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第750回 2007/03/12(月)

《滝村国家論より》:政治とは何か(4)

<社会的>事象から<政治的>事象への転化


<共同体-内-政治>の場合

 社会的・経済的レヴェルから転化してくる政治事象の典型は、 諸階級・階層(特に労働者)によるさまざまな<経済闘争>が 大規模化することにより<個別資本>の枠からはみ出して<総資 本>的な利害と大きく抵触しるようになり<協同社会>的問題化 されると、<第三権力>による直接の介入が行われる。これに よって<経済闘争>は<政治性>を附与され、<政治的経済闘争> になっていく。

 また、<経済闘争>が社会の<協同社会>的関係に直接抵触して 政治事象化するケースがある。
 例えば、賃金・労働時間・職場の諸条件などの経済的諸条件を獲 得するため純粋な経済闘争であり、かつ極めてありきたりの闘争手 段によっても、鉄道・パス・郵便等の交通・流通部門における場合は、 日常的業務それ自体が高度の<協同社会性>をもっているために、 それはたちまち<協同社会>的な規模の影響を及ぼす。 従って、〝社会秩序の混乱″を理由に<第三権力>の介入を容易に 招くことになり、半ば不可避的に<経済闘争>が<政治性> を帯びることとなる。

 上の2例では、<社会的>事象から<政治的>事象へと大きく転化 していく最大の要因は、規模の大きさや直接的な<協同社会>性に あった。しかし、<社会的>事象から<政治的>事象への転化の 要因は、あくまで社会的・経済的事象それ自体のもつ<協同社会 性>の深刻さの度合いによるとして、滝村さんは以下のような例を あげている。

☆医師会による〝保健医総辞退″の問題
☆社会的な大問題となっている各種「公害問題」

 企業による各種有毒物質の〝たれ流し″によって甚しい実害を 蒙った人々が、全社会的にみれば非常に少数でしかも局地的であった としても、言語に絶する程の悲惨な事態を必然化した企業の・本質 からくる・専横を、これまで全社会的に放任し野放しにしていたこと 自体が大問題である。

 この点で<協同社会的利害>の維持・擁護を建前とする<第三権 力>の〝行政責任″(わが国でいえばとくに〝通産・農林・厚生行 政″)が追求され、いやいやながらも表面上は〝企業との癒着″を 廃して必要最少限度の各種企業統制(〝行政指導″)は行なう、と 公約しなければならなくなる。

☆一挙に多数の生命を奪う航空機墜落

 それ自体いかに悲惨でショッキングではあっても、たんなる一個 の大事故にすぎないが、それが続発すれば、いまでは広く国民の 〝空の足″として気軽に利用されているだけに、<第三権力>の 〝航空行政”が根本的に問い直されて<政治>問題化する。いわん やそれが、自衛隊機による意識的な接近(日常的な訓練)の結果で あれば、たちまち高度の<政治性>をもった<政治>問題として クローズ・アップされ、<第三権力>の最高〝行政″の責任が追求 される。


<共同体-間-政治>の場合

 滝村さんは、この問題は『今後全く新たに確立さるべきマルクス主義国際 政治世界論の最も基本的な課題である』として、『ここではとりあえ ずその要点についてのみ記しておきたい。』と述べている。その後、 どのように理論が展開されたのか詳らかではないので、とりあえず、 ここで記されている「要点」を読んでおく。

 まず、<共同体-間-政治>発生の論理的過程について一般論

 共同体間諸関係(政治・経済・宗教・文化などのあらゆるレヴェル における諸関係)は、<協同社会性>という高度の幻想性を附与され <第三権力>によって媒介される限り必然的に<政治性>をもつ。 いいかえれば、共同体間の諸関係は<政治的関係>として否応なしに 構成される。

 以下、具体例があげられていくが、この論文が書かれたのは 1972年であることを再度確認しておく。

<宗教>レヴエルでの問題


 1968年に再燃した北アイルランドにおけるカトリック系住民の 〝反乱″(正確には独立戦争)は、いうまでもなく英帝国とりわけ その<第三権力>による苛酷な植民地支配への反抗として必然化さ れたものに他ならないが、表面上は〝カトリック対プロテスタント″ という17世紀以来の<宗教>戦争として現出している。

また、イスラエルとアラブ諸国との間のいわゆる〝中東戦争″にして も、戦争という当該<第三権力>によって主導された最もシビアーな <共同体-間-政治>が、何よりも<宗教>レヴェルでの抗争という 形態をとって展開されている。


<経済>レヴェルでの問題


 <国際経済世界>を構成する<共同体>間の<経済>関係、すなわち<国民 経済>間の有機的連関といえども、すべて当該<第三権力>によっ て媒介されている。具体的にいえば、A国とB国との経済関係、例 えば自由な貿易のためには、AB両国の<第三権力>によって締結 された通商条約が前提となるといった具合に。それ故、当該<国 民経済>間で、それぞれの内的利害に基づく対立・抗争・軋轢が 生じた場合、例えは〝繊維・ドル・円″をテーマにして今度の日 米経済閣僚会議のように、<第三権力>における最高の経済担当 相が、その利害調整と対立解除を可能な限り試みなければならな くなるわけである。

 ここで附言しておきたいことは、第二次大戦後四分の一世紀に 亘る国際世界の推移・動向をふり返ってみても明らかな如く、 国際間で〝平和″が保たれている時代(いいかえれば新たに確立 された<国際世界>秩序が比較的平穏な時代)には、<第三権カ> が率先する<経済外交>が、<共同体-間-政治>の主要な 局面として登場してくる点である。


 <政治>と<経済>との関連レヴェルの問題


 このたび中国の国連加盟が正式に決定したため、日中関係は 新たな局面に入りつつある。これまでの両国政府の立場は、日 本政府が〝政・経分離″という発想から、まず<経済>レヴェル での〝正常化″を唱えてきたのに対して、中国政府は、〝政・経 不可分″を主張し、<政治>関係の〝正常化″を前提としない <経済>レヴェルでのそれは全く考えられない、というもので あった。ここで両者の当否を判定するつもりは全くないが、さし あたり留意さるべきことは、日中両国間における<経済>レヴェル での〝関係の正常化″といえども、<第三権力>によって主導・裁 可されざるをえない故に、高度の<政治性>をこれまた否応なしに もたざるをえないのであって、それ自体れっきとした <共同体-間-政治>に他ならないという点である。この意味で、 日本政府の主張は、<政治>と<経済>との機械的分離という・ 近代的な社会構成内部では一定の根拠をもつ・プルジョア的発想 を、共同体間レヴェルにまで機械的に拡大するものであって、国 家的・政治的理念の直接的な把持・担掌者として当然担うべき高 度の<政治>責任を全く回避して、<経済的利権>にのみ飛びつ く<政治利権屋>にふさわしい言い草ということができる。


 こうした問題は、ポチ・コイズミの「靖国参拝問題」や現在進行形の 狆ゾウの「慰安婦についての発言」問題などを媒介として、今なお 中国や韓国や北朝鮮との間でくすぶり続けている。

 あるいはアメリカとの属国的関係も現在における<共同体-間-政 治>の深刻な問題である。
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