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第835回 2007/07/26(木)

「真説・古代史」補充編

『神武東侵』:生き返る挿入歌謡(3)



蝦夷(えみし)を 一人(ひたり) 百(もも)な人
人は言へども 抵抗(たむかひ)もせず


 『古代歌謡集』は

「蝦夷を一人当千だと人は言うが、 われわれに対しては手向かいもしない。」

と口語訳している。戦勝歌だ。これを「神武東侵」の 場面で解釈すれば、「蝦夷」は東鯷国(銅鐸圏 世界)の人々を指すことになる。九州王朝の支配領域 の拡大にしたがって「熊襲」という蔑称地域は南へ南 へと移動する。同じように「蝦夷」という蔑称地域は 東へ東へ(あるいは北へ北へ)と移動する。だから九州王朝分流のイワレヒ コたちが近畿の先住者たちを「蝦夷」と呼んでも別段 おかしくはない。

 しかしこれまでの論証で明らかなように、「神武記(紀)」の 挿入歌謡はその場面(大和)ではじめて創作されたも のではなく、故郷(福岡県糸島郡)で歌われてい歌を それぞれの場面(大和)で転用して歌ったものだった。 古田さんは「糸島カラオケ」と言っている。いい得て妙 である。

 古田さんは挿入歌謡⑦も「福岡県糸島郡近辺で歌われ ていたもの」とし、この地域に置きなおして考察をして いる。

では、糸島郡近辺にこの歌が示すような歴史的事件が あっただろうか。もちろん時代は弥生時代に限られる。

 古田さんは『一つあった。「天孫降臨」だ。』と言う。 古田さんにとっては当然の帰結なのだろうが、私には 以外も以外、「あっ!」と思わず声が出るほど驚いた。 この発想の柔軟さには感服する。以下、古田さんの講演録 から引用する。

 (ニニギたちは)壱岐・対馬の「海人国(天国)」領域から、ここ 糸島・博多湾岸へと侵入・占領を行った。そのさいの歴 史的経験を歌ったものではないか。この疑いだ。

 もちろん、現在の歴史学界では、「天孫降臨」を歴史 的事件と見なす研究者はいない。しかし、わたしはちが う。これを弥生時代の日本列島の一角(博多湾岸)に おこった、もっとも重大な歴史的事件の一つ、と見な した。そしてその論証を行った。これが「シュリーマン の原則」の検証の一つとなった。

 すなわち、弥生時代前半期、壱岐・対馬を母国とする 軍事船団が糸島・博多湾岸に侵入し、筑紫を中心とする 北部九州を支配した。これが「天孫降臨」と称される事 件である。

 この「非合法・理不尽の暴挙」を〝合法化”する ために、〝出雲なる、大国主命とその子たちの承諾”を えた、と称した、いわゆる「国ゆずり」がこれである。

 このような立場に立つとき、神武の時代、この筑 紫(糸島・博多湾岸)で〝伝承”された、というより、 言い伝えられていた武功譚、それは何か。もちろん、 「天孫降臨」だ。それによって、彼等(侵入者、ニニギ たち)はこの地、筑紫を中心とする領域の支配者となり えたのであるから。

 そのときのことを歌った歌、それがこの歌だったとし たら。「そのとき」とは、弥生前半期、「前末中初 (弥生前期末、中期初頭)」といわれる時点だ。神武の 時点は、弥生後半期、おそらく「二世紀頃」だ。

 そのときの被侵入者、それが「愛瀰詩(えみし)」 (『日本書紀』原文表記)だ。このときの被侵入者、それ は、板付の縄文水田・弥生初期水田の民である。そして 板付の環濠集落の人々である。それがこの「愛瀰詩」と 呼ばれた人々だったのではあるまいか。

 糸島郡にも、曲り田遺跡等がある。板付の環濠集落。 その環濠は、鋭くて深い。V字型に掘りこまれた上、さ らにその最深部がひし形に掘りこまれている。いったん そこに落ちたら、二度とはい上がれない形だ。さらに、 その周縁に、二重(あわせて三重)の環濠がとりまいてい たようである(全体で「二重」までは確認。福岡市教委 の調査による)。

 当時、このように頑強・堅固なとりでは、周辺の地帯 の人々からどのように見られていたであろう。そしてそ のとりでに拠る人々は。

 「えみしを、一人、百な人」という表現は、その人々に付せられた「令名」ないし 「勇名」だったのではあるまいか。

 その〝名にし負う人々”が、われら(ニニギたち) の前に、もろくも屈服したという〝高ぶり”が、 「抵抗もせず」の末句に表現されていたのではあるまい か。

 もちろん、これは一個の「仮説」にすぎぬ。いや、 「仮説」にも達しえぬ、一個の作業仮説のはじまり、そ の「ひとかけら」であるかもしれぬ。そのようなものと して、ここに提起しておこう。

 ただ、この「神武東侵」説話中で、神武たちの 歌った、この一種不可解な歌が、彼等が故国(筑紫)で 歌い馴れていた戦闘歌謡の一つであったこと、その点は、 今回の分析の論理の筋道上、疑いえないようにわたしに は思われる。

 この講演録に付された補足文でもふれられているが、ここ で私は『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)を 思い出した。その存在を『古代史の未来』で初めて知っ た。『和田家文書』と呼ばれている膨大な文書群の中の 一つである。その文書中に「天孫降臨」に関わる驚くべ き記事が記録されていると言う。おおよそ次のようであ る。

 東北の支配者であった安倍氏の祖先は「筑紫の日向 (ひなた)の賊」に追われて津軽(原文では「東日流」 と表記している)に亡命してきた安日(あび)彦・長髄 (ながすね)彦という兄弟の一族だと言う。ここで言う 長髄彦は、もちろん、イワレヒコの宿敵の「登美(とみ)の那賀須泥毘 古(ながすねびこ)」とは別人である。また「筑紫の日向(ひなた) の賊」とは「天孫降臨」という名の侵略をしてきたアマ テルの孫・ニニギたちのことであろう。古田さんの理論と 見事に呼応している。

 『和田家文書』が世に出たときから、これに対して「偽書」 呼ばわりをして、和田家や古田さんを誹謗中傷する学者が 多くいたようだが、古田さんによる緻密な反論で「偽書」 説は論破されている。しかしなお、破綻した「偽書」説に 固執している学者がいると言う。ヤマト王権一元主義者 にも劣らぬ頑迷さである。

 『和田家文書』の成立事情とそれらの研究が古田さんに 委託された経緯を『古代史の未来』(明石書店1998年刊) から引用する。

 昭和薬科大学の12年間における最も貴重な収穫のひと つ、それは和田家文書である。

 当文書は青森県五所川原市のリンゴ農家、和田喜八郎 氏の宅に蔵されていたものである。1947年、当文書は同 家の屋根裏より降ろされ、同村の郷土史家の注目を受け、 やがて市浦村より公刊されるに及び、世間に知られるに 至った。

 この文書は、江戸時代の後期、寛政年間(1789~1801) を中心とする時期において、秋田孝李、その妹りく、門 人和田長三郎吉次(りくの夫)の三人の作成によるもの である(吉次は喜八郎氏の祖)。

 その内容は、右の時代以前の文書を神社仏閣等に探り、 これらを書写したものを一とし、同時代に遺存した伝承 を各所に求め、これらを記録したものを二とし、自分た ちの会得した歴史観をもって自ら造文した文章を三とす る。その実質は、津軽藩による津軽藩史を非とし、その 成立(天正年間、1573~92)以前の歴史を復元しようと するものであった。

 天正年間の大浦為信を第一代とする津軽藩以前は、安 倍氏(後に安藤・安東・秋田と、支配領域の変転によって 改姓)の統治に属していた。安倍氏は安日彦・長髄彦を 祖とし、前九年の役・後三年の役に近畿天皇家側の軍 (八幡太郎義家ら)に敗れた。そのため、岩手県 (安倍館、岩手市)を中心としていた勢力が藤崎 (青森県)へと後退し、のち秋田等を経て三春 (福島県)に転じ、三春藩として幕末に至った。 明治維新以後、秋田子爵となった。

 秋田孝李は三春藩の藩主、秋田千季(ゆきすえ)を 義父とし、その信頼と経済援助と委嘱を受け、幾十年 の歳月をかけて収集を完成した。それが『東自流外三 郡誌(つがるそとさんぐんし)』その他の和田家文書 である。

 当文書の第一原本は、秋田日和見山に寓した孝季宅が 火災に遭ったため、全焼した。

 ところが幸いにも、門人吉次によって副本が作られて いた。孝季は、吉次・りくの招きによって五所川原市 (大光院、現八幡神社)に移り、右の副本をもとに、 同文書の再完成につとめること永年、これが第二原本で ある(なお秋田家への献上本も火災で焼失)。

 この第ニ原本は、今なお和田家の屋根裏(密室)に蔵 されているようであるが、末だ公開を見ていない(私は これを「寛政原本」と呼ぶ)。

 1947年、取り出されたのは「寛政原本」ではなく、幕 末から明治を中心に、大正・昭和(14・5年ころ)までに 書写(ただし原漢文は〝読み下し文″として書き直され ている)された新写本である。和田長三郎末吉・長作 (喜八郎氏の曾祖父および祖父)の両人を主とした作業 であった(私はこれを「明治写本」と呼ぶ)。

 この「明治写本」は、先述の『市浦村史:史料編』の 他、「北方新社本」(弘前市)「八幡書店本」(東京都) と重ねて出版されたが、なお「北鑑」「北斗抄」など彪 大な文書群を含んでいる。

 これらの貴重な未公開文書群が、喜八郎氏より当研究 室に委託され、その整理・研究につとめ、現今に至った。

 なお、右の「明治写本」以外にも、秋田孝季・りく・ 吉次の各自筆本もしくは自筆奥書本も、同氏より当研究 室に委託された。
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