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第826回 2007/07/10(火)

「真説・古代史」補充編

万葉集の中にも現れる九州王朝(3)


 『万葉集』から「七世紀後半」の政治地図を読み取る こともできる。古田さんは今度は柿本人麿の歌(巻三、 304)を取り上げている。

柿本朝臣人暦、筑紫国に下りし時、海路にて作る歌二首

(303略)

大君の遠の朝廷(みかど)とあり通ふ島門(しまと) を見れば神代し思ほゆ


 例によって、まず岩波古典文学大系の頭注を 読んでみる。

大君の遠の朝廷
 都から遠く離れた所の役所。ここでは九州の役所 を指す。
あり通ふ
 常に往来する。
島門
 島と島との間、島と陸との間の瀬戸。
神代
 神々の活動した時代。

強めの助詞。

〔大意〕
『都から遠く離れた朝廷であるとして、人々が常に往来 する瀬戸内海の島門を見ると、この島々の生み出され た神代の国土創成の頃のことが思われることである。』

 「朝廷」を「地方の役所」としている。これは素人目から もたいへん変だ。ヤマト一元主義に立つ限り、このような 苦しい強弁を弄するほかない。

 江戸時代の国学以来、現在の万葉学者に至るまで、 この「大君の遠の朝廷」に対して、「都から遠く離れた 所の役所。ここでは九州の役所を指す」といった解釈に 依り、これに満足してきたのである。

 しかし、中国の古典では、周代から清朝まで、「地方 の役所」を「朝庭」と称した例はない。もし、そのよう な用法に従うなら、広い中国の中で、各地が〝朝庭だら け″となるであろう。

 では、日本の場合は。各地が〝朝庭だらけ″だったの か。それならば、『万葉集』は、各地へ派遣される宮人 の歌が多いから、各地でそこの役所を「朝庭」と呼んで いるか。わたしは寡聞にして、そのような事実を知らな い。

 「大君の遠の朝廷」の原文は「大王之遠乃朝庭」だ。 古田さんによると、『万葉集』でこれと類した表記が 七箇所あり、それらの用例の意義について、すでに 検討済みだと言う。(『古代史を疑う』所収の「疑 考・万葉集」 私は未見。)要するに「朝庭」=「地 方の役所」などという用例はないと言っている。

 『「君が代解雇裁判」オソマツ判決』でもみたように、 「間違った結論」が先にあって、その結論へ向けて理論 を組み立てようとすると、必ず詭弁・強弁を弄さざるを 得なくなる。詭弁・強弁を弄さざるを得なくなるような 「結論」まずは「間違った結論」だと検討し直すべきな のだ。江戸時代の国学以来、そのように考えた学者は皆 無だった。


 右の「大君の遠の朝廷」は原文(古写本)では、 「大王之遠乃朝庭」と表記されている。この「大 王」とは、近畿大王家の王者、おそらく「天武・ 持続」のいずれかの「大王」を指すものであろう。

 これに対して「朝庭」とは、〝天子の居すると ころ〟を指す。ここでは、筑紫の地だ。なぜなら 題詞に「下る」とあるのは、「近畿が主、筑紫が従」 の立場を示す。すなわち、「八世紀」になって、つまり 「日本国」の時代になって、この題詞が書かれているこ とを示す。

 これに対して、歌自身は、「筑紫〈朝庭〉(主)  - 近畿(大王)(従)」という位取りを明白に 示しているのである。七世紀後半は、倭国(筑紫) の時代だからである。

 ここにも、七世紀後半と八世紀前半とを分つ、明瞭 な一線が引かれている。歌それ自身と題詞と、「立場」 を異にしているのである。

 「記紀」の場合と同様に、ここでもその史料の「表記の ルール」に従うというもっとも真っ当な方法論が貫かれて いて、それが詭弁・強弁を完膚なきまでに粉砕している。
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