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第703回 2007/01/09(火)

戦争と平和(4)
トルストイの「平和」


(吉本さんの著書に戻ります。)

 近代的国民国家という現在の枠組みを前提とする限り、制度的には「平和国家」とい う国家はあり得ない。国家規模あるいは社会規模では平和と戦争は同じメタルの裏と表 である。平和が平和そのものとしてありえるとすれば、それは個々人の日常生活の繰り 返しの中に求めるしかないのではないか。そのとき、その平和は一人一人によって異な るものであり、それを一くくりにした平和一般という概念は成り立たない。

 吉本さんはトルストイの『戦争と平和』のモチーフを探ることを通して、 「平和とは何か」という問題を考えている。この部分はそのまま引用します。


 この中で主人公であるアンドレイ公爵は二度負傷するわけです。一度は、ナ ポレオンのフランス軍が侵入してきて、オーストリアとロシア軍がそれを阻止 しようとしてダニューブ川を隔てて会戦が行われて、そこで負傷する。動けな くなって仰向けに倒れながら、空が見えますから、
 「空がきれいで、深いな。静かだな」
というふうに考えているわけです。

 そこにナポレオンが麾下の将校を連れて戦線視察に来て、倒れているロシア 兵を見て「勇敢に戦って、みんな勇者だ」と褒めたたえながら歩いて来る。ア ンドレイ公爵が負傷して意識は朦朧としているところへも来て、軍旗がそばに 落ちていて、「この若者も勇敢だった」とナポレオンが言うのが耳に入ってく る。でも答えることもできない。

 ただ、自分が非常に尊敬している英雄であるナポレオンがいまここにいるん だということは、かすかに意識に残るわけです。だけれども、その時にアンド レイ公爵は何を考えるかというと、
「いま見えている深く青く遠くて静かなその空の深さに比べれば、この英雄の 考えていることなんかちっぽけなことなんだ」
と、かすかな意識の中でそういうふうに考える。その時にアンドレイ公爵の 考えたことがアンドレイ公爵にとっては〝平和″ということの意味なんだとい うふうに、トルストイは描いています。

 空を見てというのは、トルストイが非常に固執したところです。アンドレイ 公爵はもう一度、ポロジノというところでのモスクワ攻略の最後の大会戦みた いなものにあうわけですけれども、そこでやはり負傷して瀕死状態になるわけ です。担ぎ込まれて家族の目の届くところに帰還するわけですけれども、それ でもなかなか意識が回復しないで、むしろ死の方がだんだん近くなっていくと いう状態になるわけですが、死に瀕した時にアンドレイ公爵は ― そこはトル ストイの描写は非常に微妙なんですが ― 自分はもう死んじゃったというふ うに考える。

 死というのが初めてよくわかったとアンドレイ公爵が考えるわけですが、そ れは何かといったら、生から目覚めることが死だと思うんだということ、それ から夢みたいな朦朧とした状態から目覚めることが死なんだ、と。

 そういう目覚めたところで、いままで何かに制約されていたような感じとい うのが全部取っ払われて解放されたというような感じになるというのが、アン ドレイ公爵の臨終の時のトルストイの描写です。

 それは何を書いているかというと、決してトルストイは生の状態、死後の状 態というふうには書いていないんですけれども、精神が肉体を離れる時の感じ 方だという意味合いで書いています。
 つまり、死というのは生からの解放でもあったし、夢からの解放でもあった なというふうに感ずるということ、そしてこれが自分にとっての解放感だとい うふうに感ずるというのが、アンドレイ公爵という主人公が死ぬ時の描写であ るわけです。

 そうするとそこでも、トルストイが考えている人間にとっての平和というの は、アンドレイ公爵が死に瀕した時のそういう感じをトルストイが平和だとい うふうに言っていることを意味します。

 もっと簡単に言ってしまえば、死というのが人間にとっては平和なんだとい うふうに、トルストイは非常に平和について絶望的で、自分が書いている『戦 争と平和』という大長編のモチーフをそういうところに集約していっている というのが、トルストイの戦争と平和についての感じ方です。

 トルストイが、戦争というのはだめなものだというか、一方はナポレオンで あり、一方はオーストリアの皇帝であり、一方はロシアの皇帝でありという、 皇帝たちが自分たちの意向によって戦争を始めて、やはり死に行く者は一般大 衆なんだということを描きながら、主人公にとっては平和というのは死以外の ものではなかったし、自然を眺めた時の平穏の感じというのが平和なんだとい う以外になかったということが、トルストイの大長編のモチーフになっている とおもいます。

 戦争について突き詰めることは、ある程度はできるわけですけれども、平和 というのを万人に通ずるような意味あいで突き詰めることは、どういうふうに してもできない。

 トルストイでさえそれはできないので、主人公の死に瀕した時の気持とか、 動けない時に空を見た時の感じ、それが平和なんだというふうにしかいうこと ができなかったというふうに考えますと、やはり平和というのはむずかしいこ とで、それぞれの気持の中とか、それぞれの生活の中とか、家族の中とかとい うことの中にしか、平和ということの意味を認めることが、どうしてもできな い。むずかしいというふうになるとおもいます。

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