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第837回 2007/07/29(日)

「真説・古代史」補充編

『記紀』の「編成のルール」


 古田さんの古代史解明のための方法論の骨格は

文献(『記紀』、中国の諸史書など)を「一切の先入 観を排し、まず原文全体の 表記のルールを見出す。 つぎにそのルールによって問題の一つ一つの部分を解 読する。」

という点にあった。

 次回からのテーマは「神武記(紀)」以降の『記紀』 の記録をもとに、東鯷国滅亡の歴史(逆に言えば、 ヤマト王権による東鯷国略取の歴史)を解読する ことである。この場合、『記紀』の「表記のルール」と ともに、『記紀』の「編成のル ール」を見極めておくことが肝要である。その編 成のルールを、大きく二つ指摘することができる。

(一)「ヤマト王権中心イデオロギー」のルール

 最も顕著な例をあげる。「景行記」につぎの一文がある。

凡そこの大帯日子天皇の御子等、録(しる)せるは 廿一王(はたちまりひとはしら)、 入れ記さざるは五十九王(いそじまりここのはしら)、 并せて八十王(やそはしら)の中に、若帯日子命と倭建 命、また五百木之入日子命と、この三王(みはしら)は、 太子(ひつぎのみこ)の名を負ひ、それより余(ほか) の七十七王(ななそじまりななはしら)は、悉に国国の 国造、また和気、また稲置、県主に別けたまひき。

 オオタラシヒコ(景行天皇)には王子が80人いて、 3人の太子以外の77人は国々や諸地方の長官に任命した、 と言っている。まともな判断力の持ち主で、この記事を 史実と考える人はいまい。

 これは史実ではなく、「天皇家中心の血族国家」イデオ ロギーの表明しているものにほかならない。つまりこの 記事は、「わが国の各地の豪族や大中小の首長たちはす べて近畿天皇家の分家であり、天皇家こそすべての豪族 たちの血脈中心なのだ」と主張しているのだ。このイデ オロギーの表明はいたるところに現れる。『記紀』を 正しく解読する上で常に念頭に置くべきルールである。

(ニ)「王位継承の正当化」のルール

 『記紀』の各「天皇記(紀)」の説話は、次代 か次々代の天皇の治世に記録される。そのとき、 伝承あるいは公布される説話は、それを伝承・公布 する次代あるいは次々代の天皇の利害によって選定され る。そういう意味での「造作」が行われている。

 「『古事記』の説話は真実である」というとき、それは 「その説話が史実である」ということを意味するものでは なく、「次代の天皇の時代にその天皇の側から、そのよ うな説話が選定され、伝誦、公布された」という意味で 史実なのだ。顕著な一例として、古田さんはここでも「景行記」 を取り上げている。

 ここで不審なこと(従来から注意されていることだけ れど)、それはこの記が、名は「景行記」でありながら、 その内容は小碓(こうすの)命、つまり倭建(やまとたける) 命のことばかりが語られていることだ。彼が主人公だ。 景行はむしろ、西への征伐(暗殺行)から帰った小碓命を 直ちに東への征伐に追いやる非情な王者。そういった形で 出てくるだけだ。いわば舞台まわし役のように。

 このような不思議はなぜ生じたか。これも、先の命題 から見れば簡単だ。景行(十二代)の次代(十三代)は 成務。その次(十四代)は仲哀だ。その仲哀の時代に、 この景行記が作られたと考えてみよう。その仲哀は、 前代の成務の子ではない。問題の小碓命の子なのであ る。つまり景行~成務と仲哀の間には、系譜上の断絶 があり、仲哀は小碓命系なのだ。

 そして果然、景行記に景行その人は不在に近く、 もっぱら小碓命の功業が麗々しく、その記を満たしてい るのである。そして仲哀当人をふくむ小碓命系譜まで、 景行記の中に特別席を与えられているのだ。何と露骨な やり口だろう。

 これに対し、「景行その人には、たいした逸話がな かったから」。こんな説明をする人がいるだろうか。 いたとしても、そんな説明に誰が納得するだろうか。

 その理由は他にはない。景行~成務系をさておいて、 王権を獲得した仲哀の治世、景行その人や成務その人の 説話を選定することは喜ばれなかった。仲哀の利益に反し たからである。景行記に景行の説話なく、成務記に成務 の説話がない。それはこのためだ。

 成務の治世には、前にもすでにふれたように、

大国小国の国造を定め賜ひ、亦国国の堺、及び大県小県 の県主を定め賜ひき。

とあるように、天皇家の制度が定められた重要な治世だ。 その治世に逸話がなかったことなど、考えられない。 「後世造作説」(津田史学)に立ったとしても、ここに 説話を「造作」しないことは、おかしい。これに対し、 これを仲哀治世の利益に立つ場合には、容易に了解し うるのである。

 すさまじいまでの当代(作った治世)の利益の反映ぶ りではあるまいか。

 「ヤマト王権」古代史における「定説」という誤答や 疑問のまま放置されていた問題点が上の二つの「編成の ルール」を考慮することによって、明らかに解かれてい くだろう。
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