2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

今日は「終戦記念日」ではない。「敗戦記念日」だ。

 昨日の東京新聞「本音のコラム」で鎌田慧さんが 『ささやかな誓い』という文を寄せている。

 広島、長崎、敗戦、と八月は記念日がつづく。 取り返しのつかない悲劇を経たあと、ようやく戦 争から解放されたのだ。

(中略)

 戦争は膨大な被害者をつくりだした。わたした ちの目にはみえなかったが、北東アジアから東南 アジア、太平洋諸島で、日本軍は二千万人ものひ とを殺りくした。これほどの負の経験があって も、まだ「正義の戦争」は必要だ、と声高にいう 政治家や評論家がいる。

 とりあえず、先日の参院選で自民党が大敗し て、憲法九条を変えようとする勢いも、いまは萎 えているようだが、「捲土重来」を図っているの で、油断できない。

 ひとりひとりが、どんな戦争でも、絶対支持し ない、といいつづけることが大事だ。絶対、妥協 しない。物わかりのいいフリをしない。いつもは っきり反対だ、という。これだけはつづけたい。

 私はもっぱら「敗戦」という言葉を使っている。 鎌田さんも「敗戦」という言葉を使っている。 「本音のコラム」の隣の記事「こちら特報部」の 記者は「終戦」と書いている。今日の朝刊は「終戦 記念日」と報じている。新聞はじめ公報的な メディアは全て「終戦」のようだ。「終戦」が国 家の検定合格用語なのだろう。

 鎌田さんがなぜ「敗戦」という言葉を使うのか、 その理由は知らないが、この問題に少しこだわって みようと思う。

 今日の東京新聞朝刊に、品川正治(経済同友会終身幹事) さんと鈴木邦男(新右翼「一水会」顧問)さんの 対談が掲載されている。題して「戦争体験に今こ そ学ぶ」。

 沈タロウが学校に「日の丸君が代」の強制を 始めた頃、朝日新聞がその問題をめぐって、いわゆ る識者の意見を連載したことがあった。その中で 私が一番共感したのが、鈴木さんの見解だった。 学校での「日の丸君が代」の強制をはっきり と否定し、さらに愛国心の強要の愚を主張していた。 それ以来、私は鈴木さんの発言に注目するように なった。鈴木さんは右翼を名乗っているが、おおか たの右翼とは異なり、硬直したイデオロギーの奴隷 ではない。現実を直視して、諸問題をラジカル (根源的)に問い続けている。したがって、左翼を 左翼という理由で「問答無用」と否定したりしない。

 品川さんは私が参加したある集会にお見えになっ て講演をされた。そこで初めて品川さんを知った。 その後も、右傾化に抗するいろいろな集会で講演し ている。財界人としてちょっと毛色の違う人だ。 根底に戦争体験があるからだろう。自らのスタンス を次のように語っている。

 私の経験を言いますと、45年11月に武装解除さ れ、河南省の砂漠地帯につくられた大きな捕虜収 容所に入れられたわけです。多いときには数千人 の日本の将兵がいたのですが、そこでものすごい 議論が起こりましてね。陸軍士官学校とか軍司令 部にいた人たち…、青年将校ですね、その人たち が「日本政府弾劾の決議文を出すから署名しろ」 と言う。

 何を弾劾するのかというと、潔く「敗戦」と言 わずに「終戦」と言う日本政府の姿勢なんです。 「国力を回復すれば(次の戦で)この恥をそそぐ というのが、大和民族の生き方ではないのか。 このような政府の指導は国民の方向を誤らせる」 というのが、彼らの主張でした。

 ところが、私たちのような戦闘部隊は「何を言 うか」という受け止め方だったですね。われ われは二度と戦争をしないという意味の「終戦」 で結構だと。

 署名に賛成か、反対かで血の雨も降りましたよ。 三百万人の戦友を亡くし、アジアで二千万人以上 の民衆を殺したんですから。どの面下げてこれか ら生きていくつもりなのか、ということですよね。 でも、全体としては署名反対の方がずっと多かっ たんです。

 46年5月に私は山口県の仙崎に復員するのですが、 上陸直前の船内で日本国憲法草案が発表された日 の新聞が配られた。そこに今の前文から九条を含 めて、ほぼ全部書かれていたんですね。それを読 んで、皆泣きましたよ。「二度と戦争はしないと、 憲法で決めてくれたのか」という受け止め方をし たんですね。

 戦争を見るときは兵隊の立場で見てほしい。将校 の立場からでは、国民の大多数の立場には立てませ ん。財界ではね、経団連会長だった平岩外四さん (故人)が陸軍の兵隊でした。ダイエー創業者の中 内功さん(故人)も兵隊です。あの二人は戦争に 関して、一般の財界人とは距離を置いた格好を取っ ていましたね。

 この引用文の前段に、今日の話題の「敗戦」か 「終戦」かという問題が出てきている。敗戦直後の 敗残兵たちの中ですでに議論があったなんて、初めて 知った。

 ある知人がその著書で「敗戦」と言う言葉を用い ない理由を書いているのを思い出した。その理由は、 まさしく上の将校たちの用法を否定するもので、 「敗戦」という言葉の裏には、いつか「恥をそそぐ」 「復讐を遂げる」という心情が読み取れるからとい うことだった。

 この理由には一理あるが、では「終戦」は妥当な 言葉だろうか。戦争を「兵隊の立場」(私は「兵隊」 を「庶民」と読みかえたい。)で見たとき、はたして 「終戦」なのだろうか。

 「終戦」がほとんど公用語となっているが、これは 欺瞞的な言葉だと、私は考える。将校たちが言う意味 での「敗戦」という言葉や「終戦」という言葉には、 国家がのっぺらぼうに継続していく、あるいは継続 しているという認識が含まれている。

 違うのだ。人が滅しない限り国は継続して行くが、 国家は永続的ではない。「大日本帝国」は敗戦して、滅亡した のだ。新憲法下の「日本」は「大日本帝国」の廃墟 から新らしく甦生した国家なのだ。もちろん、 「新生」日本は「大日本帝国」が残した負の遺産を 引き受けなければならない。戦争責任を免罪される わけではない。戦争責任を明確にして、 戦後責任を果たさなければならなかった。それを日本の 「庶民」がきちんと果たしえなかった、つまり脆弱な 民主化しか成し得なかった。狆ゾウら「大日本帝国」 のゾンビたちが「戦後レジームからの脱却」=「大 日本帝国への回帰」を目論むようになってしまった 現況は、そのツケなのだ。

 だがまだ遅くはない。「ひとりひとりが、どんな 戦争でも、絶対支持しない、といいつづけることが 大事だ」。「大日本帝国」は「敗戦」して滅亡し たことをはっきりと明示し続けなければいけない。 今日は「終戦記念日」ではない。「敗戦記念日」だ。 政府が行う欺式に抗するためには、「戦争体験」 を世代から世代へと継承していかなければならない。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
“終戦記念日”ですが、終戦記念日は嘘だったと思っています。
何故かって?
最近の特定アジアの反日の状況見てください。あの敗戦や、これまで色々な国と結んできた筈の終戦協定も賠償もすべて無駄だったことが、白日の下に晒されていますよね。中国も韓国・北朝鮮も現在の日本国に対して第2次大戦の事をある事・無い事、糾弾してますよ。現在の国連も追随して、“日本国と日本人”を糾弾するようですし。
問:どこが“終戦”なんでしょう?
答:日本人の頭の中だけです。
これが現実ですね。戦争終わっていませんよ。だって、周りの国は
終わらせたくないようですからね。
これが現実。
2008/01/11(金) 16:56 | URL | 禮亮 #-[ 編集]
創価学会は平和・反戦の姿勢をアピールしているが、実際アピールしているだけで実際的な平和活動は微々たるもので、むしろ学会員は平和団体に属していることだけで満足しているように感じる。戦争体験の展覧会などへの参加も、学会員の自尊心を満たすだけのもので、彼らがボランティア活動をすることはなく、財務した金が平和に役立っていると信じるのみである。

自尊心が悪い方向に働く場合には自惚れ(うぬぼれ)となる。自惚れは自分を過信し、実際の能力以上の存在であると誤認することである。この場合においては、他人から信用されなくなる事にも繋がるため、社会においてその地位が低くなる傾向も見られる。当人にしてみれば、不当に扱われていると云う欲求不満にも繋がるため、余計に事態が悪化しやすい。

戦争体験を知ることは重要である。平和への願いを心に描くことは大切なことである。しかし、自らが信じる宗教を人に押し付けようとすることは、平和には繋がらない。創価学会が折伏によって学会員を増やし、世界を平和に導くというような錯覚を持たされている学会員が多いが、創価学会は世界を平和に導く宗教ではない。

終戦記念日が近づき、各地の学会で反戦・平和の展覧会等を利用した、学会宣伝が行われつつある。
しかし、この国が第二次世界大戦に関与する過程を理解している学会員はいるだろうか。理解していれば、戦争したことを誇りに思うことはあっても「いかなる戦争にも反対」「日本が悪い」などと思うことはないのだが
2008/04/25(金) 16:26 | URL | 彩雲 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/865-2e6b0342
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック