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第819回 2007/07/02(月)

「真説・古代史」補充編

「記紀」の中におのずと現れてくる東鯷国


森教授の自信作『日本神話の考古学』の第10章「船団に よる移動」は「神武説話」を取り上げている。その書き出 しを引用する。

 『古事記』や『日本書紀』の全体の構成のなかで、南九州 にいた天皇家の先祖たちと、いわゆる大和朝廷時代の天皇家 の先祖たちとをつなぐ事件として重要なのが、「神武東征」 とか「神武東遷」とよばれている大移動の物語である。

 この大移動の物語では、宮崎、大分、福岡、広島、岡山、 大阪、和歌山、三重などの府県の地名がつぎつぎにあらわれ、 最後に大和を平定し、建国したストーリーになっている。こ の建国の年を西暦で換算すると、紀元前660年になる。以下、 イワレ彦(伊波礼毘古、神武天皇)の東征の物語として表記 するけれども、この南九州から近畿への東征の物語がなけ れば、『記・紀』の構成上では、大和での朝廷は生まれ得な いのである。

 太平洋戦争後の考古学では「神武東征」についてほんのわ ずかでもふれる研究者があると、「科学的でない」として 非難の雨が集中した。そのため、しだいに事件としての 「神武東征」だけではなく、考古学的な資料の整理の結果と して導きだされた「九州の勢力あるいは文化の、大和など 近畿への東伝あるいは東進」についてふれようとすること にも、ためらいがみられるようになった。が戦争中の言論へ の弾圧とはもちろん違うとはいえ、これは、政府や軍部では ない力による、言論への圧力ではなかろうか〟としばしば考 えさせられた。しかし、そういうためらいを捨てて、虚心に 神話・伝説と考古学の接点を探るべき時期であろう。

 「虚心に神話・伝説と考古学の接点を探るべき時期であろ う。」という果敢な姿勢はよしとするも、如何せん、ヤマト王権 一元主義というイデオロギーに満たされている「虚心」である のが致命的である。せっかくの果敢な試みも、自信作にもかかわらず、 愚論に終わるほかない。

 ところで、「神武東征」とか「神武東遷」と呼ばれている説話の 本質をずばり示すには「神武東侵」と呼ぶべきだというのは 古田さんの見識だが、私はそれに倣うことにしている。

 さて、森教授は「この建国の年を西暦で換算すると、紀元前660年 になる。」とあっさりと書き流して、以後このことには全く触れ ないが、考古学者として一言あっていい問題だろう。 「考古学的な資料の整理の結果」からは「紀元前660年」がい かにばかげた設定であるかはあきらかだろうから。もしかす ると、ばかげすぎていて深入りするに値しないと、はなから 決めかかっているのかも知れない。しかしそれでは永久に 「大和での朝廷は生まれ得ない」のではないか。

 この「辛酉(かのとのとり)の年」=「紀元前660年」と いう年代設定は那珂通世(1851~1908)の理論による。

『辛酉の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたちのひ) に、天皇、帝位に橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。 是歳を天皇の元年とす。』(「日本書紀」神武紀)

 那珂は、この「辛酉」という年は大革命の年されており、 それは中国の讖緯(しんい)説に依拠していることを指摘 して言う。

『此ノ紀元ハ、人皇ノ世ノ始年ニシテ、古今第一ノ大革命ノ 年ナレバ、通常ノ辛酉ノ年二ハ置キ難ク、必一蔀ノ 首ナル辛酉ノ年ニ置カザルベカラズ。』(「上世年紀考」第 三章、辛酉革命ノ事)

 干支は60年で一周(一元という)する。「一蔀(ほう)」は 21元という意であり、60(年)×21=1260(年)である。 その首の辛酉の年に大革命があるというのが識緯説。 推古天皇9年(600年)が辛酉なので、それより逆算して 紀元前660年というわけである。

 この年代設定からは、「神武紀(記)」以降のいわゆる 「人皇紀(記)」の記録を解読する上での最重要前提事項

『「神武東侵」以前に王朝が存在したこと、そして「ヤマト 王権」はその前王朝から権力を簒奪した。』

という事実を読み取ことができる。それは日本書紀編纂者 たちの基本認識でもあった。このことはすでに 『「建国記念の日」=「紀元節」のバカバカしさ』 で取り上げたことだが、そこで引用した古田さんの論述を 再録しよう。

 この那珂理論は、ことの、より重要な反面を故意か偶然 か見落している。あるいは欠落している。

 なぜなら「革命」とは、「前王朝を武力で打倒する」事実 を前提とした術語だ。その不法行為を「天命」によって合理 化した言葉、それが「命を(あらた)める」 ことだ。すなわち、これこそ天命が前王朝から我(打倒者) に移ったため、と称するのである。してみれば、前王朝の存 在なしに、この「革命」の語、もしくはその概念を用うるこ と、それは全くありえないことだ。

 だから、『日本書紀』の編者が神武即位に「辛酉」をもって 当てたということ、それはとりもなおさず、「それ以前に、 前王朝が存在した」という主張をふくむことになる。むしろ、 それを自明のこととして、前程しているのである。

 その前王朝の仔細について書くのは、もちろん『書紀』の 目ざさざるところ。しかし、大義名分上の立場は右のごとし。 疑う余地はない。

 『前王朝の仔細について書くのは、もちろん「書紀」の 目ざさざるところ』というより、完全に抹消したかったに 違いない。しかし真実を完全に隠しおおせるわけがない。 頭隠して尻隠さず。日本書紀のそこここに九州王朝の 「尻」が見えるのと同じように、東鯷国の「尻」 も見えている。「神武東侵」の説話の解読の前に、 東鯷国の「尻」を探ることによって東鯷国の 「頭」を浮かび上がらせてみよう。
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