兵
1928(大正 3)年 第2次山東出兵
           張作霖爆殺事件
1931(昭和 6)年 昭和の15年戦争始(満州事変)
1945(昭和20)年 昭和の15年戦争終(大日本帝国滅亡)

 まるで大日本帝国は戦争をするために誕生したみ たいだ。この52年にわたる戦争の至りついた果ては 死屍累々の廃墟であった。荒廃したのは国土ばかり ではなかった。支配者の意思と、それと相互反 射する民心(世論)が荒廃した。靖国神社・遊就館はその 荒廃のミニチュアだ。

  殺戮の殿堂      白鳥省吾


人人よ心して歩み入れよ、
静かに湛へられた悲痛な魂の
夢を光を
かき擾(みだ)すことなく魚のやうに歩めよ。
この遊就館のなかの砲弾の破片や
世界各国と日本とのあらゆる大砲や小銃、
銃重にして残忍な微笑は
何物の手でも温めることも柔げることも出来ずに
その天性を時代より時代へ
場面より場面へ転転として血みどろに転び果てて、
さながら運命の洞窟に止まったやうに
凝然と動かずに居る。


私は又、古くからの名匠の鍛へた刀劒の数数や
見事な甲冑や敵の分捕品の他に、
明治の戦史が生んだ数多い将軍の肖像が
壁間に列んでゐるのを見る。
遠い死の圏外から
彩色された美美しい軍服と厳しい顔は、
蛇のぬけ殻のやうにカなく飾られて光る。
私は又手足を失って皇后陛下から義手義足を賜はつたといふ士卒の
小形の写真が無数に並んでゐるのを見る、
その人人は今どうしてゐる?
そして戦争はどんな影響をその家族に与へたらう?
ただ御国の為に戦へよ
命を鴻毛よりも軽しとせよ、と
ああ出征より戦場へ困苦へ……
そして故郷からの手紙、陣中の無聊、罪悪、
戦友の最後、敵陣の奪取、泥のやうな疲労……
それらの血と涙と歓喜との限りない経験の展開よ、埋没よ。


温かい家庭の団欒の、若い妻、老いた親、なつかしい兄弟姉妹と幼児、
私は此の士卒達の背景としてそれらを思ふ。
そして見えざる榴散弾も
轟きつつ空に吼えつつ何物をも弾ね飛ばした、
止みがたい人類の欲求の
永遠に血みどろに聞こえくる世界の勝鬨よ、
硝煙の匂ひよ、
進軍喇叭よ。


おお殺戮の殿堂に
あらゆる傷つける魂は折りかさなりて、
静かな冬の日の空気は死のやうに澄んでゐる
そして何事も無い。

 よって立つべき組織を欠きながらも大日本帝国の 〈戦争意志〉が戦力の急激な拡大を果たしえた現実的 根拠なんであったのか。北岡さんは『政治の大衆的 動向、このなかに〈戦争意志〉の現実的契機がこめ られている。』と言う。以下、その論述をそのまま引 用する。

 文学者の誰であったか、昭和20年8月15日敗戦の しらせを聞いたとき思わず「戦争とは終わるもの であった」という嘆声をあげたと書いているのを 読んだとき、その文句は印象的であった。

 あの戦争が十五年戦争と称されるように満州事変 の発火点となった柳条溝事件が仕掛けられたのが 1931(昭和6)年9月18日であったから以降まる十四 年間にわたり戦火が絶えることがなかったので ある。それ以前にも間断はあっても戦争があったの だから、「戦争とは終るものであったか」という 端言はわたしにとってすら異和を与えないぐらいで あるから、大正末期から昭和初期にかけて育ち、 あるいは誕生したものにとってはなおさらのことで あったにちがいない。

 ものごころのつきはじめが戦争の臭いのかぎはじ めという訳である。以来、戦争もまさに異和を与え ない〈自然〉に感じとられていたはずである。戦争 が先験的ですらあったということは〈戦争意志〉に とって豊かな土壌が先験的に存在していたことと同 義である。もちろん、どのような水準からであれ個 々の大衆から〈戦争意志〉を直裁的にひきだせると いうことではない。逆にいえば、個々の大衆の存在 の数だけ、意志の数だけの恣意的な〈戦争〉や 〈戦争意志〉をひきだせるということである。

 ただそれは、仮構された大衆存在を鏡とした戦争 意志者たちの〈戦争意志〉を反面鏡に映し出された 〈戦争意志〉をしか意味しない。そうでなければ、 あの8月15日を境とした大衆の豹変の意味など到底 つかむことはできない。

 ただ戦争意志者たちがさしだしたもののなかで それほど屈折せずに大衆に受感されたものがある。 前述した右翼急進主義の動力をいわば生理的に底 辺で逆接的ではあれ支えていた大衆的動向と言い表 したものがそれである。

 先に引用した橋本欣五郎の「領士拡張=神様の思 召し」論(!?)はそのイデオロギー的表現であった といえる。橋本は、すこしも意識していたとは思わ れないが、橋本の表現の根っ子には、橋本が安直に 提起した「領土拡張」を「残された門扉」とみるし か途のない閉ざされた情況を不可避とみた大衆の 政治的動向があり、戦争イデオローグによって、 それがさしだされたとき、それが例え逆立したもの であっても〈自然〉として受感される土壌があった。 あらゆる面から制約性を刻みこまれていた〈戦争意 志〉はこの回路においてのみ、すなわち、逆立され た大衆からの補完作用を受けてのみ動力を保持し ていたのである。

「……然ルニ頃来遂二不逞兇悪ノ徒(元老重臣軍閥 官僚政党を指す)簇出シテ、私心我慾ヲ恣ニシ、 至尊絶対ノ尊厳ヲ藐視シ僭上之レ働キ、万民ノ生 成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦二呻吟セシメ、従ツ テ外侮外患日ヲ逐フテ激化ス……」

と書いた二・二六事件の〈戦争意志〉の実行部隊と もいうべき青年将校の「蹶起趣意書」の遠景にも 下部兵士たちを通して困窮の極にたった農民とり わけ東北農民たちのその日その日の疲弊が横たわ っていることはみるもたやすいことである。

 この農本ファシズムとも呼ぶべき青年将校たちの 姿は、大衆的動向を映した〈戦争意志〉の在り処が、 生活意識の水準において容易にチャンネルしうると ころにあったことを示している。

 たとえ仮構されたものであっても〈戦争意志〉の 生活意識水準における定着は、神山茂夫によって規 定された戦前期日本の軍事的封建主義の侵略性に 通路を与えたことを意味していた。 現実的な疲弊 ・困窮はそれ自体への救済へ向ってではなく遠心 的に振り落されていくのみであり、不幸にも 〈戦争意志〉の現実的契機として、それを根抵にお いて支えていったのである。 総体としての十五年戦争は、このてんにおいてのみ 具体的でありえた。

 ここで私は数ヶ月ほど前に論壇をにぎわした 「希望は、戦争」論争を思い出した。31歳フリ ーター・赤木智弘さんの『「丸山眞男」をひっぱ たきたい』という論文が発端だった。赤木さんは 言う。

『我々が低賃金労働者として社会に放り出され てから、もう10年以上たった。それなのに社会は 我々に何も救いの手を差し出さないどころか、 GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、 罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平 等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、 流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。 その可能性のひとつが、戦争である。』

 冷静な自己分析力を備えている赤木さんには危 惧を抱かないが、世に言う「右傾化」という共同的 無意識は「〈戦争意志〉の生活意識水準における 定着」の新しい動向ではないかと危惧する。 まさに「現実的な疲弊・困窮がそれ自体への救済 へ向ってではなく遠心的に振り落されていく」 過程ではないか。杞憂にすぎなければ幸いだ。

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