2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第772回 2007/04/09(月)


今日の話題

都知事選の総括:さまざまな言説

 昨夜はほとんど言葉を失い、ほんの片言を並べて寝てしまいまい ました。今朝は少しはまとまったことを書いて心を整理しようと 思いました。その前に日課のネット・サーフィンをしたところ、さま ざまな優れた言説に出会いました。私の知らなかったことのあるし、 私の思いを見事に代弁してくれているものもあります。私のつたない 言葉はもう不用です。私の琴線が特に強く共鳴したものを転載して おきます。誰よりも私自身のために。

(1)
 ですぺら さんによる、浅野さんの立候補の意義と浅野さんへの感謝の言葉

「浅野史郎さんへの手紙」  
このたびの選挙戦、御苦労様でした。そしてどうもありがとうございました。

私のような原理主義的左翼がこれを表明することは、むしろ票を減らしてしまうのではないかと危惧し、公然とは表明したことがないのですが、浅野さんのマニフェストは、行政の首長のものとしては、全面的に賛同できるものでした。
現状のファシズム情勢、石原慎太郎が三選してしまうようなきわめて恐ろしい状況下で、「何が必要なのか」ということをもらさず示したものであったと思います。
投票結果は、現状の力関係の反映であった、というしかありません。
現在の民主主義勢力+左翼の力量とは、これだけのものでしかない。
このような、冷たい、人の尊厳を蹂躙するような、また蹂躙された人々をみなであざ笑うような社会、そしてそれを「美しい国」だなどという奇怪な自己イメージで表現してしまうような社会。
こういった社会関係が我々の周りを多い尽くしています。
なによりもこのような社会関係に地殻変動を起こさしめることから始めるのでなければならないのでしょう。

しかし、浅野さんに立候補していただいたことにより、あたかもそこには存在もしていなかったかのように扱われてきた人々が、「反石原勢力」という形で、姿を持ってたち現れることが出来ました。
そしてそれは浅野史郎さんでなければならなかったと思います。
まだ長い冬は終わっていないのでしょう。
この冬を終わらせるための動き、行政や政治に介入していく動きは、これからもそれぞれの場で続きます。

浅野さん、どうもありがとうございました。
これからも、共に、あるいは別個に、がんばりましょう。


(2)
 大岡みなみさんの 身辺雑記 の4月8日(日曜日)の記事は、今回の選挙戦の戦術・戦略の反省点を、 ジャーナリストの目を通して総括しています。

都知事選を振り返る

 東京都知事選は、石原慎太郎氏が3選を決めた。世論調査や各種情報の分析などから考えれば、予想通りの結果と言えるだろう。残念だけど。しかし石原氏が300万票近くも得票し、ここまで圧勝するというのは意外だった。現職に「勝てる可能性がある」唯一の候補者とされた浅野史郎氏(前宮城県知事)の敗因としては、1)浅野陣営の選挙活動があまりにもお粗末だったこと、2)吉田万三氏(元足立区長)を推薦する共産党のネガティブキャンペーンの影響が大きかったこと、3)現職の石原氏が役者として2枚も3枚も上手だったこと──、以上の3つが考えられる。

 浅野陣営は選挙戦の終盤になって、ようやくビラやポスターを一新したが、それまでに配っていたビラやポスターがあまりにもひど過ぎたのは、やはり致命的だった。3月30日付の「身辺雑記」でも書いたように、どこの候補者のビラなのか、何を訴えようとしているのか、そういう基本的なことが有権者に全く伝わらない選挙のビラなんて、普通に考えてありえないことだろう。そんなものを何十万枚配ったところで意味も効果もない。どこのだれがビラを作って選挙戦の指揮を取っていたのかは知らないが、浅野陣営の支持者たちは、そういう何の宣伝効果もないビラを一生懸命に配るという無駄な努力を、1週間も続けていたことになる。これは痛い。

 そしてその間、吉田氏を支援する共産党は、浅野氏に対する非難や悪口雑言を、石原都知事に向ける批判よりも大量に流し続けた。これに石原陣営から浴びせられる浅野批判を合わせると、浅野氏のダメージは相当なものだっただろうと考えられる。浅野氏が政策や人柄を訴えるよりも前に、マイナスのイメージが有権者にインプットされてしまえば、浅野氏の訴えはなかなか届かない。選挙戦とはそういうものだとはいえ、有権者の判断はシビアである。

 一方、石原氏は選挙戦の最初から低姿勢を崩さなかった。いつもの傲慢で不遜で高圧的な態度はすっかり影を潜め、告示前の公開討論会に登場した際にも開口一番、「喉を傷めていてね、本当は裕次郎くらいいい声なんですけどね」などと発言するあたりは、自分を売り込むポイントを心得た役者ぶりを見せつけた。そして記者会見や街頭演説でも、「説明が足りなかった」「反省してる」「再起動します」と頭を下げた。「あの石原さんが謝っている」「いじめられてかわいそう」という意外性に、多くの都民は惹き付けられたのだろう(大いなる勘違いなんだけど)。そこで石原氏はすかさず、「みんなで夢を見ようじゃないか」「安心安全な街づくりを」などと訴えて、頼れるカリスマ都知事をアピールするのだ。だれの演出かは知らないが、石原氏は役者として2枚も3枚も上手だった。

 石原氏には選挙戦で示したその謙虚な態度を、3期目の都政で実践してほしいと願うばかりだ。それは無理な注文か。



(3)
 「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」さんが、 沈タロウの得票数のうち支持母体(新興宗教関係)からの数を 次のように推定しています。21世紀になっても宗教が政治を牛耳っているこ とになります。もしこの通りなら、沈タロウ三選はいまなお蒙昧の 暗闇に生きる者たちの勝利です。

東京都知事選、得票数

石原慎太郎 2,811,486票

浅野史郎   1,693,323票

吉田万三    629,549票



東京都の有権者数は10,409,199人。石原慎太郎の得票率は、全有権者の27%。…281万人か… 全国の霊友会信者数が440万?らしいから都内にはだいたい40万人くらいいるか。創価学会は今回石原慎太郎を支持しているだろうから(確認してないが)、信者数800万のうち都内が80万くらいか。立正佼成会も今回石原慎太郎を支持しているだろうから(確認してないが)信者数300万のうち都内が30万くらいか。崇教真光と石原慎太郎は繋がっているから、信者数50万、都内信者5万くらい。これらを足すと185万。その他佛所護念会教団や日本会議系の有象無象な新興宗教が石原慎太郎と繋がっている。これら有象無象な新興宗教信者が都内にどのくらいいるかよく判らないが、281万票のうち、200万くらいは新興宗教団体票だと思ってよさそうだ。日本政治はこれら新興宗教により強引されている。

(4)
 「旗旗」さんの9日の記事は秀逸です。選挙に対する考え方 や今後の闘い方など、私が思っていることとピッタリです。

4月8日の記事


何やってんだか!

 結局は最後もこの一花花さんの風刺画で終わることになりましたね。「ふみ潰される5秒前」って感じでしょうか。

 さて、選挙も終わりましたので、今まで控えていたことも含め、かつ何度もグチグチとくり返すことなく、一回ですっぱりと書いてしまいたいと思います。

 もちろん、ご批判は甘んじて受けますが、このエントリー以外の場所で反論の応酬をするつもりはありません。「君はそう思うんだね。でも僕はこう思うんだ」という、意見の違いは違いとしてお互いに尊重、了解し、それを双方が完全に認め合って、相手の無礼や罵倒(と、こちらの立場からは思える)ことにも可能な限り冷静に忍耐し、逆にむしろ一致できるところを積極的に(←ここ重要)さがして手を結んでいくべきだと思っています。従来からもそう思っていましたが、今回の選挙はその確信をより強固にするものでした。

 批判や異論がありましたら、是非ともこのエントリーのコメント欄にズバズバ書いて下さい。トラックバックもお願いします。ただしいつまでもあちこちにネチネチ延々といつまでもからまれるのはお断りです。お互いの意見の違いを100%認め合いながら、明日からまた手を取り合って打って出て行きましょう!

●無党派革新の思い

 私たち革新無党派は、「入れたい候補」ではなく、「よりマシな候補」に投票することに慣れています。つーか、選挙とはそういうものだと思っています。今回の都知事選で、本来なら私たちと同じ反石原のはずの共産党支持者が、唯一石原氏に勝てる見込みのあった浅野さんを支持した革新無党派層を激しく攻撃し、結果として石原三選を助けたのも、このあたりの感覚の違いが非常に大きかったろうと思います。

 18歳で革命運動に飛び込んだ私にとって、選挙なんてもんは最初から常に「よりマシな候補に投票するもの」であり続けたのです。成人して以来今日まで「入れたい候補」なんぞというものに、ただの一人もお目にかかったことがありません。候補者段階にしてからがそうなのですから、「俺の見解を『代議』する『代議士』が議会に議席を持っていたことなど、過去に一度も無い」という黒目さんの言葉にも、思わず大きく頷くばかりです。

 ただし例外があります。それはとにかく現職や今の政権が酷すぎて、「意見の違い」では絶対にすませられない時、あるいはわかりやすい例では「基地や原発の設置の是非」など、個別課題が焦点化している時です。こういう場合には、是が非でも反対派に勝ってもらわないと困ります。そんな時、私たち革新無党派層は、反対陣営の一本化を求めるのです。小泉政権誕生から後は、最小限としても反改憲派の候補統一、できることなら野党陣営全体の候補統一を求め続けました。しかし反対派は常に分裂し続け、一貫して与党側が相対的に少ない票数でも勝利が可能であり続けています。9・11の衆院選もそうでしたが、とりわけ3年前の参院選や、今回の都知事選などは、私のような層が統一を求め続けたその典型例と言えます。しかし今回も政党の都合を前にしてその願いはかなえられませんでした。

●共産党の戦略は「党派」としては合理的だったが…

 共産党支持者の方々の善意はともかくとしても、今回の都知事選における党中央の狙いは全く持って明らかでかつ非常に合理的です。過去の都知事選における共産党候補の得票は、供託金没収にならなければ大勝利という程度のものです。これがいきなり10数倍になるわけもありません。都知事選での勝利なんて、党中央は最初から考えていません。本命は今夏の参院選東京地方区なのです。ここでは共産の候補者が、民主党などの候補者と最後の1議席を争う展開が予想されています。そう考えると都知事選で無党派主導の反石原陣営の一翼となり、他党と枕を並べてその中に溶けてしまうことは得策ではありません。共産党がそれを呑める条件は、自分が主導で選んだ候補に他党が頭を下げて乗ってきた場合のみです。

 つまりここはたとえ石原を三選させても、共産党支持者を強固に固めて浅野への票の流出を防ぐ。そして反石原どころかむしろ民主党批判にからめて浅野陣営を主要に攻撃し、その票を奪って共産党候補に上乗せしていく。それを参院選につなげ、民主党との叩き合いにも競り勝っていく。勝手連の一つに過ぎない民主党批判をしきりと持ち出して、市民運動に担ぎ出された無党派の浅野さんを「民主党候補」のように描き出そうと必死になっていたのも、この流れです。たとえこの戦略が原因で石原が三選されようとも、あれだけむちゃくちゃな石原さんなら、都議会において「先鋭に対決する唯一の野党」として共産党の存在感はむしろ高まります。もしこれが穏健な浅野都政になってしまったら、共産党は文字通りの平凡な野党になってしまい、存在感が薄れて参院選にも良い結果をもたらさない可能性がある。

 また、浅野さんの当選を助けたところで、「当選後はどの勢力の指示も受けずに都民のことだけを考えて自分で判断する」と断言している浅野さんです。民主党はもともとが共産党には冷たいし、無党派市民運度はすべての政党に対して常に是々非々で、安定した「民主勢力(=共産党公認の”無党派勢力”)」にはなってくれそうもない。つまりは選挙後は使い捨てにされ、その高揚感は民主党に流れてしまうかもしれない。

 こうして浅野さんの立候補表明直後に出された、志位さんの異常なまでに激しい浅野攻撃は全国の人々を驚かせましたし、私もびっくりしました。これで大喜びしたのは石原氏を支持する人だけです。あとはみんな失望しました。それまで反石原統一候補を模索し続けてきた人々は、共産党も石原都政打倒を切望している「仲間」だと思いこんでいましたし、五分五分以上の確率で、浅野さんによる反石原統一候補の実現を楽観視していました。それだけに志位声明は大きな失望と落胆をもたらしました。

●共産支持ブロガーと非左翼ブロガーの「論争」について

 統一候補に尽力してきた市民団体からは、私のような一般市民に対して、共産党の候補者である吉田さんも人格的に素晴らしい人であることや、反石原陣営同士での泥試合や人格攻撃などをしないようにという呼びかけが、メーリングリストなどを通じて、何度も何度もくどいほどに行われました。最後の最後まで仲間として手を差し伸べ続けようと。

 しかし、ヒートアップする一方の共産陣営の浅野攻撃に対して、このような自制を求める呼びかけに最後まで従ったのは、皮肉なことに私のように党派経験のある「極左出身」、それも比較的小党派な時代を経験したことのある人達だけだったと思います。私のような人間は、こういう大組織のゴリゴリしたセクト主義にも、またそれに耐えることにも慣れっこになっているのです。しかし大部分の左翼でも何でもない一般個人の反石原ブロガーなどはもとよりメーリングリストなども見ていない人が多いですし、この共産の攻撃に真正面から応戦する形で共産党支持者のブログなどへの攻撃をはじめ、結果として共産党系の人々の浅野攻撃をますますヒートアップさせてしまいました。これは石原陣営と共産党中央にとっては、むしろ願ってもない展開だったでしょう。とりわけ石原陣営にとってはそうです。

 こういう場合だいたい本人たちにとっては「大義ある論争」で、「自分たちに100%の理がある」とお互い勝手に思い込んでいるわけです。その気持ちは私のような経験者なら痛いくらいわかるし察してあげられるのですが、論争されている内容に全く興味がない一般市民からみれば、ひたすらに「野党同士の醜い泥試合」「敵前での内輪もめ」「関わりたくない内部分裂」にしか見えないのです。それはもう断然に保障してもいいくらいそうです。いずれにしてもちっぽけで大衆化されない「コップの中の論争」です。そうならないように、そいつは帽子だ!さん提唱の「反石原をテーマにした夢の保革一騎打ち」路線に賛同したのですが、結果としては個人ブロガーの力でセクト主義を超える論争を巻き起こすことができず、互いを攻撃しあうだけの「反石原陣営の内輪もめ」にしかなりませんでした。残念です。

●左派内部のセクト主義を超克しよう

 保守とファシズムが争っている時に、左派が左分裂して独自の潮流を作るか、あるいは反ファシズムの統一戦線に加わるかは、常にケースバイケースです。いちがいにどちらが正しいとは言えません。今はファシズム勢力の側が、分裂して小さくなった左派勢力を個別撃破している時代ですので、一般的に闇雲な左分裂はたいてい良い結果をもたらさないと思います。多少の意見の違いは乗り越えてでも、できるだけ幅広い意味での左派が可能な限りまとまるべきだと思っています。

 ともあれ、共産党の戦略は、「共産党とそれを支持する”民主勢力”が伸びることだけが唯一この国を救う」という、唯我独尊のオール与党批判の立場に立つ以外に正当化することができず、かつその立場に立てば一定の合理性を有しています。しかしそれでは、石原都政に心を踏みにじられた人々の苦しみは救われることがありません。そういうのをセクト主義というのです。あまり詳しくは申せませんが、実は反石原や反ファシズム、改憲阻止の運動をそのものを育てていかなくては、この国は大変なことになると考えている党員や支持者も多いのです。志位さんの激しい声明も、実は党内における「今、石原を現実に打倒しておかなければ」という声や空気を一気に吹き飛ばして、「勝てる見込みがなくても断固として独自候補でいくしかない」という引き締めの意味がありました。あれは党外に向けたものではなく、党内に向けた声明だったと見るべきです。しかしとりわけインターネットなどを駆使されておられる若い世代の党支持者に、こういう流れがわかっていない人が多い。本当にこの国の大衆運動には「歴史」というものがありません。

 私のような人間は、活動家時代に、小さな世界の中でのことですが、いろいろな戦線や現場でこういう大小のセクト主義を散々に見せ付けられてきました。セクト主義を振りかざしている本人には、その犯罪性が見えないのです。私もそうでしたし、対立する(共産党を含む)大党派の皆さんもそうでした。なにしろ自分たちの主張が正しいわけですから、その主張をおろして妥協したり、自分たちの勢力が一時的にでも弱まることはなのです。反対に、民衆の闘いが「一時的に後退したように見えても」その結果として自分たちの勢力が強まれば、それは善なのです。一般の民衆は、正しい彼らが最終的に勝利するまで待ち続けるしかありません。できることは彼らを支持して、その日が一日でも早くくるように100年でも頑張って我慢し続けることだけです。

 さて、今回の不毛な争いは、相対としての反石原陣営そのものを弱体化させる結果だけをもたらしました。それ以外に得るものは一つもなかったと言えるでしょう。共産党は一時的に自分たちの力が弱まってでも、少しでも民衆を救う方向に事態を動かすことを拒否しました。このようなセクト主義的な戦略が功を奏して、参院選などで勢力を伸ばすことができるのでしょうか?少なくともこれまで共産党に票を投じることも多かった私は、すっかり共産党から心が離れてしまいましたし、間違ったことをした時には、それなりのペナルティがあってしかるべきだと私は思います。私たちにそれができるのは、選挙の時しかありません。投票箱の中のことは、それ以前の各党の行動を公平に見比べて1票だけを行使するものですから、それは「私の意見」であって、相手の意見を認めないこととは異なります。

 こう書くと、すぐに共産党とその支持者は「反共」などとレッテルを貼ります。私は反共ではありません。ただ共産党でも誤った行動をした時には批判するだけです。「共産党批判」と「反共」の区別がつかないうちは、また、「反共産党の左翼」というものの存在を認めて、そういう人とも手を結べないうちは、共産党は永遠にセクト主義から抜け出せないことでしょう。

 意見の違いを乗り越えた左派の大同団結を求める声に対して、「あいつは共産党を批判しているから左派ではない」というお決まりのレトリックなど、コミンテルンの昔ならいざ知らず、21世紀の今日では、一部の党員の脳内でしか通用しません。左翼運動を全く知らない人にはお笑い種でしょうが、そのために「ニセ左翼」という独特の共産党用語まであったのです。あったどころではありません。今でも自分と意見の違う左派に対するレッテルとして使っている化石のような人も一部ですがいるのです。共産党にも他党に対するのと同じように異論を唱える市民団体に対しては「反共市民運動」なんて、ほとんど「右翼が市民運動でもはじめたの?」という爆笑の用語まで80年代から90年代にかけて多用されていました。小田実も共産党からは反共主義者扱いされていました。

●今後の闘いにおける心構えについて

 選挙における私たち革新無党派層の最大の関心事にして投票行動を決定づけているものは、どうすれば与党の議席を減らせるかということです。組織を辞めて普通の生活に戻ってからは、そのあたりは「意見の違い」の範疇におさまっておりました。しかし小泉政権の登場でそれも一変します。何としても勇退ではなく辞任で終わらせたかったし、前回の参院選ではそれが可能だったのに残念です。いずれにせよ、自民党から共産党まですべては体制内の議会主義政党ですから、多数派ゲームでどこが勝っても体制そのものがひっくり返るわけではありません。プロ野球なんかでも、巨人が圧倒的に強かった時代には、とにかく巨人が負けたら喜ぶという「アンチ巨人ファン」なんて屈折した人がいましたが、革新無党派層なんて早い話がそんなようなもんです。

 私はいわゆる典型的な京都人でして、権力者や政治勢力なんてもんは、主義主張にこだわらずに使えるところは使う、そしてどこにものめりこまないという発想が強いです。過去の経歴からは不思議に思われることも多いのですが、同時に京都では左翼や右翼もそれなりに強かったりします。総じてそういうものに寛容なんですね。共産党もまあ、学校や病院を建ててくれたり、値上げに反対してくれたりで、好景気の時は「使える」政党でありましたし、特に何の拒否感もないのですが、それはただそれだけのことです。その程度のことでは、多くの人にとって、何が何でも共産党を支持するような理由にはならないと思います。いいかげん「諸要求貫徹運動」だけでは人々の魂は揺り動かせないと気がついてほしい。期待とエールをこめて切に願います。浅野さんがベストの候補者でないことをいくら力説されても、そんなこと先刻承知なわけです。誰でもいいわけではありませんが、石原氏を無色透明で中立の浅野さんに差し替えることが、私たちの最大の目的だったわけです。残念です。

 今後も自民党主導政権を打倒するために共産党を含めた統一戦線を模索し続けることは必要だと思います。もはや党中央には期待できませんが、それでも現場レベル、反改憲など個別戦線レベルでの共闘や統一行動で力をあわせていくことを絶対に諦めてはいけません。共産党とその支持者の皆さんにも、反ファシズム陣営の分裂がどういう結果をもたらすか、脳内で勝手な「成果」をでっち上げることなく、あるいは敗北の原因を「反共勢力」のせいにすることなく、今回の結果から骨身にしみてお互いに理解していかなくてはなりません。そう考える支持者の人々も実は多いのです。

 もちろん党中央の変化は期待薄だと言っても、そこは共産党は中央統制がきく党です。それゆえいろいろと難しい点があると思いますが、大衆戦線や大衆団体のレベルでなら可能なことも多いと思います。今後とも統一を求める声で共産党を同志的に包囲していきましょう。また、それと同時に、場合よっては今後とも、自民-公明ブロックのみならず、後ろから攻撃してくる共産党中央の壁も乗り越えていかねばならないこともあると思います。それは選挙だけではなく、大衆運動の現場でも同時に覚悟しておくべきことでしょう。そこでは「忍耐」が物を言うというのが、今回の教訓だと肝に銘じてください。

 いずれにせよ、無党派のみならず実は党派に結集している人々も含めて、政党は自分たちの未来を託すものではなく、民衆のための機関(道具)にすぎないと考えます。どこかを不変に支持し続ける必要などなく、その時々で人民に一番役にたつ機関を、一番役に立つ方法で使っていけばそれでよいのだと私は思います。

 しかしどうして年代が若くなるほどセクト主義的に中央と同じ見解で固まっていくのか?なんとなくわかる気もするし、不思議なようでもあります。それだけ物事を斜めから見ようとしない、裏を考えようとしない、言われた通りに信じる、つまりは純粋ってことなんでしょうけれども。


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