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466 「君が代」は九州王朝の賛歌
2006年4月5日(水)


 関心が四方八方に分散していて話題があちこちに飛んでいます。ご容赦を。

 「君が代」の歌詞は古今和歌集からとられたというのが定説になっている。巻第七「賀の歌」の冒頭の歌で

「わがきみは千世にやちよに さゞれいしのいはほとなりてこけのむすまで」

となっている。「題知らず」「読み人知らず」とあり、明らかに民衆の間に流布していた歌だ。しかし私はその初句が「君が代」でないのが気になっていた。いつ誰が書き換えたのだろうか。

 「君が代」の歌詞の出所については次のような説があり、私はこちらの方が正しいと思う。ついでなので現在の「君が代」が一般に広められていったいきさつを概観しておく。

 明治のはじめに日本に軍楽隊をつくろうとしたとき、大山巌がひごろ愛唱していた薩摩歌の一節を歌詞としてしめし、軍楽隊を指導していたイギリス人フェントンに作曲させたのが初代の「君が代」だ。軍歌だった。
 しかし、フェントンの曲は日本人になじまず、1876年(明9)11月3日の天長節を最後に演奏が中止さる。その後、1980年になって、海軍省から宮内省式部寮に、軍楽にふさわしい作曲をしてほしいとの依頼があって、現在の林広守作曲のものができ、同年の天長節に演奏された。
 したがって、「君が代」は国歌ではなく、正式には軍楽である。1893年(明26)になって、文部省告示によって小学校儀式唱歌用としてこの「君が代」が採用されたが、そのばあいも国歌ではなく、「古歌、林広守作曲」として採用された。(参考資料「教育反動-その歴史と思想-」)

 「第213 文部省唱歌事始(2005年3月15日)」で紹介した「君が代」はさしずめ第三の「君が代」というところか。

 余談ひとつ。
 「君が代」の歌詞を選んだ大山は幼名を岩太郎いい、後に弥介と改名している。そして最後は「さざれ石」が「いわほ」となるように「巌」と改名した。ハハハ…

 さて、私の関心は「君が代」の歌詞が薩摩歌の一節だったという点にある。
 「題知らず」「読み人知らず」として古今和歌集に採録された歌は相当古くから愛唱されていたのではないか。それはいろいろな形で庶民の間に流布されていたと考えられる。こんなことを漠然と考えていたところ、びっくり仰天なことを知った。以下は、古田武彦著「古代史の未来」の「第二部の5:君が代」の全文である。


  1990年、興味深い発見に遭遇した。「君が代」の成立をめぐる問題である。「君が代」の歌詞は、福岡県の福岡市と前原市、すなわち「博多湾岸とその周辺」の中の地名・神社名・祭神名から成り立っていることが判明したのだ。
A 「千代」―福岡市福岡県庁付近(千代町。海岸部は「千代の松原」)
B 「さざれ石」―前原市細石神社(三雲遺跡の裏)
C 「いわほ」―前原市井原(いわら)遺跡(三雲遺跡とならんで著名)
D 「苔のむすまで」―苔牟須売神(こけむすめのかみ。志摩町、桜谷神社の祭神)

 ここで、若干の注記が必要だ。
a 「八千代」は「千代」の美称。
b 「いわほ」は岩穂。岩が語幹、穂(あるいは秀)は接尾辞。「いわら」は岩羅。早良が沢羅、磯良が磯羅であるのと同じ。「羅」は接尾辞。「そら」「うら」「むら」等。古代日本語の原型のひとつ。

 一方、志賀海神杜(福岡市)の「山ほめ祭」では「君が代」が〝地歌″ 〝風俗歌″として述べられる(「歌われる」わけではない)。その言詞(禰宜〈ねぎ〉による)には、

「あれはや、あれこそは、我君の、めしの、みふねかや」

という言葉が登場する。「我君」は対岸の「千代」(博多湾岸)からこちら(志賀島)へ渡ってこられる。― そういう設定の台詞の一節である。船が渡るのは博多湾。「我君」とは筑紫の君なのである。

 つまり、「三種の神器」の分布する博多湾岸、弥生の「黄金地帯」に連綿と伝統してきた行事、その中に「君が代」の歌詞があった。その歌詞は、その「黄金地帯」内の地名や神社名や祭神名を〝連ね合わせ″て作られていた。これは偶然だろうか?
 否、必然だ。弥生の「黄金地帯」を、第三の従属国としての「奴(な)国」などではなく、第一の倭国、その中心領域として認めないかぎり、「君が代」は、口には丸暗記で暗唱できても、歴史の心からは遥かに遠いのである。



 「君が代」は、はるか古代から今に至るまで祭り歌として唱え続けられてきた九州王朝の賛歌だという。大山巌が愛唱していたという薩摩歌も、たぶんこの賛歌の流れに連なるのではないだろうか、と私は想像している。
 上記の言詞では「我君」とあり「君が代」ではない。薩摩歌で「君が代」になったのだろうか。
 古事記・日本書紀が九州王朝の神話・説話を多く剽窃・改竄・接ぎ木している(「真説古代史」参照)が、現代の天皇の誉め歌も、もとは九州王朝のものだったとは、何たる皮肉!もっともこの場合は、意図的な選択ではなく偶然の結果ではあるが、なんという皮肉だろうか。はからずも、天皇家はいまだに本流・九州王朝の威光から逃れられないでいるということになる。

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