2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
「終戦の詔書」を読み解く

ポツダム宣言受諾までの経緯(1)

7月26日 ポツダム宣言発表
 ポツダム宣言の内容を日本政府が知ったのは 7月27日の朝であった。

 最高戦争指導会議構成員会議(以下、「最高会 議」と略す。)は宣言の内容を日本に対する最後 の降伏勧告であり、今までの無条件降伏要求から 一歩譲歩して、降伏の条件を示したものであると 判断した。

 「最高会議」で東郷外相は

『直ちに拒否することなく対ソ交渉のなりゆきを 見た上で措置を決める。それまでは意志表示を しない』

 と主張した。「最高会議」はそれを受け入れ、 そのように決定した。 これは、いまだ対ソ交渉を期待している 日本の戦争指導者たちの不明さと、ポツダム宣言に対す る無理解を示している。

 和平派といわれている米内海相でさえ

『「声明ハ先二出シ夕方ニ弱味カアル (26日ポツダム宣言)「チャーチル」ハ没落スル シ米ハ孤立ニ陥リツツアル 政府ハ黙殺デ行ク、 「アセル」必要ハナイ。』

という所見を高木少将に洩らしていたという。 (「高木惣吉メモ」)
 さらに、次のような海軍大臣訓示(7月28日)を 出している。

 米英等三国ノ謀略的共同声明二依り些少タリト モ必勝ノ信念二動揺ヲ来サザランガ為茲二重ネテ 訓示ス

今ヤ帝国海軍ノ戦備ハ着々進捗シ満ヲ持シテ醜敵 一蹴ノ態勢ニアリ

 敗戦直後の9月6日付朝日新聞(『朝日新聞に見 る日本の歩み』)に「終戦当時におけ る物的戦力」という記事がある。そこから見出しを 幾つか拾ってみる。

〔艦艇〕
「戦闘可能の戦艦なし」
「空母二、巡艦三等八十五隻」

〔航空機〕
「陸海合せ一萬六千機」
「相当数は実戦に適さず」

 これが「戦備ハ着々進捗シ満ヲ持シテ」いた帝國 海軍の戦力であった。

 ポツダム宣言受諾が、戦争終結の最後の機会であ ることを理解できなかった政府も、これが軍隊や国 民に与える影響 - 戦意が低下し戦争体制に破 綻がおこること - を極度に恐れていた。そのため 宣言の中の軍隊と国民の士気に影響を与えそうな部 分を削除した上でこれを公表した。そしてこれにつ いての意志表示をとくにしないこととし、28日の新 聞にニュースとしてこれを掲載させた。

 7月28日付の朝日新聞を調べてみた。一面トップ は戦績記事で「ポツダム宣言」は二番目扱い。見出 しは
「米英重慶、日本降伏の最後条件を声明 三国共同の謀略放送」
「政府は黙殺」
「多分に宣伝と対日威嚇」
 そして最後に
「外相これを閣議に報告」
と報じている。

 ところが陸海軍は軍の士気への影響を心配して、 政府は宣言を無視するとの態度をはっきりと公表せ よと主張した。鈴木首相はこれを容れて28日の記者 会見で次のように述べている。

(ポツダム宣言は)政府としてはなんら重大な価値 ありとは考えない。ただ黙殺するだけである。われ われは戦争完遂にあくまで邁進するのみである。

8月6日 広島に原子爆弾の投下
 アメリカは原爆投下の目的を戦争終結を早める ためとしているが、この一般市民の大量殺戮は 日本の戦争指導者に対しては戦争終結を促す効果を 持たなかった。8月7日には既にこれが人類史上初 の恐るべき核兵器であることが明らかになったていた が、それによって日本政府が直ちに戦争終結への 正式な努力を行った形跡はない。

8月8日 ソ連対日参戦
 8月8日日本時間の午後2時、モスクワでモロトフ ソ連外相は佐藤大使に対日宣戦布告を通告した。 ラジオ放送や関東軍の報告で同夜中にソ連の参戦は 日本の指導者に伝えられた。

 ポツダム宣言受諾を日本の戦争指導者に決意させ たのは、疑いもなくソ連の参戦であった。9日朝登 庁した阿南陸相は

不取敢戦争ヲ継続シ敵ニ一大痛撃ヲ与へタル時 機ヲ利用シテ何トカ申入ヲナス、特ニ我皇室ニ対ス ル問題ヲ確定ス、此点解決セザレバ大和民族ハ正義 ノ為最後迄戦ヒ国ヲ挙ゲテ悠久ノ大義ニ生クル外ナ シ
と記している。(阿南惟幾メモ)
 最も強硬な本土決戦派とされている阿南の場合で も、天皇制の保障が認められれば終 戦の申入れをするという態度に変わっていた。 それにしても、「敵ニ一大痛撃ヲ与へタル時機ヲ利 用シテ何トカ申入ヲナス」という妄想は、約半年前 に近衛とのやり取りで洩らしたヒロヒトの妄想と軌 を一にしている。この時点でなお、そのような 「時機」があると、本当に信じていたらしい。 驚くべき頑迷ぶりだ。

  8月9日 「最高会議」開催
 9日未明ソ連参戦を知った東郷外相は、早朝鈴木 首相を訪れてポツダム宣言受諾の必要を説き、首 相もこれに同意した。

  9日午前11時から開かれた「最高会議」では、 ポツダム宣言受諾は既に既定の事実として、それ に条件をつけるかつけないか、つけるとすればど んな条件かが論じられた。

 原爆による一般市民の甚大な被害は戦争指導者 たちに戦争終結を決意させなかったが、ソ連参戦 によって危惧されるソ連軍侵入・革命という恐怖 が戦争指導者たちに即時戦争終結を決意させた。

  9日午後2時半から「最高会議」にひき続いて閣議 がもたれた。その閣議では、東郷外相が
「皇室の安泰」
だけを条件として降伏すべきと主張した。これに 対して阿南陸相は、それにさらに次の三条件を付ける ことを主張した。
「軍隊の武装解除を自主的に行うこと」
「戦争犯罪人は自国で処理すること」
「保障占領は行わないこと」

 「最高会議」の構成員も閣僚もこの二つの主張に 二分されて意見はまとまらなかった。

 この閣議ではまた、食糧や輸送力、国民の志気や 戦意が絶望的な状態になっていることが取り上げら れていて、それは全閣僚のひとしく認めるところで あった。次のような報告が行われえている。

石黒農相
『食糧の不足から飢餓状態がおこるであろう。』

安倍内相
『民心の動向は敵愾心がもりあがらず戦争の将来に 不安を持ち、又共産党の意見は君主制の廃止で危険 だ。』

阿南陸相

『国民の中に軍への信頼感がなくなり悲観的気分が 広がっている。』

 まとまらなかたポツダム宣言受諾についての意見 を天皇の裁断によって、「皇室の安泰」だけを条件 にする方向で決着しようという計画が木戸内大臣 ・宮廷グループ・首相・外相などの間で謀られた。

  9日午後11時50分に開かれた「最高会議」は、 特に平沼枢密院議長を加えた上で、天皇臨席の御 前会議となった。

10日午前2時過、ヒロヒトは外相案を 支持するという「御聖断」を下す。 その理由をヒロヒトは次のように述べた。(保科善四郎メモ)

 従来勝利獲得ノ自信アリト聞イテイルガ 今迄計 画ト実行トガ一致シナイ、又陸軍大臣ノ言フトコロ ニヨレバ九十九里浜ノ筑城ガ八月中旬二出来上ルト ノコトデアッタガ 未ダ出来上ッテイナイ、又新設 師団ガ出来テモ之ニ渡スベキ兵器ハ整ッテイナイト ノコトダ。コレデハアノ機械力ヲ誇ル米英軍二対シ 勝算ノ見込ナシ。

 ここにはヒロヒトの陸軍への不信感が明らかにみ てとれる。また最も注目すべき点は、ヒロヒトが心 配したのは関東平野に米軍が上陸することであり、 原子爆弾ではなかったことだ。ヒロヒトは

 朕ノ股肱タル軍人ヨリ武器ヲ取り上ゲ、又朕ノ 臣下ヲ戦争責任者トシテ引キ渡スコトハ之ヲ忍ビ ザルモ

 と言いながらも、天皇の地位の保障だけに条件を 絞る案を採択したのであった。あるいはそれ以上の 条件はとても認められまいという現状認識があった のかもしれないが、いずれにしてもヒロヒトもポツ ダム宣言を無条件降伏勧告ではなく、それよりも一 歩譲歩した勧告と考えていたことになる。
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