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第862回 2007/08/29(水)

「終戦の詔書」を読み解く

「詔書」第一案の分析(4)国民義勇隊

此ノ間欧州ニ於イテハ反テ戦火ノ終熄ヲ見 世界ノ 大勢ハ新ナル国際秩序ノ実現ヲ促スノ機運ヲ示セリ  是ノ秋ニ当リ尚交戦ヲ継続センカ

 1943年9月 イタリア降伏
 1945年5月 ドイツ無条件降伏

 ヨーロッパにおける同盟国ドイツの電撃的な進 撃が日本が開戦を決意する要因の一つであったと 同じように、同盟二国の敗北が日本に降伏を決意 させた要因の一つであったことは想像に難くない。

 同盟国の降伏の先に自国の敗北が否応なく見え る。また「世界ノ大勢」に乗り遅れることをおそ れる焦燥と不安は大きかったに違いない。しかし、 このイタリア・ドイツの敗北に関する文言は、 第三案以降さらに抽象的な表現に変わっていく。

敵国ノ人道ヲ無視セル爆撃ノ日ニ月ニ苛烈ヲ極メ  朕ガ赤子ノ犠牲愈々多ク

 「人道ヲ無視セル爆撃」という一般的な言い方で、 「原爆」のことを直接非難していない。これでは アメリカ軍の人道的犯罪は日本軍の「人道ヲ無視 セル爆撃」と同次元であり、目くそが鼻くそを非難 しているようなものだ。

交戰已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ 朕 カ陸海將兵ノ健闘 朕カ百僚有司ノ勵 朕カ一億 衆庶(しゅうしょ)ノ刻苦 ソノ極ニ達スルモ 未ダ 戦争ノ局ヲ結ブニ至ラス

 「交戰已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ」、 本土決戦が叫ばれるようになった。女性までもが動 員されて、アメリカ軍を迎え撃つべく竹槍の訓練が 行われたという話しを聞いたことがある。自爆攻撃 以上に愚かな政策だ。戦争遂行者たちはまともは判 断力を失っている。では支配者たちは実際に、 「朕カ一億衆庶」をどうしようとしていたのだろう か。 (以下、資料(3)による。)

1945年
 3月10日 東京大空襲
 3月12日 名古屋大空襲
 3月14日 大阪大空襲
 3月16日 神戸空襲
 3月25日 名古屋大空襲
 3月26日 小磯内閣、国民義勇隊の編成を閣議決定

 国民義勇隊の任務
① 防空、食糧増産、空襲被害の復旧、工場の疎開 工事
② 陸海軍の陣地構築などの補助
③ 消防などの補助に出動


 国民義勇隊編成の目的
「(隊員に)旺盛ナル皇国護持ノ精神ヲ振起セシム ルコト」
「真二戦列ニアル一員トシテ自覚ノ下二各其ノ職住 ヲ完全ニ遂行セシムルコト」
「戦局ノ推移二伴ヒ其ノ要請二従ヒ直チニ挺身難二 赴カシムルコト」

 私は2004年に成立した「国民保護法」を思い出し た。

 とまれ、国民義勇軍はこの段階では国民動員組織 であった。国民動員組織としては既に大政翼賛会、 翼賛壮年団、大日本青少年団、大日本婦人会などが あったが、それらは当初の国民組織としての性格を 失って、単なる精神運動の機関と化していて、本土 決戦を迎えて国民を総動員しようとしている支配層 にとっては無用の長物になっていた。国民義勇は それらを統合して国民動員の一本化隊を図るという 意味もあった。

 このように国民義勇隊は本土決戦のときの動員組 織を目指していたが、情勢の急迫によってはこれを 直接軍隊化することも想定していた。しかし、これ を戦闘組織にするためには法整備(合法化)が必要 だった。

 6月9日から開会された臨時国会(鈴木内閣)で
「義勇兵役法」
「国民義勇戦闘隊員に関する陸軍刑法、海軍刑法、 陸軍軍法会議および海軍軍法会議法に関する法律」
が提出可決され、6月22日公布された。

 義勇兵役法によると、年齢15歳から60歳に達する 男子、17歳から40年に達する年女子が義勇兵役に服 するものとている。つまり、ほとんどの国民を兵役 に服させる道を開いたことになる。この法律には特 に天皇の言葉が付されている。

「朕ハ曠古ノ難局二際会シ忠良ナル臣民ガ勇奮挺身 皇士ヲ防衛シテ国威ヲ発揚セムトスルヲ嘉シ…」

 義勇兵役法をうけて6月23日軍令を以て国民義勇 戦闘隊統率令が制定された。これは各地方に連合義 勇戦闘隊、その下に義勇戦闘隊、義勇戦闘区隊、義 勇戦闘分隊を編成すること、その他鉄道局、軍需会 社などにも義勇戦闘隊を編成すること、編成の時期 や要領は軍管区司令官が定めることなどが規定され ていた。軍令を以て律することによって義勇戦闘隊 は完全に軍の統率下に組み入れられることになった。

 国民義勇隊の結成は、必ずしも政府や軍部の計画 どおりには順調にすすまなかったが、それでも 6月13日に大政翼賛会は正式に解散し、国民義勇隊は 最後のそして唯一の国民統合動員組織となった。

 国民義勇戦闘隊統率令には「国民義勇戦闘隊を 編成するにあたっては国民義勇隊の組織を以っ てこれに当てるのを本則とする」ことが明記され ていてたが、実際に戦闘隊が編成されたのは、鉄 道、船舶、船舶救難の三部門だけだった。しかも それは8月になってからであった。

 ただし直接戦場化が予想された島嶼では、島民 全てを戦闘隊に組織して軍の指揮下に入れていた。 伊豆諸島の場合は、飛行場のある新島、本土上陸 の足がかりになる大島に、陸軍の大兵力が配置さ れたが、その他の式根、神津、三宅、御蔵、利島 の各島は住民の義勇戦闘隊が防衛の兵力の主体と なっていた。

 なんのことはない。これは、サイパンや沖縄の 場合と同じように、住民を捨石にして本土(支配 層)の延命をはかろうということだ。国際陸戦法 規における非戦闘員保護の規定を、サイパンや沖 縄で既に反古にしてしまった日本は、国民義勇戦 闘隊の編成によってそれを完全に放棄してしまっ たことになる。
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