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第844回 2007/08/08(水)

詩をどうぞ

『戦争、そして原子爆弾』

 今年も暑い夏だ。ますます暑い夏だ。広島忌、長崎忌。 私たち一般民衆の真摯な思いと、為政者たち欺瞞に満ちた 口説との齟齬がギシギシと音を立て、軋轢がメラメラと炎 を上げる。

 そして敗戦記念日。政府は「君が代」で天皇・皇后を 迎え、「戦没者慰霊」と称した「終戦」記念日の欺式を 麗々しく執り行なう。私たちとの齟齬軋轢の音と炎はい よいよ大きく高くなり、最高潮に達する。

 だが、例年のように、その音も炎もすぐに立ち消えて、 私たちの真摯な思いは何もなかったように再び 「日常という安逸」の中に埋もれてしまう。

 「日常という安逸」を責めているわけでもなく、また それは責められるべきものでもない。常にツッパッテいて は生き続けられない。私たちに「日常という安逸」は必 要だ。それは豊穣の可能性を孕む大地でもある。

 でもせめて、「日常という安逸」の中にあっても、私た ちの真摯な思いを何度でも何度でも思い起こしたい。 戦争とは何なのか、原子爆弾とは何なのか、何度でも何度 でも問い直していきたい。


戦争の詩3編

戦 争  北川冬彦

 義眼の中にダイヤモンドを入れて貰ったとて、
何にならう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたと
て、それが何にならう。

 腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければ
ならぬ。腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しな
ければならぬ。

 その骨灰を掌の上でタンポポのやうに吹き飛ば
すのはいつの日であらう。



戦 争  金子光晴

千度も僕は考へこんだ。
一億とよばれる抵抗のなかで
「なにが戦争なのだらう?」

戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。
そのながれた血が、むなしく
地にすひこまれてしまふことだ。
僕のしらないあひだに。僕の血のつゞきが。

敵も、味方もおなじやうに、
「かたなければ。」と必死になることだ。
鉄びんや、橋のらんかんもつぶして
大砲や、軍艦に鋳直されることだ。

反省したり、味ったりするのは止めて
瓦を作るやうに型にはめて、人間を戦力として
 おくりだすことだ。
十九の子供も。
五十の父親も。

十九の子供も
五十の父親も
一つの命令に服従して、
左をむき
右をむき
一つの標的にひき金をひく。

敵の父親や
敵の子供については
考へる必要は毛頭ない。
それは、敵なのだから。

そして、戦争が考へるところによると、
戦争よりこの世に立派なことはないのだ。

戦争より健全な行動はなく、
軍隊よりあかるい生活はなく、
また戦死より名誉なことはない。
子供よ。まことにうれしいぢやないか。
互ひにこの戦争に生れあはせたことは。

十九の子供も
五十の父親も
おなじおしきせをきて
おなじ軍歌をうたって。



一九四三年、冬の手帳
 -ある牧師の思い出-  千早 耿一郎

かなしい文字たちの
その風よりも
しずかな姿勢よ。
四角いきちょうめんな文字たちよ。
それらぎっしりつまった手帳の
そのしみのかたちづくる
肖像は
まっすぐに顔をあげて
すべての愛を信じているのか
光を確信しているのか。
ざくろのように割られた頭は
ゆがんでいる。
しかし風よりもしずかな姿勢よ。
一九四三年、冬。
召集令状を手にして、あなたは
まっすぐに憲兵隊に出頭した、
帽子もかぶらず家を出たが。
祖国をおおうなまぐさい風の中に
その文字の嗅覚は
いかにせつなくふるえていたか。
「人は人のために狼であってはならない」
「神の愛のために
 さいごの良心を守らねばならない」
と、手帳のことばは終っていた。
雲はうつくしくかがやいていたが
あなたはついに帰らなかった。
 貴家の家族と思われる
 行路病人の死体を預り居候間
 至急引取方出頭相成度
枯葉のように飛びこんだ
一片の通知状。

雲はうつくしくかがやいていたが。
その日はしずかに閉されていた。
ああそれは「行路病人」
ざくろのように割られた額の
しかし風よりもしずかな姿勢よ。
ぎっしりつまった文字の
友人の名から娼婦の住所まで
大根にんじんの配給から教会の雨もり修理
 の工面のことまで、
その文字文字にかさなり
最後の良心のあとにうずく
あついものかなしいもの。
それら吹きとじられた世界の
囚われの文字よ
目白おしの誠実さよ、
しかしそのしずかな文字たちは
自分の手にする銃で
他の誰をも殺す権利のないことを
人しれず訴えていた。
それは一九四三年、冬の証左。

その日から六年、
あなたののこしたたった一人の子供は
いま新しい墓石のそばで
草に手を染めている。
みひらかれゆく世界のやわらかな瞼よ。
瞼にあふれる
かなしい文字たちの
風よりもしずかな姿勢よ。



原爆の詩3編


コレガ人間ナノデス  原 民喜

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス



仮繃帯所にて  峠 三吉

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める

何故こんな目に遭わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を


追う者  長谷川竜生

アメリカの家庭に
戻り住んでいるか
あの太平洋の島にいるか
おまえを、探しだしたいのだ。
あのとき、島の墓地から
いつ飛び立ったか
おまえのネームは、何んというか
あい乗りしていた飛行士たちは
だれとだれとだれだったか
八月六日 朝の九時半だ
日本広島の上空から
第一号の原子爆撃をやりとげ
何十万の人間たちを一瞬にして
光の中に焼け爛れさし、殺し
巻雲をこえて、ゆうゆうと帰路についた。
おまえたちは祝杯をかざした。
つよい酒は溢れていたか、濁っていたか。
戦争だからと、すべてを打消し
大いなる戦果に酔い痴れていたか
せつに探しだしたいのだ
おまえたちはだれとだれだったか
なぜに魂をふるわす行動にでたのか
そうだ、おまえたちは命令という
だれが命令したのか、いかなる人物か
いかに命令が伝達されてきたのか。
その上官もいうだろう
絶対であり、服従しなければならぬと
飛行士たちと上官をつれて
その絶対者を探し究めよう
おまえを支配していた奴のネームは
その権力の手はだれとだれだったか
権力者をつれて探しだすのだ。
作戦本部がだれとだれとだれかと
さらに深く掘り下げて、迫っていく
いっさいを操っていた上部機関は
だれとだれとだれだったか、そのネームは
長官もいる 将軍もいる 技術家もいる
背後にある資本家、戦争科学者のネームは
だれとだれとだれだったか。

おまえたちには
罪の意識すらなし
アメリカの各州には
幾万のチャーチがあり
原爆の跡にもチャーチが建ったが
おまえたちの暴力はさらにつよい
おまえたちは原子爆弾を
第二号、第三号、第四号と
つぎからつぎへと命令し
命令されたものが命令し
最後にえらばれた数名のサヂストが
おまえたちの利潤、ひたすらな利潤のため
おまえたちの市場をひろげようと
機上の人となり、何十万の人間を殺す。

だが、おまえたちは
矛盾におちいっている。
人間を抹殺できない
俺たちを抹殺できない
俺たちとは、だれか
俺たちとは追う者、追いかける者だ。
おまえたちの犯した事実を血まつりにあげて
おまえたちの生涯を審判する者だ。
生きのこった広島の人たちよ
いたずらに傷ぐちをみせて
嘆いてはだめだ。泣いて訴えるな
だれとだれとだれだったか
探しだし 深く掘りさげて
人民の犯罪者を発見しよう
殺されても 八ツ裂きにされても
俺たちの追いかける歴史はつづく
歴史はつづきながら、だんだんと
追う者の数は大きくなり
鋭くなり、優れてくる
そして最後に審判する。

俺は追う者
俺たちは追いかける者
呪いの火を噴きかける者。

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