2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

亡国の歌+苦界浄土

 昨日(9月15日)の東京新聞夕刊に、ひとり芝居 『天の魚(いを)』が14年ぶりに公演されるという 記事があった。続いて、『週間金曜日』でも公演再 開の記事(山村清二「いま、ここからの"もやい直し"」) にであった。

 この芝居は石牟礼道子さんの著書『苦界浄土  -わが水俣病-』の一章を脚本化したものだ。 石牟礼さんには『天の魚』という著書もある。

 でも、なぜいま水俣病なのか。「いま、ここから の"もやい直し"」から引用する。

 2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決によって 国・県の行政責任が確定した後、新たな認定申 請が相次ぎ、申請者は5000人を超えた(2007年 5月31日現在)。だが、環境省は今も認定基準を 見直そうとしない。

 一方、水俣市では、大型の産業廃棄物最終処分 場の建設計画が、多くの市民の反対にもかかわら ず、県と企業によって強引に進められている。 「公式発見」から半世紀が経過した今日でも、 水俣病はまったく終わっていない。

「患者の皆さんの苦闘がいまなお続いているのと 同時に、水俣を考え続けることの普遍性、重要性 がますます感じられてきているとさえ言えるので はなでしょうか。」(『天の魚』復活プロジェク ト趣意書より)

 さて、『天の魚』の記事にたて続けに出合って、 私は三十数年前のことを思い出した。私は高校の 教員をしていて、当時担任をしていたクラスで ホームルームの時間に生徒たちに配布したプリン トのことである。朝日新聞に掲載された石牟礼さ んの「亡国の歌」という文章と『苦界浄土』の 一節を交合に配置したものだった。それを探し出 した。(よくとっておいたものだ!)

 そのプリントで私は次のような解説を書いている。 (若気のいたり、鼻持ちならぬ気取りがチト恥ず かしいがそのまま転載)

…人間の、人間と世界との関わりの根源を支える 真理を全きものとして表出するのが真の詩といえる のなら、それ(『苦界浄土』)は詩として書かれた ものではないが、どんな詩よりも詩であると、ぼく には思えた。…

…「亡国の歌」の…被害者の悲惨さはもとより、 加害者の荒廃しつくした精神のなんという恐ろしさ。 しかもそれが現代の圧倒的な風潮であるらしく、君 の心もぼくの心も同じ思想にひたひたと侵されつつ あると、実際に程度の差はあれ日常の様々な場面で 同じ思想に裏うちされた言動をしばしば発見できる ことに気づけば、さらに恐ろしい。加害者は誰だ。

…「亡国の歌」の爺さま婆さまと「苦界浄土」の 爺さま婆さまとが同一人物ではないとしても、 同じ水俣の人であれば、それらからにじみでてくる 怨嗟のうめきは、お互いに手をさしのべ、呼応し合 う。ぼくらの心はそのうめきの渦の中にもがき、 一生忘れぬように大きく傷つけ。ぼくらの思想の 原点となるまで。


「亡国のうた」+「苦界浄土」 石牟礼 道子

ひとつ 積んでは 母のため
ふたつ 積んでは 父のため

 自分の魂をあやすような、かすれたひくい声で婆 さまは歌う。

「ぐらしか、ぐらしか(哀れでならぬ)、おまい(お前)のこの手の、ぐらしゅうして」

 あの世に続く闇じゃと婆さまは夜毎思う。その闇 の底に、深沈とまなこをあけている孫の、骨の限り になって外側にわん曲している細い細い手首を握り、 自分の掌ながら二振り、三振りして、

「賽の河原にいったら、たったひとつの石さえ、 おまいがこの手じゃあ」

 涙やらこっくりやら、ひとつ所に落として、婆さ まはまた一回り小さくなった。

 そら海の上はよかもね。
 海の上におればひとり天下じゃもね。
 魚釣っとるときゃ自分が殿さんじゃもね。  銭出しても行こうごとある。
 船に乗りさえすれば夢みっとても魚はかかって くるとでござすばい。ただ冬の寒か間だけはそげ んしたわけにもゆかんとでござすが。
 魚は舟ん上で食うとがいちばん、うもうござす。 舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて茶わん と皿といっちょずつ、味噌も醤油ものせてゆく。 そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。

 手の指のみか、足首のみか、首のみか、がっくり 折れて、鳴けぬ鳥のように目をあけて、口の五体も かなわぬ体にされて生まれた胎児性水俣病の孫に、 自分の体をひきずりひきずり付きそっていた爺さま も、去年の桜の終わるころ死んだ。

 網も帆も、虫やねずみの食うにまかせてぼろぼろ の舟納屋の、その網の下から爺さまが生前隠してい た焼酎びんが出てきた。

 「魂が飛ぶようになるまで」爺さまは飲むことが あった。魂が飛ぶようになるまでは、低く低く、 世をはばかり、世間よりも、地平よりも折れまがっ て暮らしていた。孫も息子も、自分も、「会社の 毒」で死ぬのである。孫のははじょ(母女)は行 方知れぬ人となり、彼女のさとも全滅に近い。 患家であればせんかたもない。

 昔から鯛は殿さんの食わす魚ちゅうが、われわれ 漁師にゃふだんの食いもんでござす。してみりゃわ れわれ漁師の舌は殿さん舌でござす。

 まだ海に濁りのいらぬながし(梅雨)の前の夏の はじめには、食うて食うて(魚が餌を食う)時を忘 れて夜の、明けることもある。

 こりゃよんべはえらいエベスさまのわれわれが 舟についとらしたわい。かかよい、エベスさまの おまいに加勢さしたぞ、よか漁になった。さすが におるもくらぶれた。だいぶ舟も沖に流された。 さてよか風のここらあたりで吹き起こってくれれ ば一息に帆をあげて戻りつけるが。

 すると、そういう朝にかぎって、あの油凪ぎに 逢うとでござす。不知火海のベタ凪ぎに油を流し たように凪ぎ渡って、そよりとも風のでん。そう いうときは帆をあげて一渡りにはしり渡って戻る ちゅうわけにゃいかん。さあそういうときが焼酎 ののみごろで。

 いつ風が来ても上げらるるように帆綱をゆめて おいて。かかよい、まま(飯)炊け、おるが刺身 とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。

 ひとーつ、と数えて二つめの石は積めぬ河原に 爺さまの魂を婆さまは呼びよせる。くずれ落ち続 ける石に埋められて、石のあいからさしのべて、 外側に、そる指の、骨の声のような水俣病患者たち、 公式発生から17年、医学的には救済の道なく放置さ れ、行政には黙殺され、地域社会からは、差別隠 ペイ憎悪されて今も死につつ公式死者45名。

 法名釈良善位、享年72才俗名半永多良喜、と記し た位牌の前にさすり寄り、婆さまは

「わればかり早うこういう姿になって。婆にばかり 業をうちかぶせて、のう爺やん。」

と仏壇にいう。爺さまより二つ上の姉さま嫁御で、 青いこめかみの、異様に黒く染め流した鬢の毛の中 に膏薬をはり、とぼとぼときいた。

「会社の社長さんのお名前は何ちゅうお名前じゃっ たろか。忘れぬように書いて、お位牌の後ろにはら んば。そして、そのわれは、まあだ達者じゃろうか い。」

 無辜の民、とこれらの人びとをよべば言い足りぬ。 度はずれた魂の無垢さと、受苦の深さによって、 もはや現代の聖なる民、といえば、いう側の怒りが 美化される。

 沖のうつくしか潮で炊いた飯の、どげんうまかも んか、あねさんあんた食うたことあるかな。そりゃ、 うもうござすばい。ほんのり色のついいて、かすか な潮の風味して。

 かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。わが釣っ た魚のうちからいちばん気に入ったやつの鱗ばはい で舷の潮でちゃぷちゃぷ洗うて。鯛じゃろうとおこ ぜじゃろうと肥とるかやせとるか、姿のよしあしの あっとでござす。あぶらののっとるかやせとるかそ んときの食いごろのある。鯛もあんまり太かとより ゃ目の下七、八寸しとるのがわしどんが口にゃあう。 鱗はいで腹をとってまな板も包丁もふなばたの水で 洗えばそれから先は洗うちゃならん。骨から離して 三枚にした先は沖の潮ででも、洗えば味は無かごと なってしまうとでござす。

 そこで鯛の刺身を山盛りに盛りあげて、飯の蒸る るあいだに、かかさま、いちょ、やろうかいちゅう てまずかかさにさす。

 あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天の くれらすもんをただで、わが要ると思うしことって その日を暮らす。

 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。

 大正14年、チッソは、工場汚水の補償を漁業組合 から要求されたとき、「永久に苦情を申出ない」こ とを条件に、木の葉を金に換えたような見舞金1500 円也を支払う。昭和18年、問題再燃、チッソは再 び大要次の如き補償契約を結ばしめる。

一、 工場の汚悪水、諸残渣、塵埃を組合の漁業 権ある海面に廃棄放流することによる、過去及び 将来永久の漁業被害の補償として、一万二千五百円 を支払う。
二、 組合及び組合員は将来永久に一切の損害補償 を主張しない。ー略ー
三、 将来漁業組合の権利を継承するものが生じた 場合、同組合は、その者に本契約条項を履行させる 積に任ずる。

 不浄の金にまみれたことのなかった人びとに、 見せ金をしてあざむき、不遜にも、太古より生きと し生ける命の母胎であった海を、子々孫々にわたり 買いとったというのである。この時よりすでに水俣 の海は呪われる。日本科学工業資本史の典型を描き ながら、チッソは発達し続ける。1960年代経済高 度成長なるものが、わが列島に加えつつあった底 知れぬ企業犯罪のトップを担いながら。

 寒うもなかまた灼け焦げるように暑うもなか夏 のはじめの朝の海の上でござすで。水俣の方も島 原の方もまだモヤにつつまれてそのモヤを七色に 押しひろげてひいさん(陽様)の昇らす。あゝよ んべはえらい働きをしたがよかあ気色になってき た。かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもん はつくづく広かもんじゃある。空は唐天竺までに も広がっとるげな。この舟も流されてゆけば南洋 までもルソンまでも流されてゆくげなが、唐じゃ ろうと天竺じゃろうと流されてゆけばよい。今は 我が舟一艘の上だけが極楽世界じゃのい。

 そういうふうに語りおうて海と空の間に漂うて おればよんべの働きのくたぶれてとろーりとろー りとなってくる。

 するうちにひときわ涼しろか風のきて、

 迫りくる生存の危機感から、不知火海沿岸漁民 約四千が工場なぐり込みに出た昭和34年暮れ、 チッソは再三正体を暴露する。国際的「古典」と なって悪名高き、かの、水俣病患者家庭互助会に 結ばしめた見舞金契約書がそれである。

 死者の命三十万、不治の体の子どもの命年間三万 (一万円で妥結させようとした)大人の命十万とし、 将来水俣病の原因が同工場排水であるとわかって も一切追加補償要求を行なわぬ旨の一札をとった。 以後物価変動に伴い要求されて、若干命の値上げを したが、患者29世帯が44年6月訴訟提起するに及び、 被告側第二準備書面に右見舞金契約条文を麗々しく かかげ「和解契約」とよびまぎらわし、患者らの本 訴訟請求を理由なしとして、先住地域住民の命を 自社の製品以下に扱い臆面もない。

 明治十年代の足尾鉱毒事件以後、今日にひきつが れてあらわれた渡良瀬川流域の巨大な荒廃は、同じ 思想の源流からよりきたり、至るところ、国土資源 の荒廃は果てしもない。

 さあかかよい、醒めろ。西の風のふき起ころいた ぞ、帆を上げろ、ちゅうわけで。

この西の風が吹けば不知火海は、舟の舳はひとり でに恋路島の方にむきなおって、腕をまくらで鼻 は天さね向けたまま舵をあつこううちに、海の上 に展いた道に連れ出されて舟はわが村の浦に戻り 入ってくるとでござす。婆さまよい、あん頃は、 若かときゃほんによかったのい。



 「亡国に至るを知らざればこれ即ち亡国なり。」 亡国とは「自分の大切なるところの人民を自分の 手にかけて殺す」ことだと田中正造はいった。 「亡国」の亡霊が、水俣病事件を予兆として 1970年代によみがえるのを私たちはみる。

 どのように大ざっぱにみなすとも、全列島的規 模で、太平洋岸からびっしり食入った産業資本群 が吐き出し続ける無処理工場廃液は、もはやこの 国土の内蔵がよじり出す吐血じみてきた。正体不 明の化学薬品のはんらんと、おおいかかる毒ガス 状煤煙で、この国は緩慢なる窒息の時代に入った。

 海も河川も地表も、地下水もそこにいた生命たち も最終宿主の人間はさらに確実に、有機塩素化物群 や有機リン酸系薬品を蓄積する。厚生省は残留農 薬研究要員等の増員をゼロ査定したという。

 どのような新種の「水俣病」を背負って、我が 子我が孫が生まれてくることか知れたものではない。

 なああねさん、わしどんがみょうと(夫婦)と いうもんは破れ着物は着とったが、破れたままに ゃ着らず繕うて着て、天の食わせてくれらすもん 食うて、先祖さま大切に扱うて神々さま拝んで、 人のことは恨まずに人のすることは喜べちゅうて、 暮らしてきやしたばい。

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