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第834回 2007/07/25(水)

「真説・古代史」補充編

『神武東侵』:生き返る挿入歌謡(2)


 次は挿入歌謡②③④
 ②③はいずれも二つの決まり文句

みつみつし 久米の子らが

という序詞のようなフレーズに始まり

撃ちてし止まむ

というリフレーンで終わっている。
 ③にも同じフレーズが見られる。⑤にも「撃ちてし止まむ」 という句が現れている。

みつみつし 久米の子等が」について
 繰り返し久米部が歌われているが他の部族への言及がない。 「大伴」も「中臣」も「蘇我」も、その影さえ出てこない。 イワレヒコが率いていた侵略軍の本隊は「久米」軍団だけだった といわざるを得ない。

 皇国史観者は「神武東侵」などとはもちろん言わない。 「神武東遷」という。イワレヒコは全軍を率いて、日向から 大和へと「遷都」したのだという意が込められている。 イワレヒコが日向においてすでに日本の中心権力者であった ということを暗黙の前提としている。これが妄想にしか過 ぎないことは、これまでの理論をたどってきた人には 明らかなことだろうが、弥生期における九州の考古学上 の事実を示すだけで明らかだろう。

 戦後史学ではどういっているか。また津田左右吉の 言説を聞いてみよう。古田さんの講演録から。


『約言すると、東遷は歴史的事実ではないので、 ヤマトの朝廷は、後にいふやうに、初からヤマトに存 在したのである。東遷の物語が魏志によつて知られる 三世紀ごろのツクシの形勢に適合しないのも、クマソ に占領せられてゐたヒムカの状態と一致しないのも、 またこの物語によつて国家の形づくられた情勢のわか らないのも、当然である。』(『日本古典の研究』より)

 このようにのべた左右吉は、ここに「久米の子等」 の言葉が頻出するのも、ただ「久米部の歌」を〝引用” し、利用したにすぎず、と考え、この間題のもつ重要性 に対し、さして注目しなかったようである。

 上の『日本古典の研究』からの引用文が全面的に書き 換えられるべきだということも、これまでの理論をたどってきた人には 明らかなことだろう。

 さて、最後に挿入歌謡⑤
 これの従来の論者を悩ました歌謡だ。改めて、 『日本書紀』版の方を掲載する。

⑤’
神風の 伊勢の海の
大石にや い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ
細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ


 そう、「伊勢の海」が悩みの種なのだった。 ヤマト王権一元論者は「伊勢の海」といえば 「伊勢国(三重県)の海岸部」と、何の疑問ももたずに 決めて掛かった。その海中に「大きな石」があり、 そこを這い回る「しただみ」の生態を観察している歌 と考えた。しかし、「神武東侵」の経路には「伊勢」はな い。また「神風の」という枕詞も不審だ。もちろん、 伊勢神宮が建造されて「伊勢」がヤマト王権の聖地とし て重要な土地となるのはもっと後の時代だ。

 この歌謡もイワレヒコの父方ゆかりの地に戻して解読すれば、 全ての疑問点が解消される。古田さんの解読を読んでみよう。

 ところが、これも実は、別の意味があったんです。も う一度、糸島郡の地図をみて下さい。ここに伊勢浦とい う所がございます。そのちょっと北に、神在(かむあり) 村の伊勢田(いせだ)という所があります。さらに、大 石という所がある。大石という地名はいくつかありまし て、師吉(しき)村の大石とか、元岡村の大石、実は 伊勢浦の所にも字(あざ)・大石という所があるんです。

 伊勢浦は現在陸地ですが、弥生時代には海が入って来 ている。だから「伊勢の海」。

 そこに大石という地名がある。 私は、ずっとこれは大きな石のことだと思っておったんです。 大きな石があるから地名についたんでしょうけど、地名 なんです。

 それに、「神風」というのは「神が瀬(かむがせ)」 です。この辺、「○○が瀬」というのが並んでいるんで すが、これは神在(かむあり)村の神が瀬。

 つまり「神風の伊勢の海の大石の」というのは、全部 地名なんです。

 「這い廻ろふ細螺」っていうのは貝ですよ。これ はあっちこっちにいて、三重県の方にもいるでしょうけ れども、こちらの福岡県にもいる。ぐるっとまわりなが ら浅いところを這っていく。それが細螺。「そこの大石 の、細螺の這って行くのをおとりよ。吾子(あこ)よ」。 日本書記の方は「吾子よ、吾子よ」。つまりこれは、 子どもに呼びかけている歌なんですわ。「そこの大石に、 ほら細螺の這いっている。あ、そこ、まわったまわった。 早くお取り」。こういって、父親というより母親でしょ うね。母親が子どもに呼びかけている歌なのではないで しょうか。

 「撃ちてし止まむ」というのは、ここで歌ってい るのは軍隊ですから、最後に「撃つちてし止まむ」と自 分達にふさわしい結び言葉をつけただけで、本体は自分 たちが子どもの時に親から教えられた童謡のような歌の 一つなのだと思います。そういうのは、いまはもうほと んどなくなってしまいましたけど、昔はたくさんあった んでしょう。そういう歌の一つなんです。それを思い出 して、「撃ちてし止まむ」という言葉をくっつけて、こ の侵略軍は歌っているわけです。

 ちなみに、岩波古典文学大系『古代歌謡集』では 「細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ」を 「細螺が這い回っているように、敵を取り巻いて打ち滅 ぼそう。」と訳している。伝承の歌謡に「撃ちてし止まむ」 を取って付けたのではなく、そのときの戦いのために 作られたものと解しているようだ。

 以上で「神武東侵」説話の解読を終わるが、講演録 (「神武歌謡は生き返った」)は上に引用した部分に 続いてたいへん興味深い話しが記載されている。『日本 書紀』の「神武東侵」説話には『古事記』にはない歌謡が 2篇あるが、そのうちの1篇

蝦夷(えみし)を 一人(ひたり) 百(もも)な人
人は言へども 抵抗(たむかひ)もせず


の解読である。(次回につづく)
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