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465 「惻隠の情」とは何か
2006年4月4日(火)


 藤原正彦著「国家の品格」がベストセラーだそうだ。
 私はへそ曲がりでベストセラーには食指が動かない。特に評論関係のものには、どうせ耳目に入りやすい俗説が説かれているんだろう、という偏見を頑なにまもっている。
 「国家の品格」も読んでみようとは思わない。大体その表題からして、たぶん「国家」と「国(社会)」をごっちゃにした議論だろうな、と推測してしまう。などと思っていたら 4月3日付朝日新聞「今日の論点・国家の品格とは何か」で藤原さんが『「惻隠の情」を広めよう』という題で「国家の品格」を論じていた。その論点から一つだけ取り上げてみる。
 藤原さんは『経済至上主義や市場原理主義』によって『日本だけでなく世界全体もめちゃくちゃになってしまうだろう。』と憂慮して次のように言う。


 こんな世界の中で、日本はどうすべきか。私は、経済的豊かさをある程度犠牲にしてでも「品格ある国家」を目指すべきだと考えている。そのためにも、新渡戸稲造の「武士道」の精神を復活させることが大切だ。戦前は軍国主義、戦後は経済至上主義によりすっかり武士道精神が廃れ、これに伴い国家の品格も失墜してしまった。これをもう一度取り戻すのだ。

 武士道には、慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが盛り込まれているが、中核をなすのが「側隠の情」だ。つまり、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり、共感と涙である。

 このような日本人の深い知恵を世界に向けて発信することこそ、荒廃した世界が最も望んでいるのではないか。



 『慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心』や『弱者、敗者、虐げられた者への思いやり、共感と涙』=「側隠の情」に異論があるのではない。その持ち上げ方に胡散臭さを感じている。
 それらの「心」や「情」は市井の片隅にごく普通に生きている大衆の日常においてはごく当たり前にみられるものだ。そしてそれらの「心」や「情」は何も日本人の専売特許ではなかろう。なぜことさらに「武士道」を持ち出さなければならないのか。いまにも「日本人の美しい心」とリンクしそうだ。
 それに何よりも「心」とか「情」だとかは「国家」の属性ではない。それは「国家」の問題ではなく個人の倫理の問題だ。『経済至上主義や市場原理主義』と対比すべき事柄ではない。
 前々回の『ロールズ』からの引用文中に「正義感覚」という言葉があった。「市民的不服従」の正当化の重要な拠点の一つとして用いられている。『ロールズ』では「正義感覚」を次のように解説している。


 私たちが「私憤」(他者の不正がもたらした危害に対する直接の反応)や「公憤」(他者の不正によって別の他者がこうむる危害を見た私たちの反応)を感じたり、友情や相互信頼のような絆を保てるのは、道徳的人格性の基本的側面である「正義感覚の能力」のゆえなのだ。

 この「正義感覚」は、しかもたんに書物の上だけの概念ではなかった。その感覚こそ同時代のアメリカで燃え上がった市民たちの抵抗運動の”共鳴盤〟の役目を果たしたものである。



 ここで言われている「正義感覚」は「惻隠の情」と呼ばれているものとどう違うだろうか。新渡戸稲造の「武士道」を読んでいないので断定はできないが、藤原さんの説くところからは、私には違いが見つからない。
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