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第756回 2007/03/19(月)

《滝村国家論より》:政治とは何か(6)
「政治家」と「政治屋」


 ブルジョア政治学者は<広義の政治>について<政治=悪>説と <政治=善>説とを並列的に論じるている。そして「政治屋」と 「政治家」の使い分けもそれに結び付けて論じているようだ。

 私も「政治家」と「政治屋」を使い分けている。キチンと 厳密に規定して使ってきたわけではないが、その使い分けの基準 は、滝村さんの規定と一致する。滝村さんはおおよそ次のように規定している。

「政治屋」

 「政治屋」とは正確には「政治利権屋」と言うべきだ。つまり、 自己の<個別的利害>あるいは自己が代表(代弁)するグループ (Macht)の<特殊的利害>を、ときにはあからさまに打ち出すこ ともあるが、たいていはもっともらしい政治的社会的な理念で オブラートして、敵対者たちと裏取引や脅しやらを使い分けて実現する ことを第一義的と考えて行動する政治家を言う。

「政治家」

 自己の個別的利害や特殊的利害の問題はないか、あっても副次的な ものでしかなく、絶えず継起してくる<内部的>、<外部的>な 「全体的利害」の問題を政治家として果たすべき第一義的使命として 活動している政治家を、「真の」という意味を込めて「政治家」と呼 んでいる。

 ブルジョア民主主義という枠内でもう少し詳しく言いなおすと、 保守的体制的な「政治家」は、国内の階級闘争とか外国からの経済的あ るいは政治的軍事的侵略とかの、現存の経済的支配階級が君臨する階級的 社会構成の危機の問題に、<国家>の協同社会的な秩序の維持・遵守 という政治的理念をもって、真摯に対峙しようとする。

 一方、現体制の根本的な止揚を政治理念とし、様々な手段による 抵抗・反抗・闘争を試み、<国家意志>の形成・支配過程に強力に 介入していくことを自己の第一義的な使命と考えて自覚的に取り 組んでいる政治家も、もちろん「政治家」である。はっきりと 「革命・政治家」と言ってもよい。

 従って、体制的か反体制的かに関わらず、「偉大なる政治家」と 呼ばれるほどの人は、時代に即した<国家社会>の根本理念を自ら の手で創出することによって、その任務を遂行する ような人物でなければならない。さながら第一級の思想家や学者の ような鋭利な直観力と冷徹な分析力を要する。

 このように考えてくると、「政治家」はいよいよ稀有な存在であり、 もうほとんどの政治家は「政治屋」と言わなければならない。

 上記の一般論をふまえて滝村さんは、現実の政治過程であらわにな る日本の保守政治家の実態を分析している。45年ほど前の政治状況だが、 もちろん今日の状況とほとんど変わりはなく、今日においても有効な 分析だと思う。


 人々は、最近の「中国」および「沖縄」問題や日米繊維交渉から いわゆる「ドル・ショック」に到る一連の過程を通じて、わが国政 治担任者の無為無策、自立性・主体性の全き欠如をいささかうんざ りする程みせつけられて、まっとうな「政治家」の不在をあらため て確認したに相違ない。

 しかし、戦後25年間わが国政治の実質が、「官僚」・「党人」の 如何を問わず<政治的利権屋>によって牛耳られ、<政治家>らし い「政治家」が皆無という驚くベき状態にありながら、これまでど うにかこうにか<主権国家>としての体裁を保持しえたのには、 それなりの合理的な根拠がある。

 一般に<主権国家>すなわち<共同体(民族)-即-国家>とし ての自立性と独立性を把持した近代的なNationの運命をあやつる政 治的担任者を、その内的評価において色わけすれば、主として国内 的な社会・経済政策に関わり、その利益配分に血道をあげる圧倒的 多数の<政治利権屋>の横行・存在にもかかわらず、高度の政治政 策すなわち対外的および国内的な基本政策をも包括した当該民族の <国家的理念>に強い関心をもつ・極めて少数だが・自覚的なステ イツ・マンが、恰も<アジア的共同体>における<祭祀的>担任者 の如く、存在する場合が多い。いいかえれば、かかる<政治家>と <政治利権屋>との二重の構成は、何よりも<国家意志>の二重性 を本質とする<政治>の基本的・構造上の二重性に対応したもので あって、その意味では強度の一般性をもつわけである。


 ここで『<政治>の基本的・構造上の二重性』とは <政治的国家>と<社会的国家> のことだ。

 戦後の日本においてまともな「政治家」がいなくても済んだのは、 それに代わる存在がその役割を果たしてくれたかなにほかならない。

 それは、占領軍支配下の戦後数年間は、G・H・Qであった。 「押しつけた」新憲法の政治理念に基づいて、対外的および国内的 な基本政策はすべてG・H・Qが立案・作成・決定した。そしてその 実行には、G・H・Q自らが戦中「革新官僚」と呼ばれた部分を中心に して戦後日本の新たな政治的支配層として育成・再編成した官僚機構 と政治家層が担った。

 占領解除(アメリカによる直接支配の解除)後も日本は、戦後積 極的に推進されたアメリカの対外政策のグローバルな展開 (世界政策)のなかで、対「社会主義体制」への重要な環として 否応なしに組み込まれ、相変わらずアメリカの<政治的=軍事的> 支配の下におかれた。

 占領下にG・H・Qの忠実な〝イエス・マン″として徹底的に教育さ れた新たな政治的支配層の中核(主流)をなす官僚および官僚政治 家には、<主権国家>としての基本政策、特に外交政策を独力で提 出するだけの度量も技倆もなかった。これは現在まで尾を引いている。 というよりは、ますますひどい状況になっている。よく言われるように アメリカの属国化してしまった。


 これを要するにわが国が、<政治的=軍事的>また<経済的>に さえアメリカの強力な傘の下で安住できた間は、まともな<主権 国家>なら当然第一番に要請される・それこそ「国家の存亡」に 関わる・政治上の最もしんどい任務を、実質上そっくり回避して いられたこと。また、アメリカにしてもわが国の経済的支配層に しても、かかる<国家>の最高理念にナショナルに関わる<政治 家>を、とりたてて抜擢したり育成したりする必要など全くなかった 〔というより正確には、彼らにとってそうした存在程邪魔なものは なかったはずである〕ということである。

 かく理解してはじめて、戦後25年間「政界」を牛耳ってきたのは、 「党人」「官僚」の如何を問わずその悉くが<政治利権屋>であり、 また、そのなかでも<国家理念>の最高担任者として形式上君臨し たのが、殆んど「官僚」出身の「政治家」であったことの根拠も、 容易に納得できるはずである。

 このようにみてくれは、アメリカの<政治的・軍事的>および <経済的>な世界支配の体系が、音をたてて崩壊しつつある現在、 わが国の支配階級とりわけその政治的支配層にとっては、緊急に かなり根本的な体質改善と自己改革の必要に迫られているといえ よう。


 この最後のくだりは、まさに現時点での状況を述べているようだ。 いまアメリカの威信も覇権も地に落ち、世界政治状況は多極化の道に 進み始めている。それにもかかわらず、なおアメリカの傘を頼って いるばかりの政治屋たちの無為無能、自立性・主体性の欠如ぶりも 含めて、何も変わっていない。


今日の話題

(お休みです。)

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