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第718回 2007/01/28(日)

《滝村国家論より》:国家社会主義(2)
社会ファシズムと農本ファシズム


 先に進む前に、吉本さんの日本ファッシズム論を紹介しておきます。

 神山茂夫(『天皇制に関する理論的諸問題』)は、5・15事件から2・26事件にいたる までの「クーデター」の思想的背景を『これらの事態の本質は、近代的ファシズムでは なく歴史的におくれた軍事的・封建的帝国主義特に軍部の反動支配の強化である』と分 析している。そして『この現象的な日本ファシズムを貫く特質』を6点挙げている。

(1)極度の天皇主義である。
(2)軍部の援助と使嗾のもとにその目的遂行のために行われたものである。
(3)極度の冒険主義と対外侵略性を特徴とする。
(4)統一的政綱と政策を欠く徒党的小集団であり、相互に対立し闘争している。
(5)労働者農民的政党および労農組合から分裂し発生した日本主義的「ファシスト」党  派および組合もほとんど直接軍部と結び、その手先きとしてのみ存在しうること。
(6)軍事ファシスト的様相をより明確に示すにいたったのは2・26である。

 これを受けて吉本さんは次のように述べている。


 この見解は、わたしの知っているかぎりでは、もっとも正確な日本ファシズムヘの理解 である。神山はここで5・15事件から、2・26事件にいたるまでの、民間右翼思想家と軍部 青年将校によるクーデターを、近代的なファシズムとは区別されるべき擬制的なファシズ ムであり、それがあきらかに天皇制の絶対主義官僚的な支配に直通するものであるとの 理解にたつしている。

 わたくしたちは、神山がここで規定しているファシズムをかりに農本的ファシズムと よべば、あきらかに、これに対立する意味で、天皇制のブルジョワ・地主的な側面に直 通する社会ファシズム(擬近代的ファシズム)を想定しなければならない。そして、こ の農本ファシズムと社会ファシズムとの対立と癒着との特質のなかで、はじめて日本フ ァシズムの本性をあきらかにすることができるのである。(『日本ファシストの原像』より)


 農本ファシズムの代表的な思想表出として、日本のナショナリズム でも引用した橘樸(たちばなしらき)の文章を再度掲載する。


一、
 民族組織の単純性(一君万民)を完成する傾向。この傾向を、仮りに超階級維持性の法則と名づけ よう。
二、
 全体と個体、すなわち統制と自由との調和の法則。ひとり日本または東洋ばかりでなく、西洋のデ モクラシーも常にかかる調和を求める強い傾向を持つのであるが、ただ西洋が、個人主義と社会主義とに 論なく、個体を基軸とするに対し、東洋は日本と大陸諸民族とを通じて全体を主調とするところに なお互に苟合(こうごう)することのできない間隙がある。
三、
 異民族との関係を規定するもので、仮りに民族協和、または通称にしたがって八紘一宇の法則と名 づけよう。西洋の対立を原則とするのに対し、東洋は融合を原則とする。満州建国の標語たる 「民族協和」は当事者の企図したところは全くこの原則の実現にあった。




 この橘の天皇の地位を超越的にして、支配階級を除去するという結論は、一種のアジア 協同体論にゆきつかざるをえないものであり、北一輝・大川周明らの農本主義ファシズム の結論と軌を一つにする、と吉本さんは述べている。

 社会ファシズムの思想の代表としては、吉本さんは陸羯南(くがかつなん) を引いている。


 たとえば、陸羯南では、蘇峰の折衷と調合(国権意識と民権意識の)はもっと尖鋭な形 であらわれ、多数進歩派の知識人の思想を代表している。羯南の「国家的社会主義」 (明治30年)は、つぎのようにのべている。

「国家的社会主義は「国家をして社会経済の弊を匡救せしむ』というにあり。国家の本分 はただ中外の治安を保つにあるのみ、社会経済はよろしくこれを個人に放任すべしという 者、これいわゆる自由論派なり。国家的社会主義はまさしくこれと相反す。藩閥政事家ら はこの主義より干渉的部分を抽き取りてもって国家主義と名づけ、その自由論派と対戦す るの武器となすや久し。すなわち社会経済に干渉するの一点を見れば、彼らのいわゆる 国家主義てふものは国家社会主義に類すといえども、干渉其事の目的は全く相反す。 藩閥党の『国家主義』は軍人官吏貴族富豪の利益を保護するために干渉を旨とするも、 わが輩がここに叙するところの「国家的社会主義」は、これに反して弱肉強食の状態を 匡済するにあり。云々。」

 羯南によって象徴される知識人の進歩的「ナショナリズム」は、すでに社会ファシズム 論の形を明確にもった。いいかえれば、蘇峰では抱合せであったものが、ここで大衆の 「ナショナリズム」とちがった、知識人の「ナショナリズム」思想としてはっきりと分 離せられたということができる。この意識は、人権思想と国権思想の分離的統一とも いうべき形で自覚された。この時期の大衆の「ナショナリズム」が、無自覚なままでは あるが、その裏面に付着して いるという形でもっていた現実社会のリアリズムとのちがいは、羯南のばあいはっきりとあらわれている。社会ファ シズム論は羯南から昭和の中野正剛にいたるまで支配層のイデオロギーとなりえたことはない。だが、大衆の「ナシ ョナリズム」(農本主義・天皇制イデオロギー)は、逆立ちした形で、支配層のイデオロギーになりえた。社会ファ シズム論は、あくまでも知識人「ナショナリズム」の形で終始せざるを得なかったのである。ナチス=ドイツやファ シズム=イタリアが支配イデオロギーとして、優にスターリン主義と括抗する力を、第二次大戦期の一時期にもちえ たにもかかわらず、日本の社会ファシズムが支配イデオロギーとなりえずして、天皇制イデオロギーに支配の形をゆ ずらざるをえなかったとすれば、それらが近代日本の資本制の成立過程を肯定しつつ、「天皇制」的(農本的)国家 機関をもって「社会経済の弊を匡救せしむ」ことを目ざした矛盾によっている。天皇制イデオロギーは支配層によっ て、もっぱら大衆の「ナショナリズム」の心情の一面を逆立ちした形で吸い上げながら、一面で「社会経済」的には、 大衆「ナショナリズム」の社会的な基盤(農村)を資本制によって現実的につき崩すという両面を行使したのである。 大衆の「ナショナリズム」は、ここでは、天皇制イデオロギーに自己のイデオロギーが鏡にうつされるような幻想を あたえられ、一方で自己の「ナショナリズム」の心情をつきくずすものが、資本制そのものであるかのように考える ことを仕向けられた。憎しみは資本制社会に、思想の幻想は天皇制に、というのが日本の大衆「ナショナサズム」が あたえられた陥穽であった。さればこそ、農本主義的ファシズムは、北一輝にその象徴を見出されるように、資本制 を排除して天皇制を生かす、というところにゆかざるを得なかったのである。 (『日本のナショナリズム』より)


 中野正剛は羯南の系列につながるとはいえ、そのイデオロギーは国家権力による統制に よって資本制を維持するというもので、国家社会主義というよりは国家資本主義と言った方が よさそうだ。

また、ナチスも国家社会主義ではなく国家資本主義だろう。ナチス (Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)を「国家社会主義ドイツ労働者 党」と訳しているが、ヒトラー自身はナチズムを「ドイツ的資本主義」とも称していたと いう。
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