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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
「終戦の詔書」を読み解く

「詔書」第一案の分析(5)朕カ一億衆庶ノ刻苦

朕ハ常ニ爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 神器ヲ奉シテ爾臣 民ト共ニアリ

 「神器」を持ち出して「爾臣民」を恐れ入らせよ うとはまさに神ががり国家の面目躍如、恐れ入りま した。その恐れ入っている「爾臣民ノ赤誠」のほど はどうだったのだろうか。

 開戦当初、神州不滅などという神ががり的な信念 を植えつけられた圧倒的多数の国民は、緒戦の嚇嚇 たる戦果に酔いしれて自ら戦争協力に邁進していっ た。

 しかし、「交戰已ニ四歳ヲ閲(けみ)シ」した頃、 「朕カ一億衆庶ノ刻苦 ソノ極ニ達」し、「朕カ陸 海將兵」の戦意の低下も極に達していた。支配者は 国民義勇隊を編成して国民総動員体制を敷くことに よって、国民の戦意の高揚を期待したが、その期待は ほとんど無に帰した。

 それは戦局の悪化もさることながら、国民生活そ のものが崩壊に瀕していたことが大きな原因である。

 すでに開戦にあたって定めた戦争経済の基本方針 は、すべてを戦争遂行のための軍需生産に集中し、 国民生活は最低限におさえることとしていた。その延 長上で1945年1月25日に「決戦非常措置要綱」が採択さ れた。そこでは、本土決戦にそなえての航空機なら びに特攻兵器の生産を最優先し、液体燃料の確保を これにつぐものとし、食糧は内地の増産をはかると いうだけに止めている。

 本土決戦に備えての軍隊への動員、徴用による 農業労働力の致命的な不足、肥料の欠乏は44年度 の国内農業生産に破壊的影響をあたえた。さらに 制海権を失い食糧の輸移入の道も閉ざされた。

 1945年6月8日の御前会議で「今後採ルべキ戦争 指導ノ基本大綱」を採択した。支配者たちは 「国力ノ現状」の中で、食糧について次のような 認識を示していた。

 食糧ノ逼迫ハ漸次深刻ヲ加へ 本端境期ハ開戦以来 最大ノ危機ニシテ 大陸糧穀及食料塩ノ計画輸入ヲ確 保シ得ルトモ 今後ノ国民食生活ハ強度ニ規制セラレ タル基準ノ糧穀ト 生理的必要最少限度ノ塩分ヲ 漸ク 摂取シ得ル程度トナルヲ覚悟セザルベカラズ

 更ニ海外輸移入ノ妨害、国内輸送ノ分断、天候及 敵襲等ニ伴フ生産減少等ノ条件ヲ考慮ニ入ルルトキ ハ局地的ニ飢餓状態ヲ現出スルノ虞アリ

 治安上モ楽観ヲ許サズ

 尚来年度ノ食糧事情ガ本年度ニ比シ更ニ深刻化ス ベキハ想察ニ難カラズ。

 主食の逼迫に加えて副食物も調味料も45年度に 入って極度に供給が低下した。肉、魚、野菜、調 味料は戦前の半分近くに減少した。生活必需品の 配給もほとんどなくなった。それにともない、闇 取引の横行、物価の高騰と「朕カ一億衆庶)ノ刻苦  ソノ極ニ達」していた。

 このような状況に国民を追い込んだとき、支配者 が第一に心配するのは、国民の健康や生命ではなく、 治安である。「治安上モ楽観ヲ許サズ」

 前提の「今後採ルべキ戦争指導ノ基本大綱」は 「民心ノ動向」という項を第一に掲げている。

 国民ハ胸底ニ忠誠心ヲ存シ敵ノ侵寇等ニ対シテハ 抵抗スルノ気構ヲ有シアルモ 他面局面ノ転回ヲ冀 求スルノ気分アリ 軍部及政府ニ対スル批判逐次盛 トナリ 動モスレバ指導層ニ対スル信頼感ニ動揺ヲ 来シツツアル傾向アリ

 且国民道義ハ頽廃ノ兆アリ 又自己防衛ノ観念強ク  敢闘奉公精神ノ昂揚充分ナラズ 庶民層ニハ農家ニ 於テモ諦観自棄的風潮アリ 指導的知識層ニハ焦燥 和平冀求気分底流シツツアルヲ看取ス

 カカル情勢ニ乗ジ 一部野心分子ハ変革的企画ヲ以 テ蠢動シアル形跡アリ 沖縄作戦最悪ノ場合ニ於ケ ル民心ノ動向ニ対シテハ 特ニ深甚ノ注意ト適切ナ ル指導下ヲ必要トス

 尚今後敵ノ思想撹乱行動ハ盛トナルヲ予期セザル ベカラズ

 「一部野心分子ハ変革的企画ヲ以テ蠢動シアル形 跡アリ」というが、すでに長年かけて「変革的企画」 を持つ恐れのあるとみなした人たちはほとんど一網 打尽されている。何を恐れているのか。離散逃亡、 サボタージュの増加、厭戦反戦言動の高まりに革命 の影を感じ、支配層はその影に脅えている。 「詔書」の最後の一節の

苟モ激情 軽挙 益々事端ヲ滋クシ 同胞排擠 愈々時局ヲ亂リ如キハ

は革命への恐れの表白である。 『支配者の心性』 で紹介した近衛文麿の上奏文が思い出される。

 庶民のささやかな抵抗、落書き・匿名投書・流言 蜚語などに対する憲兵隊・特高警察の取り締まりは いっそう激しくなっていった。内緒話にまで耳目を そばたて、容赦なく逮捕している。

 内務省警保局保安課のまとめた「最近における不 敬、反戦反軍、その他不穏言動の状況」によると
1942年4月~43年3月までは308件月平均25件
  43年4月~44年3月までは406件月平均34件
  44年4月~45年3月までは607件月平均51件
と急激に増えている。特に不敬言動が増えている。 この調査は不敬言動の内容について次のように分類 している。

(イ)
 敗戦必至を前提として陛下の御将来に不吉な る臆測を為すもの
(ロ)
 敗戦後、戦争の責任は当然陛下が負ひ奉るべきな りと為すもの
(ハ)
 戦局悪化の責任を畏くも陛下の無能力にありと為 し奉るもの
(ニ)
 戦争の惨禍を国民に与えたるものは陛下なりとし て之を呪詛し奉るもの
(ホ)
 陛下は戦争圏外に遊惰安逸の生活をなし居るとし て之を怨嗟し奉るもの

等にして何れも反厭戦思想感情の赴くところ遂に畏 くも至尊を呪詛怨嗟し奉るに至りたるものと認めら れるのである。

 その不敬言動の内容も、しだいに天皇を直接批判 するものとなった。こんな例があげられている。

「自己の親指を示し(天皇の意)日本はこれが居る から駄目だ」

「もし負けても天皇陛下が代るだけの問題だ」

「天皇陛下は呑気に写真に映っているが人の子供を うんと殺してこげな大きな顔をしている」

「(天皇陛下の御真影を指差し奉りて)大体この野 郎が馬鹿で東条にまきこまれていたから戦争に負け たのだ」

 「刻苦 ソノ極ニ達」して、「朕カ一億衆庶」 の批判精神を目覚ましめた。大日本帝国下の最大 のタブーであった天皇の神聖の欺瞞がようやく広 く意識され始めたということができる。

 士気の低下、戦意の喪失は「朕カ陸海將兵」にも 蔓延していた。本土決戦に備える軍隊は未教育の第 二国民兵が過半数を占める新編成部隊であった。 宿舎、給養の不足から兵士の体力気力は衰え、兵器 も行きわたらない状態では士気の低下、戦意の喪失 は当然であろう。毎日、陣地構築のための壕掘りか、 食糧あさりに明けくれて、教育訓練の余裕もなかっ た。

1945年7月25日、陸軍は内地各軍の参謀副長・参謀 を集めて軍紀風紀刷新に関する会合を開いた。ここ で行われた各軍の状況報告について作戦部長宮崎 周一中将は次のような要旨を書き留めている。

第一総軍
 逐次弛緩、離隊逃亡ガ違刑ノ六割二達ス、対地方 関係ハ当初ハ欠陥アリシモ逐次円滑トナル

第二総軍
 離隊-食料不足、戦局ト必勝確信ノ低下

航空総軍
 特攻隊要員ノ悪質犯罪、半島人ノ徒党離隊

憲兵
 自隊ノ状況相当注意ヲ要スル傾向アリ(物慾色慾 ニ起因スル犯罪)

 一般軍隊中散在スル小部隊ハ軍紀及ビ対外上不良 ナルモノ尠カラズ 其主要原因次ノ如シ

離隊=朝鮮・台湾出身者大部(約八割)
飲酒ニ因ル将校犯行=下級召集将校
軍民難問事象=大部ハ軍側ニ非アリ

軍民ノ実情寒心ニ堪ヘズ

 このような状況に対して、支配層はただただ一層の 取締りの強化をするしか能がなかった。

 軍部は直接民衆を統制し治安確保するために、 1945年3月16日、国内の憲兵の大規模な拡張を発令 した。軍管区に対応する地方ごとに 憲兵隊を編成し、憲兵隊司令部の下にほぼ県単位に 地区憲兵隊と直轄の憲兵分隊を設けた。その総人数 は憲兵1万4203名、他に補助憲兵922名という従来の 三倍に上る大増強であった。

 この結果民衆の日常生活にまで憲兵が介入し、 軍の権力を背景に人権を蹂躙するようになった。 このことによって国民の軍に対する不信と反感は いっそう増すことになった。

 この憲兵隊の増強は、連日のように全国の諸都市 が空襲に見舞われていた最中のことだ。国民の罹災 救助は二の次で、治安強化が第一重要事なのだ。 軍隊は国民を守らない。いや軍隊ではなく国家だ。 いざというとき、国家は支配者を守るが、国民は 守らない。
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