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第785回 2007/05/01(火)

「真説・古代史」補充編

オノゴロ島はどこか(2)


 オノゴロ島を能古(のこの)島と断じる論証を追う。

 『その島に天降りまして』、つまりイザナギ・イザナミは「天国」 から離れてこの島へやってきた。だから、当然この島は「天国」では ない。しかも途中の経過地はない。だから、「天国」の海域に近接し ている地点である。すなわち、筑紫か出雲か韓地、この三領域の中の どこか、ということになる。

 『記・紀』はともに、「AのBのC」といった地名表記のルールを厳格 に守っている。だから、そのルールに厳格に従って、大領域(A)、中 領域(B)などをきめていき、当の地点(C)を比定することができる。 その際、その地点に現存の地名があるか、または『和名抄』の中の地 名に該当するものがあれば、その比定は適切だと言える。

 ただし、「日本旧記」(日本書紀でいう「一書」)の記述では、その本拠地 筑紫の中の地名には(A)の「筑紫の…」は省略されている。同じように 近畿のヤマト王権によって作られた文書ではその限りではない。

 例えば「日本旧記」で「日向の高千穂の…」と言うときの「日向」 は筑紫の「ひむか」であるし、日本書紀の本文にある「因りて日向の吾平 の山の上(ほとり)の陵に葬る。」(神代紀)と言うときの「日向」 は「ひゅうが」(宮崎県)を指す。神武紀では「長じて日向国 の吾田邑の吾平津媛を娶る」と明解である。

 すると「出雲のオノゴロ島」「韓地のオノゴロ島」との記述は全くなく、 全てが単に「オノゴロ島」と書かれていることから、オノコロ島は 筑紫にあることになる。

 イザナギは、黄泉国から「筑紫の日向の橘の小戸」へ帰ってくる。 とすると、イザナミが黄泉国へ行ったとき、それを迫ってイザナギも 黄泉国へ行ったが、その出発点(オノゴロ島)もまた「筑紫の日向の 橘の小戸」つまり博多湾岸である。つまり、「オノゴロ島」は博多 湾内にある島だ。とすると、それは金印で有名な志賀島 か「能古(のこの)島」どちらかということになる。

 つぎに「オノゴロ島」という地名の成り立ちを考えてみる。

 「オ」は地名接頭辞、「ロ」は地名接尾辞である。すなわち、固 有の地名部分は「ノコノ島」である。

 たとえば、博多湾外〔西北〕に「小呂島」がある。沖ノ島には 「御前」という磯がある。この地域にも「オ…」という接頭辞は数多 い。また、「末盧国」は「松浦」だとすると、この場合の「ロ」も また、地名接尾辞であると考えられる。

 以上より、「オノゴロ島」に比定さるべきものは「ノコノ島」で あるという結論に至る。
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2007/05/02(水) 10:09:11 | 雑談日記(徒然なるままに、。)