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第727回 2007/02/13(火)

《滝村国家論より》:国家社会主義(11)
北一輝・土着の革命思想(4)


 これまで見てきた北の日本国家論をまとめると つぎのようである。

 北の原理的=方法的発想は、当時の世界的に流行していた尖端の 科学生物・社会進化論であった。すべて、進化論流の<社会-即-国 家>観を直接の理論的前提として構成されている。

 日本は維新革命により、中世的君主国の階級国家から近代的国家 の段階に入ったとする。これを人類進化の第三段階としている。 その観点から、公認国体論の<アジア的絶対主義天皇制>イデオロ ギーに対して、いわば近代的な<制度としての天皇>観を対置した。

 すなわち国家を主権体とする民主政体へと移行し、これに伴い 天皇もまた中世的家長君主から国家の特権である一分子として一 国家機関へと進化したとされる。

 すなわち近代の公民国家は、社会としての広義の国民たるべき 特権的一分子としての天皇と平等なる他の一般分子とによって構成 され、天皇がさしあたり特権ある一分子とされるのは、国家に承認 され、その目的と利益のために活動する一国家機関(制度)の故で しかない。

 これは国体論の<天皇-即-国家>観に対して、近代的な<国民 -即-国家>観に立脚した天皇機関説の公然たる提唱である。した がって彼が政体と区別して使用した「国体」とは、たんに「国家の 本体」という<社会-即-国家>観の特異な概念的表明(主権概念 上の)でしかない。万世一系の現人神たる天皇が道義的に君臨する といった通常の国体観念とは全く異なるのである。


  北が公認国体論を粉砕したにもかかわらず、なお<制度としての天皇> を認めざるを得なかった点で、それは同時に北の<社会-即-国家>観の限界 をも示していた。

 滝村さんは『彼は、進化の第三段階では天皇を国家的構成において 必須の特権ある一分子として承認しつつも、その後の第四段階では あっさり消滅させられて、文字通りの<国民-即-国家>へと進化 すると考えられていたに相違ない』と推察しているが、北の思想は 辛亥革命体験を経て『日本改造法案』へと大きく褶曲していく。

 さて、『国体論』で提示された北の思想の骨組みはおよそ次のよう であった。

日本国家論=近代的な<国民-即-国家>主義(国家と構成分子)
日本社会論=近代的な市民的社会主義(社会と個人)
世界主義論=強烈な<民族-即-国家>主義(世界共同体と民族国家)

 その日本社会論と世界主義論を滝村さんは次のように まとめている。


 次に日本社会論では、国家・社会と個人の物的富有を二つながら に実現すべく、中世の経済的貴族の如く肥大した大資本の国家的統 制と私有財産制の基本的容認を主張する。これは近代的な市民 的「社会」主義の一変種、正確には小資本中心の社会構成を巨大な 国家資本によって補強せんとした修正資本主義に他ならない。

 また、国家競争・民族競争なき世界共同体の黄金を望想する世界 主義は、あくまで進化の現段階に展開する苛酷な国家主義・民族主 義の極限的徹底の彼岸にのみ可能になるという、強烈な<民族-即 -国家>主義たる大国家主義として構成される他なかった。


 そしてこれは、『日本改造法案』にいたる北の革命思想の挫折 への道につながっていた。


 しかし『改造法案』に到ると北の近代的<国家-即-社会>主義は、 何よりも右の如き<社会-即-国家>観よりする強烈な内・外国家主 義を基軸として、やがて「国家競争」なき「世界連邦」の実現へと 突き進む、「亜細亜連盟ノ義旗ヲ翻シ」た大国家主義の徹底的推進 のためにこそ、天皇機関説と軍事的社会主義よりする民主的かつ戦 時制的な日本国家・社会の一大変革が必要であるという具合に、大 きく旋回する。

 これいみじくも私がかつて、北における外的国家論の政策論的 具体化に伴う、ルソー流の近代的な<国民-即-国家>主義思想の 挫折と呼称した所以でもある。

 だがそのことによって、内・外よりする大きな国家的危難を排し た皇国・日本を中心とする大アジア共同体創出のためにこそ、 <君側の奸)すなわち天皇輔弼体制の思い切った切除による天皇 親政実現の一大政治的変革が必要であるとした、純粋な国体論者 たる革新的青年将校との・現状認識と実践的方向性における・実践 的一致をみることになった。

 かくて北の革命思想のもつ本質的な実践的性格は、その政策論的 具体化を契機として、主に思想的敵対者による支持・共鳴・実践と いう形態をとった、直接の歴史的規定性を蒙る。それは彼自身に とっては政治的実践におけるやむをえざる妥協の問題として突き つけられたはずである。

 その実践的改革案において従来の天皇輔弼体制の大胆な切除と 一新を提案しつつも、代りに「顧問院」や「審議院」を設置せざ るをえなかったこと。また、かかる実践主体として青年将校を想 定したアジア型政治革命方式を採用せざるをえなかったこと等が それである。


 滝村さんは、北の思想的挫折の淵源を彼の生物進化論流の 原理的方法的発想に求めている。


 北の・日本国家の・近代制度論的解釈は、かかる<現実>批判の 思想論的有効性を別にすれば、当時の体制が右述した如き特異な構 造であった故に、現実解析の理論的正当性をいささかなりとも誇示 しうるものではない。全くその反対である。

 そうして重要なことは、北一流の近代制度論的解釈が必然化し たのは、……彼が明治維新とそれによって生じた日本国家の制度 論的構造を、生物進化論流の近代的かつ合理的な方法的発想で、 機械的に解釈・適用してしまったことに基因するてんである。

 すなわち、何よりも時代の先端を行く自然科学的真理を前面に押し 立てることによって、時代を先導する科学者たらんと欲した北一輝 は、ここでは現代の欧米流〝学者″と同様、一定の原理的=方法的 発想を前提とすることによって、対象を特殊性と一般性との統一に おいて把握するのではなく、〝普遍的″とされる科学的真理の機械 的適用・押しつけによって、対象の一般性のみを極めて皮相なレヴ ェルから解釈して事足れりとする、悪しき学的コスモポリタンとし て登場しているのである。


 この国では、学界でも論壇でも、今なお欧米の流行思想を追いか けているばかりの「悪しき学的コスモポリタン」がたくさんはびこっ ている。
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