2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
戦争意志とは何か(1)

戦争を引き起こすのは誰か


 ホームページの記事を書くことを、これまでの 不勉強を埋め合わせるためよすがとしている。他 人の言説の受け売りのような記事ばかりで内心忸怩 たる思いがないわけではないが、浅学非才ゆえ学習 報告のようなものしか書けないのでその点はお許し 願おう。

 しかし、私は生来の怠け者で、何か強制力がない とつい怠けてしまう。少ないながらも私の記事を 関心を持って読んでくれる人がいるので、それが ホームページを続ける強制力となっている。あり がとうございます。改めてお礼申しあげます。

 さて、順序が逆になるが、大日本帝国が米英との 開戦に踏み切るに至る経緯についても改めて勉強す ることにした。

 藤田尚徳の『侍従長の回想』によると、1946年2月、 ヒロヒトは戦争終結の「御聖断」は求められて下し たものだ が、開戦においては憲法の規定上それを止める権限 は自分にはなかったと、語っている。この主張は一 応理屈になっている。ヒロヒトにも三分の理という ところか。

 ではあの無謀な戦争を始めた責任は 誰にあったのかというと、一般には東条英機がその 筆頭に挙げられるが、私は個々人をはっきりと名指 しできないのではないかと思っている。その責任の 所在は大日本帝国という国家そのもの体質にあり、 大日本帝国の誕生時から蝕まれ累積されてきた宿痾 のようなものだったのではないかと思う。このよう な観点から米英との開戦への経緯をたどってみたい。 今は「戦後」ではなく「戦前」だと言われている 昨今、一つ前の「戦前」を知ることにも大きな意義 があるだろう。

 上記のようなモチーフに適した教科書を古いツン読 書から見つけた。

教科書:北岡輝紀『支配とは何か』
(『試行No.58(1982.3)~61(1982.9)』所収)

 私はこの論文の筆者のことは全く知らない。 北岡さんのその後の文筆活動を知りたいと思いイ ンターネット検索をしてみた。「北岡輝紀」 でヒットしたのは学林舎という学習教材会社の社 長さんだけだった。ご本人か同姓同名の別人かわか らない。北岡さん、論文の無断使用をお許しくださ い。

 いまフト思ったことがある。私のホームページを 訪れてくれる人たちの年齢構成はどんなだろうか。 中学生からのコメントが何度かあってびっくりした ことがある。もしかすると『試行』を知らない人も 結構いるのではないかと思った。『試行』を簡単に 紹介しておこう。

 同人誌『試行』は、「水準の高い責任のはっきり とした同人会を作りたい」という吉本隆明の提唱で 谷川雁、村上一郎の三人で始まった。1961年9月の ことである。創刊の言葉に「無名の思想を自立せし めるよりほかに、権力を否定する権力への道などあ りうるはずがない」とある。
 1964年第11号からは吉本隆明の単独編集の同人誌 となった。そして1997年12月の第74号をもって終刊 した。私は1977年7月の第48号から購読した。 三浦つとむさんや滝村隆一さんはこの『試行』を通 して知った。

 さて、本題に入ろう。上記論文は次のような構成 になっている。

一 開戦意志の現実的契機
二 戦争意志と戦争担当能力の形成
三 戦争意志 - その現実的契機
四 戦争意志 - その理念的契機
五 戦争意志 - その動力
六 戦争意志 - その動力としての〈事務官僚〉
七 戦争意志 - その動力としての(地位)

 戦争は政治の一形態である。ならば、戦争意志と は国家意志の一形態である。この論文はたかだか 日・米英開戦の経緯をたどることのみにとどまらず、 国家意志形成の契機や国家意志の実現(国家支配) の現実過程如何という問題の実例の一つとしても 読めるだろう。つまりこのシリーズは「国家論」の 一環でもある。 多分そういう意味合いで北岡さんは『支配とは何か』 という表題を付けたのだろう。(と、推測している が果たしてどのように展開されるか、見当はずれに なるかもしれません。)

 この論文のモチーフを述べていると思われる文章の 引用から始めよう。(以下、傍点などの付いた強調 文字は太字で代える。)

『ナチスの指導者は、今次の戦争について、その起因 はともあれ開戦への決断に対する明白な意識をもって いるに違いない。然るに、我が国の場合にはこれだ けの大戦争を起こしながら我こそ戦争を起こしたと いう意識がこれまでの所どこにも見当らないので ある。何となく何物かに押されつつ、ずる ずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの 驚くべき事態は何を意味するか。』

 これは丸山真男の文章だが、これを引用して北岡 さんは次のように言っている。

 我こそが戦争を起こしたのだという手合いを目の 当りにすれば、驚かざるをえないが、そういう人物 がいなかったことが、そんなに驚くべきことなのか。

 丸山は、自分の研究室を学生たちに荒されたとき、 自ら、梶棒なり丸太なりを振りかぶって怒りを表現 する代りに、「ナチスもやらなかった暴挙」と声を 震わす人間だから驚いたのかも知れないが……

 丸山はここで、「被告たち」がおかれていた歴史 的基盤すなわち、明治維新政府成立以来、間断は あっても戦争で戦争を養ないつづけてきたと言っても 許される位戦争を間近かにおきつづけてきたという 歴史的自然性に、いささかも目を向けていない。 敗戦を予測しえたとはいえ開戦に踏み切ることに、 現在の私たちが考えるほど決断がいったとは、思え ない。

 そう言うのが言い過ぎであるなら、次のように言 い換えてもよい。日本をずるずると大戦の中にひき ずりこんだのは、丸山のいうようなナチスと比較さ れる日本の指導者の無能・無力というもんだいでは なく、それを選択していった政治過程・政治的動向 によってであると。

 開戦前政治担当者たちのとった〈政策〉は一切、 後追い的になされたものにすぎない。〈政策〉は、 ここで〈現在〉の証明以上のものを意味していな い。

 次回から、日本の指導者たちが開戦を「選択して いった政治過程・政治的動向」をたどっていこう。
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