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第860回 2007/08/27(月)

「終戦の詔書」を読み解く

「詔書」第一案の分析(2)「大東亜省」問題

「帝國ト共ニ東亜新秩序ノ建設ニ協力セル東亜ノ諸 盟邦」
 御前会議で米英との開戦の決意が行われた後で、 その開戦の大義名分が検討されたという倒錯した 経過がすでに「大東亜戦争」の本質を語っている が、ではその大義名分の一つ「大東亜共栄圏の建 設」の実際はどうだったのだろうか。

 日本政府内では、外務省から「大東亜省」を分離 設置する案がもちあがっていた。この大東亜省設置 案は1942年9月1日に発表された。同時に外務大臣・ 東郷茂徳が辞職をしている。この辞職は大東亜省 設置と関連あるものとみなされている。

 大東亜省の設置は「大東亜共栄圏の建設」とい う大義名分の本質に関わる問題であった。当時の 関係者たちの議論・証言によって、それを明らか にしてみよう。(資料(2)による。)

 満洲国、中国、タイ、仏印など、いわゆる大東 亜地域を大東亜省の管下におくとともに、従来の 対満事務局・興亜院・拓務省を廃止し、外務省 には「国際儀礼及び条約締結の形式的手続等」の みを残す、というのが大東亜省設置の骨格 であった。東郷外務大臣はこの考えに反対で あった。その考えは東条首相の考えと対立し、 東郷は東条から単独辞職を求められたが、 東郷はそれには応じなかった。東郷はその反対 意見の骨子と東条首相との意見の齟齬、辞職問 題に関して、『時代の一面』で次のように述べ ている。


 東亜の諸国は爾余の諸外国とはことなる取扱いを 与えられたりとて、日本に対し不信疑惑の念を生じ、 これら諸国の自尊心を傷けることになる。

 従来、興亜院の事務処理が支那人民の反感を招き、 失敗に帰せることは明かであるが、大東亜省案はこ の興亜組織を更に強化して、全東亜地域に、しかも 恒久的に実施せんとするもので、その失敗は事前に おいて予想せられる。

 予の主張に対し東条首相は、大東亜諸国は日本の 身内として他の諸外国と取扱いを異にするを要すと 論じ、鈴木貞一企画院総裁は、興亜院は失敗に非ず と反駁したが、予は興亜院の失敗は周知の事実なり と述べた。

 かくの如き戦争指導者を有し、かつ緒戦の成功を 宣伝するに急であって、戦力充実の施策に迂なる総 理を以ってしては戦争は不可能であると思ったから、 このさい東条内閣を退陣せしむるにみちびくことを 考えていた。

 ここで問題になっている興亜院は、1938年12月に日 本軍が「占領地」の行政を進めるための機関として設 置したものである。これについて『外務省の百年』 につぎのように記述がある。


 (興亜院は結局)中国における占領区域の拡大に 伴い、従来軍特務部が実施してきた政治、経済、文 化などに関する諸業務を所掌し、軍は軍本来の任務 に専念するために、事変中に暫定的対華中央機関と して設けられたものであったが、その後も実際には、 各地の特務機関が依然として従来の業務を行ない、 対華政策の重要な実質面はほとんどなお現地軍が管 掌し、興亜院の設置によって、中国における行政事 務はかえって複雑の度を増しただけであって、〝将 二現状ノ改悪″とみられたのみならず、中国側官民 にきわめて強い悪印象を与え、対華政策の遂行上少 からぬ障害となった。

 さて、東条は大東亜省設置の主旨を次のように述べてい る。

 既成観念の外交は対立せる国家を対象とするもの にして、きょうの事実は大東亜地域内には成立せず。 我国を指導者とする外政あるのみ。外務省の所管た る外交とは趣を異にするが故に、とくにこれを大東 亜省の処理に属せしめたるなり。大東亜圏内の諸国 に対する従来の方針を変更して新たなる出発をなさ んとするには非ず。事実に即したる機構を以てこれ にのぞまんとするなり。所管を外務省と大東亜省と に分つも、閣議において統一し、結局外交大権に帰 一する故、二元化にあらず。

 深井英五『枢密院重要議事覚書』で深井はこの 大東亜省設置の問題を「余の関与せる枢密院議事 中、政府との関係においてもっとも波瀾の激しか りしもの」と述懐して、この問題についての枢密 院での議論を書き留めている。

 石井菊次郎は、上の東条の主張に対して、 問題の核心は「大東亜圏内の諸 国をすべてデペンデンシー(属国)として取扱い たし」という政府の見解にあるとし、次のように 述べている。

 (反対の)理由を一言に括れば、本案は政府がこ れにより達成せんとする所期の目的に背馳すればな り。即ち政府はこれにより大東亜圏の建設に資せん とするも、余(石井)は其の結果の正反対なるべき ことを断言して憚らず。

 大東亜圏内の諸国を別扱いにすることは、これを 見下すものなりとの感を生じ、圏内の独立国及び独 立期待国を失望せしむ。

〔中略〕

 現に大東亜省設置案の世上に伝えらるるや、支那 及び泰の大使(支那大使徐良、泰国大使ナイ・ヂレ ック)は真先きに外務省に駆け付け、各々と自国の 日本に対する立場は如何になるやとの疑惧を抱きて、 真意のある所を質したりと云うにあらずや。

〔中略〕

 又本案の施行は敵国の謀略に利用せらるべきこと 必然なり。日本の道義外交はたんに口頭のみの言前 にして、実際は大東亜圏を自己の勢力下に圧服せん とするものなりとの非難は、すでに敵国側の宣伝 する所にして、本案はその証拠の一として援用せら るべし。

 次ぎに、本案は我が外交を二つに分界するものに して、これがために事務執行上多大の不便、不円満 を惹起すべきこと火を睹るよりも明かなり。

 深井は、問題の重点は中国にあるとして、次のよう に言っている。

 汪政権と日支基本条約を締結したるときには、共 同の理想、共存共栄、互助敦睦、支那民心の把握安 定、経済上生活上における支那民衆の福祉という類 の言辞がしばしば政府側においても使用され、民心 把握を支那問題処理の要訣とし、力による圧迫のみ を以て支那問題を解決しえずとする気分頗る濃厚に 看取すべきものありたり。

 然るに今回本案に関する政府の説明振を見れば、 この点は殆んど閑却され居るが如し。

〔中略〕

 而して本官制案による国内機構の改正は、支那等 をして戦争遂行のために我国に寄与せしむることに 重きを置くものの如し。

 このような議論に対すして東条は次のよ うに反論している。

 12月8日の大東亜戦争開始により確かに事情一変 せり。……支那等に対する我が関係は家長と 家族とのごとし。寄与とは協力を意味するものに して、不当にあらず。

 結局、大東亜省は「陛下も御裁下にさいし、対支 政策等に関する御注意があったのであるが、予定よ りも非常な遅延を見て11月になってようやく〔中略〕 発足するを見たのである」。

 なおこの時の東郷の単独辞職は、政変を恐れる天 皇の意志にもとづくものであり、いわば詰腹を切ら されたかっこうであった。

 以上の経緯を読むと、政府はアジア諸国を日本の 属国という地位に置くことを志向していたことが 分かる。もちろん、石油をはじめ各種資源の確保 が戦争遂行のための喫緊の要務であり、それを優 先しようという意図があった。

 それに対して東郷や枢密院の反対意見は、二重 組織の混乱による占領統治の失敗という興亜院の 二の舞や、「大東亜共栄圏建設」という大義名分 にもとることから生じる「東亜ノ諸盟邦」の離反 や国際社会からの非難を危惧していた。そして、 その危惧どおりの強い反発を引き起こした。

 汪政権下の人心は「本件を以て或は支那は植民地 扱とせらるるにあらずやと危惧し…‥・支那の前途 を悲観する向すくなからず」という状態で、重光大 使は種々これに弁明的説明を加えたが、それでも 「支那当局に於では表面は一応了解しおるもような るも、各方面の接触によりてえたる印象によれば、 一般になお相当危惧の念を抱きおるもの」のようで あった。況んや重慶側においては、邵毓麟情報司長 のごときは10月2日発表して「大東亜省は性質上大 東亜植民地省なること明白」なりといい、同8日の 重慶放送は「従来の我東北地区即ち満洲並びに陥落 地区において速成せられたる傀儡政府治下は、今後 正式に日本の植民地となり、日本政府直轄の統治区 域となれり」とした。(『外務省の百年』より)

 なおバチカンの極東通は、大東亜省設置が「日本 は大東亜共栄圏内独立国を〝ドミニオン″(自治領) の地位におかんとする」ものであるとした。 (『時代の一面』より)
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