2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《滝村国家論より》:「ファシズム」再論(5)

ナチズムのユダヤ人排撃

 ナチズムのユダヤ人排撃の根拠の一つは、「アーリア人種の<人種 としての血>の優秀さ」という根拠のない驚くべき独断的断定 と同じく、「ユダヤ人の劣等性」という根拠のない独断的断定に あった。もう一つは、それと裏腹のユダヤ人の成し遂げた事績に 対するいわれのない恐怖であった。以下に、滝村さんの分析を 要約する。(「」内の文は『わが闘争』からの引用文)

-------------------------

 ヒットラーはユダヤ人の劣等性の根拠として次のような事柄を挙 げている。

 ユダヤ人には、いかなる種類の「文化形成力」もない。その証拠に
「あらゆる芸術の中でも女王の位を占める二分野である建築と音楽」
にまったく寄与しえず、せいぜい演劇のような、
「自分の工夫も最少ですむように思われる芸術」
の分野で活動してきたにすぎない。

 そして、ユダヤ人のその「文化形成力」の欠如は、たんに知的能力 の劣等だけが原因なのではなく、アーリア人種の「内面的な志操」と もいうべき「理想主義」が脱落している点に、ふかい根拠をおい ている。

「……ユダヤ人はどのような文化形成力ももっていない。というの は、それがなければ人類の真により高い発展が不可能であるような、 理想主義がかれらには存在していないし、また存在したことがなか ったからである」

 ではヒットラーが言うアーリア人種の「理想主義」とはなにか。

「個人の関心や生命を全体社会に従属させることに外ならない」
「個人が全体社会に対する、かれの同胞に対する犠牲能力」
「必要ならば個人を犠牲にしても、種を保存しよう」
「理想主義」こそ、「あらゆる種類の組織的形態を形成する前提条件 を意味する」

 生物進化論の有機体発想から、全体社会としての国家や民族にたい する個人の絶対服従と自己犠牲を「理想主義」としている。つまり、 個人圧殺の単純な<社会-即-国家>主義ないし<民族共同体>主義 が導きだされている。

 この、諸個人はその個別的意志をすてて、全体社会の意志決定に絶対 服従すペし、という単純にー元的な組織的・制度的構成は、全体社会 のみではなく政治・社会のあらゆるレヴェルにおいても、一般的な組 織的・制度的構成形態でなければならないとされた。

 一方、ユダヤ人の民族性を次のように、これもまた独断的に断定する。

「ユダヤ民族における犠牲的精神は、個人のあからさまな自己保存の 衝動を越え出てはいない」
「ユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外のなに ものでもない」
「ユダヤ民族の自己保存の衝動は弱いどころか、他の民族よりむしろ ずっと強かった」

 ユダヤ人には、エゴイズムが支配していて、自己保存のための 利己的犠牲はあっても、全体社会にたいする個人の犠牲的精神は 存在しないと言っている。

 従って、ヒットラーの理論からすればユダヤ人は激しい民族・国 家間の生存競争のなかで、敗北し衰退・消滅してしまうはずである。 だから、やっきになってこれを敵視したり、民族の総力をあげて絶 滅しようなどという必要は全くないはずである。ところが、ヒット ラーは論理の一貫性を保持できない。ユダヤ人に対する無根拠の見 解は被害妄想的にエスカレートしていく。

ユダヤ人は、「つねに他民族の体内に住む寄生虫に過ぎない」
彼らは最初から「商人」として「ゲルマニアにやってきた」
「次第にかれらは生産者としてではなく、もっぱら仲買人として、 経済の中で緩慢に活動を始めた」
やがて「金融業と商業は、あますところなくかれらの独占になって しまった」
さらに、「諸侯の権力が強まり始めるに応じて、かれらはますます 諸侯に近づいてゆく」
「諸侯は悪魔と同盟し、悪魔にまで落ちた。したがって、ユダヤ人の 諸侯籠絡は諸侯の頽廃にまで導く」
「諸侯の権力が次第に動揺しだ」すとともに、彼らはずうずうしく も「ドイツ人」になりすまそうとし、「かれらの唯一の権力は 『国家市民』権の完全取得を実現することに向けられた」
「君主政の崩壊」と「巨大な経済発展」の時代に入ると、かれらは、 「ブルジョア階級に対して労働者を利用するようになった」
かれらはついに、「ユダヤ人カール・マルクス」を使って、「マルク ス主義理論を創始した」
「わが国の官庁」や「労働組合」、そして「新聞」などが、つぎつぎ にユダヤ人によって支配されはじめた。こうしてかれらは、
「国家経済の基礎を破壊した」
ばかりか、政治的には、
「あらゆる国家的自己主張や防衛の基礎を破壊し」
文化的には、
「芸術、文学、演劇を悪風に感染させ」て、
決定的に堕落させた。
「ユダヤ人は、そのことによって不可避的に生じる混血化を通じて、 自分の憎む白色人種を破滅させ、また高度なその文化的、政治的位 置から堕落させて、自分がかれらの支配者の地位に上ろうと企て た」

 ヒットラーにとって、ユダヤ人はそもそも
「生存競争において敗けてしまう」
はずの「混血民族」であり「劣等民族」だったはずなのに、本気で 排除し撲滅しなければならないほどのきわめて強力な<敵>となって しまった。ユダヤ人は最後に、
「混血民族の支配者」
にまで、昇格させらる。

 このようにヒットラーのユダヤ人排撃の理論は極めて独断的な上に 論理的にも混乱した代物に過ぎなかったが、ナチズムの思想がドイツ 人の間に伝播・浸透していく上で強力な有効性をもった。なぜか。

 ヒットラーのこういう混乱を考えるにあたっては、神の支配の絶 対的普遍性が、悪魔(サタン)の存在を前提としてはじめて成立し た論理的関連を想い出すべきであろう。

 つまり、ドイツ民族による世界支配の普遍性を、神の名において 提出せざるをえない以上、いわばそのメダルの裏面、すなわちネガ として、ユダヤ人は、いやおうなしに、悪魔(サタン)的存在へと おしあげられざるをえない。

 しかしこれは、ユダヤ人による陰にかくれた巧妙な〝悪″の世界 支配の普遍性を、承認せざるをえないことを意味している。だから、 ドイツ民族による〝正義″の世界支配の普遍性は、ユダヤ人の〝悪″ の世界支配にむかっての陰謀を、うちくだき単純にひっくりかえし たかたちでしか提起されていないことになる。

 そして、ひとたびユダヤ人が悪魔と断定されれば、このユダヤ人排 撃と直接表裏をなした、アーリア人種至上主義の発想に敵対する、と いうより完全に同化しえない性格をもった、いっさいの思想的・政治 的存在は、すべてその背後に、ユダヤ人の存在と油断のならない謀略 がひそんでいるものと解釈されて、容赦なく糾弾されることになった。

 したがって、この宗教的異端審問と同一の糾弾は、その単純かつ 一元的な徹底性において、ナチズム思想の伝播と浸透に、きわめて 強力な有効性を発揮したといえる。


--------------------------------

 キリスト教単一社会ならではの共同幻想であり、私(たち)には たいへん理解しがたい思考方法である。しかし、「神」とか「悪魔 (サタン)」とかのシチュエーションを取り払ってしまえばその論理 構造にはファシズムに共通の普遍性が認められる。つまり「自民族の 優秀性」を際立たせるためには「邪悪な敵としての劣等民族」を措定しな ければならないということだ。大日本帝国のゾンビたちは中国や韓国 や北朝鮮を「邪悪な敵=劣等民族」に仕立て上げようとしている。 ファシスト・沈タロウのあくどい暴言の数々は失言ではなく、 民衆の心裡の劣情に媚びる意図的な発言である。民衆がその劣情を 止揚し得ない限り、沈タロウのようなカス野郎がでかいツラをする ことになる。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/782-1369cadc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック