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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第813回 2007/06/23(土)

今日の話題

「君が代解雇裁判」オソマツ判決の詭弁(1)

 君が代解雇裁判の判決言い渡し法廷。
 裁判官は「原告の請求を棄却する」と述べるやいなや、 逃げるように退廷した。その間おおよそ10秒。原告はじめ 多くの人が時間をやりくりして法廷に参加しているのに、 何たる無礼。ただただ驚き呆れる情景だ。その判決内容も これ以上は悪くなりようがないほどのオソマツなものだった。 裁判長の名は佐村浩之。

が、場数を踏んできた弁護士さんはこれが大方の裁判官の 実態だという。

 裁判所も所詮はブルジョア民主主義を支える一機関に過ぎない。 と言ってしまえば身も蓋もないが、この国の裁判の実態をみれば そういわざるを得ない。公害関係の裁判などでは被害者よりの 判決がないではないが、行政訴訟では行政権力に 媚びた行政追認の判決のオンパレードだ。

 裁判とは、慎重に事実関係を調べ、客観的証拠をもとに、 憲法の理念と条文に照らして判決を決めるものと、私 (たち)は思っている。もし裁判官がそのように正しい 裁判理解のもとで正しい手続きを踏んで判決すれば、 9.21難波判決のような判決が当たり前になるはずだ。 当たり前のはずの難波判決が稀有のものとなっているの が現状だ。

 以下は、前回確認した反「日の丸・君が代の強制」裁判の本 質的な意義、つまりこどもの成長発達=学習権(憲法26条)、 教師の教育の自由(憲法23条,改定前教育基 本法10条)、思想・良心・信教の自由(憲法19条,20条) などの問題点に関わる部分に絞って判決文を見ていくことに する。

 まず、9.23通達をめぐっての事実認定については、まるで 難波判決の文を盗用したかのように、全く同じ認定がなされて いる。しかし、前提が同じなのに結論が正反対になってしまう のはどうしてだろう。

 難波判決は憲法理念にもとづいて構成されており、全体の 論理的構成を崩すことのできない硬性の判決内容となってい る。それに対して佐村オソマツ判決は、はじめに偏見と予断 による結論ありきで、その結論に向けてつじつまを合わせを するために、十名の原告それぞれの真摯な訴えは全て 貶めて、さまざまな詭弁・強弁を弄することになる。

 この佐村オソマツ判決は、さらにオソマツなことに、 事実関係を直視して自分の頭で考えるのではなく、最も肝心な ところがほとんど都(被告)側の主張の盗作文で成り立ってい る。特に、結審土壇場で都(被告)側が提出(原告側の反論を 封じるための戦術か)した屁理屈をそのまま盗用しているという。

 また判例の引用についても「初めに結論ありき」が見え見え で、一つは2.27最高裁オソマツ判決の、しかも最もオソマツな 部分を使っている。旭川学テ判決のうち「不当な支配」につい ての部分を引用しているが、これは故意の誤読をしている。

 以下、そこで使われている詭弁・盗用を抜き出してみよう。


 全原告らの感情,信念,信条は,それぞれの人生体験, 我が国の過去についての歴史認識や職業意識などにより個々の 全原告につきそれぞれ多元的に形成されたものであり,これ らは社会生活上の信念を形成しているとみられるから,このよ うな精神活動それ自体を公権力が否定したり,精神活動それ 自体に着目して,その内容の表明を求めたりすることは, 憲法19条が保障する思想及び良心の自由を侵害するものとし て許されないことはいうまでもない。

 本件につきみると,全原告らが教育公務員として参加した 学校行事である卒業式において,国旗に向かって起立し, 国歌を斉唱することを拒否することは,全原告らにとって は,上記のような社会生活上の信念に基づく一つの選択で はあり得るものの,一般的には,これと不可分に結び付く ものではないから,本件職務命令が全原告らの上記のよ うな精神活動それ自体を否定するものとはいえない。

 上の引用文の全体の論理は、前段で肯定しておいて、「しかしながら」 と後段ではより低レベルの屁理屈をつけて前段の主張を 否定するという「相殺法」と呼ばれている詭弁の典型である。

 そして後段の屁理屈は、強調(赤字)部分である。これは 2.27オソマツ判決の

『上告人のピアノ伴奏拒否は、上告人にとっては思想・良心 に基づくものであろうが、一般的にはこれ(思想・良心)と 結びつくものではない』

を盗用している論理だが、この論法は「部分より全体におよぼす誤り」 の一種であり、これも詭弁の一つである。この詭弁を用いた 文章はきまって

「…とはいえない。」
「…とは限らない。」

とまぎらわしい言葉でもっともらしく思える終わり方をする。  2.27判決の文を例にして少し分析してみる。

①「ある音楽教師たちは君が代のピアノ伴奏は思想・良心に 反し苦痛である。」
②「別のより多くのある音楽教師たちは(=「一般には」)君が代 のピアノ伴奏は思想・良心に反しないか苦痛ではない。」
従って
③「①の音楽教師が君が代のピアノ伴奏は思想・良心に反し 苦痛であるとはいえない。」

 抽象化すると次のようになる。

①「あるA₁はBである。」
②「あるA₂はBではない。」
従って
「A₁もBであるとはいえない。」

 「A=A₁∪A₂」なのに「A=A₂」というすり替え(詐術) を行っている。「A₁=φ(空集合)」としている。 はからずも少数者を排除あるいは抹消する思想が露呈している。 この詭弁は何度も使われる。例えば

『そして,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること自体 は,一般的には内心の精神活動と不可分に結び付くものとま ではいえないことを勘案すると,本件職務命令は国旗・国歌 条項により全原告らが指導の責務を負う事項につき,儀式・ 式典における儀礼的な行為を命ずる 限りでこれを具体化し たものとみるのが相当である。

 「…とはいえない」「…とは限らない。」に当たるあいまい 叙述はここでは「限りで…相当である。」という表現になっている。

 ちなみに2.27判決でただ一人正しい論理を貫いていた藤田 裁判官の少数意見は次のようであった。

『本件における真の問題は、‥入学式においてピアノ伴奏を することは、自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛 のことであり、それにもかかわらずこれを強制することが許 されるかどうかという点にこそある』

 「憲法の下での平等」から決して少数者を排除したり抹消 したりしない。これこそ憲法の理念に則った正しい思考で ある。
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