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第832回 2007/07/23(月)

「真説・古代史」補充編

『神武東侵』:八十建だまし討ち以外に戦勝記録なし


 詩人・山本太郎さんは「神武記」が単なる作り話なのか、 歴史を反映した説話なのか、といった問題には頓着してい ない。あくまでも古代の歌を「詩」そのものとして扱っている。 しかしこの歌の本質をさりげなくズバリと指摘している。 この歌は「久米部に伝承された酒宴の歌である」と。

 歌の出だしが「字陀の 高城に」とあるため、これまでの 論者は「奈良県の宇陀」で創られた歌と思い込み、それ以上の 追求がされていない。この立場からは当然「どうしてかしら?」 ということになる。これに対して、太郎さんがためらうことなく 「久米部に伝承された歌」と判断したのは、たぶん「神武東侵」 説話に挿入されている歌全体を視野に入れていたからだろう。 この後の議論には全歌を必要とするので、兄宇迦斯虐殺 後の説話を読みすすめて、「宇陀の…」(①とする。) 以外の「神武東侵」説話の挿入歌を全歌掲載しておこう。

 侵略軍は宇陀より忍坂の大室に到る。そこには「尾生る 土雲(つちぐも)八十建(やそたける)」が待っていた。

 宇陀に至る前に「尾ある人、井より出で来たりき。」 という描写がある。岩波古典文学大系は「実際に 尾が生えていたとは思われない。尾があるような恰好に見 えたのだろう。」などと、あらずもがなの注をつけている。 「土雲」の「尾ある人」も銅鐸圏の人たちを文化の低い未開 人と蔑視する差別意識の正直な発露にほかならない。自分たちの 野蛮さにはほおかぶりをしているが、一体どちらの方が未開 人か。いわずと知れたことだが、このような差別意識は 連綿と現在まで受け継がれている。天皇をありがたがる 奴ほど中国や朝鮮に対する差別意識があらわである。

 話を戻す。イワレヒコらは、八十建を饗応しようと 宴席を設ける。そして

人毎に刀(たち)佩(は)けて、その膳夫(かしはでども)等に誨(をし) へて曰ひしく、「歌を聞かは、一時共(もろとも)に斬れ。」といひき。故、その 土雲を打たむとすることを明(あ)して、歌ひけらく


忍坂の大室屋(おほむろや)に
人多(ひとさは)に 来入り居り
人多に 入り居りとも
みつみつし 久米の子らが
頭椎(くぶつつい) 石椎(つつい)もち
撃ちてし止まむ
みつみつし 久米の子らが
頭椎い 石椎もち
今撃たば良らし

とうたひき。かく歌ひて、刀を抜きて、一時に打ち殺しき。



 だまし討ちに全員虐殺をしている。こういうところにも この説話が後世の吏官の「造作」ではないことが表れてい る。「造作」ならこんな野蛮な殺しをバカ正直に得意顔に 記録するかわりに、「天皇の徳を慕って帰順してきた」と いうような話しにするだろう。それが天皇教徒にいまに 受け継がれている天皇家への偽装欺瞞意識である。

然(さ)て後、登美毘古を撃たむとしたまひし時、歌ひ けらく、


みつみつし 久米の子らが
粟生(あはふ)には 韮(かみら)一茎(ひともと)
そねが茎 そね芽つなぎて
撃ちてし止まむ

とうたひき。また歌ひけらく、


みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植ゑし椒(はじかみ)
口ひひく 吾は忘れじ
撃ちてし止まむ

とうたひき。また歌ひけらく、


神風の 伊勢の海の
大石に 這い廻(もとほ)ろふ
細螺(しただみ)の い這ひ廻り
撃てし止まむ

とうたひき。


 この歌を始めて読んだとき、唐突な「撃てし止まむ」 という句に大きな違和感を覚えた。「撃てし止まむ」 という句は 、伝承されてきた歌に戦場で即興的に無理に取って付 けたものという感がまぬがれない。ちなみに④の歌は 『日本書紀』では次のようになっている。

⑤’
神風の 伊勢の海の
大石にや い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ
細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ


 「吾子よ 吾子よ」を「定説」では「吾子=兵士」として いるが、こんどはそれに違和感がある。「吾子=兵士」 だとは、なんという苦しい「定説」だろう。

 ちょっと横道に入る。
 この「撃ちてし止まむ」という句は「大東亜戦争」 の敗色が濃厚になりかけた頃に国民総玉砕を煽るスローガ ンとして猛威を振るった。それは、1943年の陸軍記念日 (3月10日)へ向けてのPRスローガンだった。中山恒著 『撃チテシ止マム』から引用する。

 1943(昭和18)年の正月、日本放送協会のラジオ全国 放送で流された<国民合唱>は、深尾須磨子作詞・福井 文彦作曲による『必勝の歌』であった。

肉を切らせて骨を断ち
骨を切らせて髄を断つ
貴(たふ)といニュース聴くたびに
大和心(やまとごころ)の血がをどる
撃たでやまじの血がをどる

われに続けと軍神の
声は天地をとどろかす
総力戦の勇ましさ
大和心の血がをどる
撃たでやまじの血がをどる

目ざすロンドン ワシントン
進む光は一億の
行手を阻むものもなし
大和心の血がをどる
撃たでやまじの血がをどる
 (日本音楽著作権協会承認第518051一号)

 とあって、既に「撃ちてし止まむ」の現代語訳(?) 「撃たでやまじ」が歌いこまれていた。もっとも「撃ち てし止まむ」を歌詞に歌いこんだものには、1942 (昭和17)年春、読売報知新聞の一般公募した『特別 攻撃隊』の入選作で、これを第一節冒頭に使用して、

撃ちてしやまむ ますらをに
なんの機雷ぞ 防潜網
あゝこの八日 待ちわびて
鍛えぬきたる 晴の技
示すは今ぞ 真珠湾

 というのがあったが、まだ一般的ではなかった。こと によると、前の深尾須磨子の 『必勝の歌』が作られた 時点では、陸軍省報道部は「撃ちてし止まむ」の古典ス タイルにするか、「撃たでやまじ」の現代語訳にする か者慮中で、むしろ「撃たでやまじ」の方に傾いていて、 そちらの方の内意が伝えられたのではないかと思われる。 というのは、当時、この種の歌曲は情報局及び陸海軍報 道部の許可なしに放送電波にのることはなかったし、そ のうちでも、特に陸軍報道部は横暴であったといわれて いる。当然、陸軍の意向にそわざるを得なかったであろ う。

 あるとき、ぼくが歌うこの歌をきいて、父が茶化した。 「ガッチャキの歌か?」というのである。<ガッチャキ> というのは、北海道(主として道西)の方言で<痔疾> のことである。父にはリフレインの「撃たでやまじの血 がをどる」の歌詞が「ウダデ病(ヤマ)ヒ痔(ジ)ノ血 ガヲドル」と聴こえたらしいのである。たしかに、節回 しで、そう聴こえないでもなかった。<ウダデ>という のは津軽地方の方言で<ひどい>という形容詞である。 つまり「ひどい痔疾の血がおどる」で、悪性の切れ痔の 出血みたいなことになる。

 ぼくはそんな悪ふざけは不謹慎だと父をたしなめた。 そのとき、父がどんな顔をしたかまでは憶えていないが、 多分、片腹痛いと思ったに相違ない。この辺り、東井義 雄の『学童の臣民感覚』の論理からすれば、それは<臣の いのち>の発露であったのかもしれない。いま思うと、 我ながら、いやったらしいガキだったのだろうと思うが、 ぼくに限らず<ボクラ少国民>は、一般的にそのように、 錬成によってしつけられていたのである。

 この歌がラジオで放送されたとき、前年末から、年末年始 の若干の休暇をはさんで、第81回帝国議会が開かれてい た。ここで戦意昂揚問題が重点的に論じられた。冒頭、 内閣総理大臣陸軍大将東条英機は、例によって陸海軍部 隊が連合軍に対して戦略的優位にあることを強調、また 大東亜共栄圏諸国の協力により大東亜新秩序建設が力強 くおし進められている旨を報告、その為に国内に於いて は一層質実剛健、清新簡素なる戦時生活の確立を期され たいと要請、また総力戦態勢の一環として学制改革を断 行して在学年限の短縮を図ることになったと演説した。

 大日本帝国皇軍は1942年6月ミッドウェー海戦で敗北して、 ガダルカナル島撤退も間近な時だった。大本営発表が偽 装欺瞞だらけとなっていく。東条の演説そのはしりのよう なものだ。その空々しいこと。そういえば参議院選東京 区に東条の孫だとか言う人が立った。いままでひっそりと暮 らしていた人が表舞台にでしゃばり出てきた。 けだし、珍タロウのような 「撃ちてし止まむ」を叫び出しそうなヤツが都知事を続け ている時代、民度劣化の象徴だろう。

閑話休題

また、兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)を撃ちた まひし時、御軍(みいくさ)暫(しま))し疲れき。 ここに歌ひけらく、


楯並(たたな)めて伊那佐(いなさ))の山の樹(こ)の 間(ま)よも
い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢(ゑ)ぬ
島つ鳥 鵜養(うかい)が伴(とも)
今助けに来ね。

とうたひき。


 記録されている戦闘としては、この兄師木、弟師木兄弟との 闘いが最後だが、なんとも曖昧なぱっとしない終わり方で ある。侵略軍は 疲労困憊の状態で、「鵜養が伴、今助けに来ね。」と ないものねだりの泣き言を言っている。その前の登美毘古 との戦いも勝敗のことが書かれていない。登美毘古 といえば東鯷国の総帥だ。勝てば残虐の限 りをつくして、麗々しく記録することだろう。 イワレヒコは恐らく勝てなかったのだ。

 締めくくりは、邇藝速日(にぎはやしの)命が 助けに「追いて参降り」来て仕えたとして、メデタシメ デタシとしている。邇藝速日命は後に登美毘古の妹 を娶ったと記されている。

かく荒ぶるる神等を言向(ことむ)け平和(やは)し、 伏(まつろ)はぬ人等を退(そ)け撥(はら)ひて、 畝火の白檮原(かしはらの)宮に坐しまして、天の下治(し)らしめしき。

 東条と同じ偽装欺瞞の強がりでしかない。奈良盆地の 片隅になんとか拠点を確保しただけで「建国」とは笑わ せる。
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2007/08/12(日) 14:40:02 | ワシントンがいっぱい