2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

「君が代・日の丸」でなければいいのですか?

 私はよく、卒業式や入学式での「君が代・日の丸の 強制」に反対する人に「君が代・日の丸ではない国 歌・国旗ならいいんですか。」と問いかける。「君 が代・日の丸」の代わりの国家・国旗を作ることを問 題解決の一つの方法と考えている人たちは肯定的に 答えるだろう。
 しかしたいていの人は、戸惑ってしまって答えに 窮するようだ。はっきりと「君が代・日の丸ではな い国歌・国旗でもだめだ。」と答える人に出会った ことがない。

 上の文章は 「国家とは何か(1)」 (第20回2004年9月3日)の一部を再録したものだ。大岡みなみ さんの「身辺雑記」の 『9月13日(木曜日) 問題の本質は「強制」』 を読んで上の記事を思い出した。

 大岡さんの記事は、神奈川の教職員組合の分会 教研(教育研究集会)で行った講演の報告記事だ。 私が共鳴した部分を次に転載する。

 質疑応答の時間も15分ほど。天皇制の問題にこだ わりを持つ教員から、「日の丸・君が代」を論じる 際には避けられないテーマではないかという質問が 出たが、僕は必ずしもそうは思わないと答えた。 「日の丸・君が代」ではない別の旗と歌が作られて も、強制されたらやはり「思想・良心の自由」を 侵害することになるわけで、問題の本質は 「日の丸・君が代」そのものにあるのではない。 「全員を一律に同じ方向に向け させる」ことこそが問題なのだ。 旗と歌はそのための道具であり、「日の丸・君 が代」はその象徴なのである。赤い旗や青い旗 なら強制していいかというと、決してそんなこ とはない。論理的にはそういうことになるだろう。 そこのところをきちんと踏まえておかないと、 強制する側(国粋主義のタカ派政治家や教育行政 など)と逆の意味で一緒になってしまう。 「日の丸・君が代」に反対する人たちの危うい 部分でもある。



 私が抱いてきたのと同じ危惧を表明している。 「強制する側と逆の意味で一緒になってしまう。」 という文は分かりにくいが、たぶん「国家とは何 か(1)」で述べた私の文脈で言えば、政治的国家 に対するスタンスの取り方が「強制する側」と同 じではないか、という危うさのことだと思う。 単なる心情的なあるいはイデオロギー的な反対論 は、国家論を欠くとき、状況によっては 「強制する側」に逆転する恐れがある。

 もちろん私は、世襲君主の支配の永続をことほぐ歌 「君が代」を厳粛に歌うことなどは真っ平ごめんだ。 またもともとは天皇家の旗として規定された「日の丸」 を私たちを象徴するものとは認めない。それに、 どちらも天皇の軍隊の侵略戦争におけるシンボルで あった点でもその歌と旗に対する嫌悪感は強い。 しかし、ただそれだけが私が「君が代・日の丸の 強制」に反対する理由ではない。「君が代・日の丸」 もさることながら、「強制」という行政権力による 思想・信条の自由に対する侵害そのものを問題にし ている。だから、「旗や歌には罪がない」というよ うな、よく聞かれる「君が代・日の丸」擁護論は 私には成り立ない。罪があろうとなかろうと、 何よりもまず「強制」が問題なのだ。

 「君が代・日の丸の強制」と闘っている人の中に、 いままで「君が代・日の丸」に対してなんらマイナス イメージを持っていなかったが、「強制」されること に対して不服従を貫いてきたという人もいる。私は 「君が代・日の丸の強制」と闘う人たちの集会や 裁判に何度か参加してきたが、この「強制」そのも のが問題なのだという観点がはっきりと共有されて いるのか、危惧を持ってきた。それが「君が代・日 の丸ではない国歌・国旗ならいいんですか。」とい う私の問となっていた。
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