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第758回 2007/03/23(金)

今日の話題

学者先生の浅薄な国家意識

 またまた、学者先生の驚くべき言説に出合った。

 今朝の東京新聞・「こちら特報部」は「国民投票法案は真にフェア か?」を特集している。まず「国民投票法の法案作りにも参加した 小林節・慶応大学教授(憲法学)」の見解をまとめている。 しかし、私が今日取り上げるのは国民投票法案そのもののことでは ない。

 小林先生は、氏自身の憲法に対する基本姿勢を語っている。その 中で平和主義に関して述べている次の部分に私の意識が引っかかっ た。

「(前文で)『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』としてい るが、北朝鮮のように、そんな国民ばかりではない。」

 この学者先生には「国民」と「国家」の区別はないんだろうか。 だとすると、そんな杜撰な国家観でよく学者が務まるものだと ほとほと感心してしまう。まあ、科学的国家論の欠如はブルジョ ア学者共通の欠陥だけどね。

 でもいくらブルジョア学者でも最低限「国民」と「国家」の区 別ぐらいはできているのじゃないかな? もし「国民」と「国家」 をキチンと区別した国家論を持っての上としたら、こんどはこの 発言は、沈タロウやそのご同類のネットウヨと呼ばれている糞バエ どもとなんら変わらない差別意識をはからずも露呈したことに なる。

 北朝鮮国家がどんなに圧制的で危険な国家であっても、北朝鮮の 圧倒的多数の国民が「平和を愛する」国民であることを私は疑わな い。現在の日本国家がどんなに醜悪で好戦的な国家であっても、圧 倒的多数の日本国民が「平和を愛する」国民であることも私は疑わ ない。

 ちなみに、憲法前文の主語は一貫して「われら=日本国民」であ る。国家は最後の二つの段落に初めて現れる。

『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を 無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なも のであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と 対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想 と目的を達成することを誓ふ。』

 「国民」と「国家」をはっきりと区別して、国民の側から 国家に対して国家の理想的なありようを示し、日本国家を そのような国家にすべく全力を挙げることを誓っている。 しかし、日本国民もいささか、いや、かなりに不甲斐なく、 現実はますます理想から遠ざかる状況にあるけどね。

 あっ、小林先生は憲法学者だった。「釈迦に説法、孔子に悟道」でし た。
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この記事へのコメント
少しだけ疑問
『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』としているが、ナチスドイツのように、そんな国民ばかりではない。
このように言い換えたとして、果たして差別でしょうか? そもそも平和の定義からして、諸国民の文化的背景が異なる以上、違うはずです。ならナチスドイツの掲げた平和もまた平和となります。
それに独裁政権下における国民の多くは、自由意志を発露できません。だからこそナチスドイツがあったのではないでしょうか?
ナチスドイツだけでなく、ナポレオンもナポレオン三世も、平和を愛するフランス人が自ら望んで皇帝にしました。そのフランスは、欧州を侵略し、支配したのではなかったでしょうか? これが当時のフランスにとっての平和だったのではないでしょうか?
北朝鮮にしても、現状は、金正日独裁政権下の国民であり、ナチスドイツ時代のドイツ国民と何ら変わるところはありません。そして彼らの平和は、日本国憲法が言うところの平和とは違います。これはナポレオンやナポレオン3世のフランスの平和と違うのと同じです。
国家≠国民という見方もありますが、国家=国民である場合も少なくないのです(国民の意思とは別に強いられている場合も含めてです)。
これを無視して、差別呼ばわりするのはおかしなことです。
ちなみに国民の社会契約によって国家があるという意味においては、国家=国民と言ってもおかしくはありません。
2007/03/24(土) 19:09 | URL | 三河屋彦衛門 #GCA3nAmE[ 編集]
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