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第747回 2007/03/08(木)

《滝村国家論より》:政治とは何か(2)
狭義の政治の一般的特質


 滝村さんは<アジア的>・<古典古代的>・<封建的>な国家の 場合についても言及しているが、ここでは現代の議会制ブルジョア 国家の場合に限定して読み取っていく。

 国家は内部だけからとらえてはその全体像はつかめない。 <共同体-内-国家><共同体-即-国家> という二つの位相が不可欠だ。

 それに準じて、<国家意志>も2種類の<国家意志>に分けて考える必要 がある。
 一つは<共同体-内-国家>としての対内主権に関わる国家意志で ある。より具体的に言えば、共同体の内部に向って発せられる対内 基本法や対内基本政策を含む国家意志である。
 もう一つは<共同体-即-国家>としての対外主権に関わる 国家意志である。すなわち、もっぱら共同体の外部に向って押し出 される対外政策や国際法上の規定を受けた法的規範によって象徴さ れる国家意志である。

 以下、<狭義の政治>を単に「政治」と表記する。

 政治とは国家意志の形成・支配過程のことであるから、当然 政治概念も2種類に分けた上で、それらを統一的に把握していかなく てはならない。その2種類の政治をそれぞれ<共同体-内-政治> と<共同体-間-政治>と呼ぶことにする。

<共同体-内-政治>について

 各種法案の「立案」→「審議」という国家意志の形成過程 において、個々の代議士は実に様々な位相の利害にもとづく <意志>による圧力と干渉を投げ合って対時・抗争・競合している。 その利害は自分が代弁するMacht(階級・階層およびグループ)の特殊利害で あったり自己の個別的利害であったり、あるいは反対派の<意志> を汲んだ者の懐柔や脅迫であったりする。特に資本家とその政治的 代弁者たちの金銭授受による暗闘は日常茶飯事時であり、ときには テロさえ辞さない。国家意志の支配過程においても官僚機構へ の同じようなさまざまな干渉と圧力があるのは言うまでもない。

 これがブルジョア民主主義の実態である。そしてまた同時に、これ が<共同体-内-第三権力>の完成的発展を必然化した現実的な根拠 であり、<第三権力>による社会的秩序の維持と管理が、形式的には <協同社会>的な<指導>という建前をとりながら内容的には特殊的 利害の幻想的共同的利害への転化による敵対的・抑圧的な支配形態と いう構造を本質的なものとして孕まざるをえない根拠でもある。

<共同体-間-政治>について

 近代国家の<世界史>的形成と高度な発展は、<共同体-間-社会 分業>のグローバルな展開に基づく諸共同体(諸民族)間の対時・抗 争・競合があらゆるレヴェルで遂行されてきた<国際社会>の形成 がその歴史的前提である。そこでは、主権国家の対外政策が、 「世界政策」として押し出される場合、それはもっぱら自国 の<協同社会性>-本質的には幻想上の協同社会性-に立脚せざ るをえない。それゆえに、各国家が押し出す「世界政策」は 一国的な「特殊利害」を他の諸国へ強引に押しつけ支配するという本 質的な構造的契機をもっている。つまり<国際社会>的規模において も特殊性の幻想的「一般」形態による支配という敵対的・抑圧的な 支配形態を本質的なものとして不可避的にもたざるをえない。

 かくて<主権国家>の掲げる「世界政策」は、 形式的には〝世界平和のため″とか〝世界的秩序の維持″とかいう <世界的協同社会性>という幻想上の「世界意志」の形態をとるが、 内容的にはあからさまな民族的「特殊利害」を秘めていて、 実際には<排外的抑圧支配性>として機能する。

 以上のように<共同体-内-政治>も<共同体-間-政治>も 同じ特質を不可避的にもっている。そして留意すべき点は、 <世界的協同社会性>と<排外的抑圧支配性>という外的<国家意 志>における<形式>と<内容>との間の対照・乖離の度合いが、 <協同社会性>と<階級的抑圧性>という内的<国家意志>におけ る<形式>と<内容>の対照・乖離の度合いとそのまま対応し、 それに基礎づけられている点である。
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