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第741回 2007/03/01(木)

《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(2)



 中学校で日露戦争を学んだとき、私はそれをずっと昔のよその国の話 のように感じていたと思います。計算してみると52・3年ほど前の戦争だった のでした。

 今、先の敗戦から62年たっています。今、多くの若い人たちが先 の戦争をよそ事のようにしか感じないのも無理はないと思います。 「戦争責任」といっても、「それ何?」としか受け取られないかもしれませ んね。

 もう戦後ではなく戦前なのだと言われるようになって久しい。今、 名実ともに戦前だとつくづく思います。ですから今、庶民の戦争体験 を検討するのは、どちらかというと復習ではなく、近い将来に起こる かもしれないことの予習の意味合いになるのではないかとも思うので す。なにしろ「庶民の戦争体験」に限らず、戦争体験一般がうまく継 承されていず、圧倒的多数の庶民は相変わらず国家権力に従順な庶民 のままなのですから、同じことが繰り返されることでしょう。

 さて本題に入りましょう。
 問題の検討を進める手ががりとして、吉本さんは、鶴見和子・片瀬 菊枝編『ひき裂かれて』(筑摩書房)に収められている手記を利用し ています。

(1)日本の庶民社会における人間的係の特殊性にもとづく体験 と責任の問題

 この第一の問題を提示している具体例として、高橋やえ子「八月 十五日まで」を取り上げています。次はその吉本さんによる要約です。


 東京在住の主婦が、子供を連れて、親族の未亡人の家に疎開し、 そこで共同生活をはじめる。

 未亡人と疎開の主婦とは物質的な基礎がちがっている。未亡人の 方は、食糧と交換すべき豆粕肥料の入手径路をもつている。主婦は 疎開者であり、夫は出版関係者であり、食糧補給ル-トをもたな い。この両者は米ビツを共同にし、その代償として主婦は勤労奉仕 の場合に、自分が未亡人の責任を果すことを約定する。

 しかし、食糧が乏しくなり米ビツの底をつくと、未亡人一家と 主婦一家は餓鬼道的なイガミ合いをはじめる。主婦の子供が、食事 をしながら茶碗をさしだすと、未亡人は喰べさせまいとしてしつせ きする。主婦が配給のクジで当てたナベを未亡人が欲しいというと き、主婦はそれを断わる。


 敗戦後60年以上も経ち、物があふれている現今、日常的に演じら れるこのような「やりきれない精神的な葛藤」の切実さを、一体どれ ほどの人が理解できるでしょうか。

 私のおぼろな記憶がよみがえります。敗戦一年前、私は国民学校 1年。姉と弟と三人、母の実家に疎開させられました。かなり大きな 農家だったと記憶しています。

 預けられた方にとっては、私たちは歓迎されざる穀潰しだったに 違いありません。私にはそれほどつらい思いは残っていませんが、 かなりの嫌がらせを受けていたのだと思います。あるとき「家に帰 ろうね。線路を伝っていけば帰れるよね。」と泣きながら言う 姉に従って線路脇の道を歩いた記憶があります。その顛末がどうな ったのか記憶にありませんが、ほどなくお世話になる家が変わりま した。農村というより、小さな町だったように記憶します。そこでは わりと親切にされたようでした。

 さて、上記の手記から吉本さんは次のような二つの問題を引き出して います。


 ひとつは、このような戦争期の生活体験をつきつめることによって、 庶民社会の人間関係における矛盾を顕在化し、個我主義的な市民社会 関係への転化の契機をみつける問題である。

 他のひとつは、このような極限情況に おけるいがみ合いの原因を支 配体制とのいがみ合いに転化する問題である。

 わたしのかんがえでは、このはじめのひとつは、戦後の大衆的な 社会での人間関係を転換するために有力な体験的な基礎をあたえた。

 しかし、あらゆる場合に、戦後の大衆指導者は、庶民のこの戦争体 験を、支配体制にたいするいがみ合いに転化する方策をとらず、相も 変らず、反体制的な運動の問題に民族間題をもち出したり、日本人の 独立をもち出したりして、大衆がけっして再体験しまいとかんがえて いる問題を強いてきたのである。庶民社会の人間関係で、戦争中体 験したいがみ合いを、支配体制にむけかえることは、自発的には行わ れ得ない。

 庶民的な準位での戦争体験と責任の問題で庶民社会の人間関係が あるとすれば、以上の二つに要約することができる。

 日本の戦後社会の現象を解明する場合に、それを天皇制消滅後の 独占情況、大衆社会情況一般の問題としては、解消できないような、 大衆の意識的特質がしばしば存在するが、それは、このような庶民 的な準位での戦争体験の影響を考慮にいれることなしには、解くこ とはできないとおもわれる。


 「庶民的な準位での戦争体験」が次世代に継承されることがほ とんどなく、当然に「庶民的な準位での戦争体験の影響」も今で はほとんど見られません。しかし、庶民の間の人間関係の諸矛盾 はより複雑になり社会の底に澱みとして鬱積していています。 状況しだいでは相変わらずのいがみ合いが顕在化するでしょう。 庶民が、庶民から自立した市民へと脱皮し、互酬を基調とする成熟し た市民社会を構築していくという課題も、庶民間の「いがみ合 いの原因を支配体制にたいするいがみ合いに転化する」課題もなく なったわけではありません。いや、いよいよ切実な課題となってい るのです。
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