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第802回 2007/06/11(月)

「真説・古代史」補充編

「神代紀」再論:「神代三陵」を南九州に求める愚


 森教授は第9章で「神代三陵」を取り上げている。イワレヒコ の祖と言われている神代三代(ニニギ・ヒコホホデミ・ウガヤフキアエズ) の舞台をあくまで南九州と決めつけているため、その陵墓を 取り上げれば当然、森教授のとまどいはいよいよ深くなる。 まずそのとまどいに耳傾けてみよう。

 『紀』には、〝神代″の三人のミコトたちについて、それ ぞれ名前のついた陵に葬ったとする記事がある。ニニギノ尊 を例にとると

「筑紫の日向の可愛(埃・え)の山陵に葬る」

とある。だが、いわゆる東征(東遷)以後の大和の天皇たち が、何かの重要事件にさいして、日向にあるはずの 〝神代 三陵″に使者を派遣したという記事や、陵の修理や管理に ついての記事はまったくない。

 景行天皇の場合、『紀』では自ら九州に遠征をしたとい う設定になっていて、日向国では高屋宮(たかやのみや)と いう行宮(あんぐう)を作ったことになっている。高屋とい うのは、ヒコホホデミノ尊を葬った「日向の高屋山上陵」の 地名にあらわれている高屋のことであるとみてよかろう。 だが物語のうえで、景行が神話のうえでの祖先の陵に詣でた 話にはなっていない。

 そればかりではない。平安時代前期にまとめられた 『延喜式』にも、注目を要する記録がある。『延喜式』は、 律令政府の運営上欠くことのできない慣習や規則を細かく 記録した書物であるが、その二十一巻に諸陵寮の記録を含ん でおり、神代三陵の記事がある。諸陵寮の冒頭には、日向 埃山陵をはじめとする陵を列記し、そのいずれにも「日向 国にある。陵戸なし」と書いている。

 『延喜式』では、一般に陵名のあとに所在地などを示して いる。たとえばイワレヒコ(神武)の場合は、

 (1)大和国高市郡にある、
 (2)兆域(ちよういき)は東西一町南北二町、
 (3)守戸は五烟

 と詳細な記述がある。このような一般的な記載法に比べる と、神代三陵については、国名はあるけれども(1)のよう な郡名がない。実際の陵墓の範囲や広さを示す(2)の記載 がない。さらに天皇家にとって重要な先祖であるにもかかわ らず、(3)の管理をする者の存在が認められない。

 これらから考えると、実際に該当する古墳があった可能性 は少ないように感じられる。

 事実、『延喜式』でもこれらの神代三陵については、山城 国葛野(かどの)郡(現・京都市上京区)にある田邑陵 (たむら・文徳天皇陵)の南原で祭るよう決められていた。 その祭場の広さは東西・南北とも一町(約100メートル)で、 奈良時代や平安時代の陵墓の兆域に比べるとたいへん狭い。

 それだけではなく、これらの三陵が「日向国にある」とす る点にも問題がある。いうまでもなく、ここでの日向国とは 大隅や薩摩は含んでおらず、宮崎県のことである。考古学的 な根拠は少ないけれども、主として地名や信仰によりながら、 それまで宮崎県内にも神代三陵の候補地はあったにもかかわ らず、政府は1874年(明治7)に、三陵のすべてを鹿児島 県内に政治決定している。このことは、『延喜式』とはくい 違うが、神話にあらわれた地名を重視するかぎり、やむをえな い結論のように思える。

 このように整理してくると、問題点はかなり明らかになって くる。前章で述べたことであるけれども、八世紀以前には日 向国は大隅や薩摩の地を含んでいた。しかし、いわゆる神名 帳の部分をはじめ、『延喜式』の全体の扱いでは、薩摩国と大 隅国を日向国から分けて記述している。だから、実際に当時、 神代三陵なるものがあったのであれば、『延喜式』では薩 摩国にあると書いているはずであった。神代三陵が日向国に あるというのは、たぶんに精神的な存在であったからであろ う。

 十世紀の段階でも、南九州にあるはずの神代三陵は、個々 の場所が明確に掌握されていたのではなく、平安京近くの 真原岡(まはらのおか)の田邑陵から遠く拝み見るという 習慣があったことが知られるのである。どうして大和朝廷が 神代三陵について関心を示さなかったのか、そこに何らかの 史実が潜んでいるのか、それとも古代日本人の先祖観に関連 するのか、これについては、さらに考察を深める必要がある。

 『さらに考察を深める必要がある。』と言っているので 期待してその後を読んでみると、例によって古墳期の遺跡・ 遺物に薀蓄を傾けていく。しかし、その薀蓄だけでは神話の 解読の出来ようはずがない。自ら提起した疑問には何一つ 解決を与えず終わっている。

 上で指摘されているような決定的な疑問点が出てきたら、 大前提の「神代三代の舞台は日向」を疑うのが最も真っ当な 考え方だと思うが、森教授の思考はそのようには動かない。 大先生に対してはなはだ礼を失した言い方になるが、その頑 迷さは蒙昧の域に達している。イデオロギー(虚偽意識)に 囚われた時におちいる陥穽の恐ろしさを改めて思う。もって 他山の石としよう。

 次回は上の引用文から引き出せる問題をいくつか取り上げ ることにする。
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